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ソニーが「アニメ制作ソフト」をイチから開発する理由――関係者に聞く、課題と解決の先にある“可能性”

ITmedia NEWS 2024年9月6日 12時20分

 ソニーグループが2024年5月の経営方針説明会で発表したアニメ制作ソフト「AnimeCanvas」に注目が集まっている。「アニメは世界に通用する」と吉田CEOはそこで述べたが、ソニーグループのアニプレックス傘下の制作会社への導入はもちろん、他社への提供も検討しているという。

 一方でソフト開発の背景には日本のアニメの制作環境がさまざまな課題を抱えている実態がある。AnimeCanvasが何を解決しようとしているのか、詳しく話を聞いた。

●求められる「作画」と「仕上げ」の生産性向上

 アニメは何段階もの工程を経て完成に至る。開発の進むAnimeCanvasの導入を目指しているのは、動く絵を描く作画工程(原画・動画)と、そこから生まれた成果物に色を付ける仕上げ工程だ。

 アニプレックス傘下のスタジオ2社(A-1 Pictures/CloverWorks)では、かつては作画用紙に鉛筆で描くことが多かった(※)が、この作画工程のデジタル化を進めている。

※2015年には業界で多く使われていた三菱鉛筆社製の硬筆鉛筆の生産終了が衝撃をもって受け止められ、アニメ制作者団体が対応に動く事態となった。

 「従来この工程のデジタル作画に用いられているソフト(※)は、イラストやマンガも描ける多機能なもので、アニメの作画だけに最適化されているわけではありませんでした」と語るのは、ソニーグループ 事業開発プラットフォームの荒木俊之氏。

※筆者注:セルシスの「CLIP STUDIO PAINT」(通称:クリスタ)が一般的

 紙と鉛筆によるアニメのアナログ作画から、スタイロスとタブレットによるデジタル作画に移行する際も「使わない/使ってはいけない」機能の学習も含めて、効率が良いとはいえない状況がそこにはある。ソフトの使用感は引き継ぎつつ、機能はアニメに特化・強化することで、クリエイターの生産性を高めたいというのがAnimeCanvasの第一の狙いだ。

 彩色工程である仕上げについては、クリスタの開発も手掛けるセルシスが1993年に「RETAS! PRO」をリリースして以降、作画に先行して急速にデジタル化が進み、それまでの紙に鉛筆で描かれた動画をトレスマシンでセルにカーボン転写し、そこに絵の具で色を塗るという作業から、PCで動画のスキャニングを行い、境界線を補正した上でバケツツールで効率良く範囲を塗りつぶせるようになり、作業自体の生産性は上がっている。

 ただアップデートがおよそ10年に渡って行われておらず、最新OSへの対応も心もとない状況だ。そんな中「詳細はまだお伝えできないのですが、現在のデジタル技術を生かして彩色をさらに効率的に行えるような機能についても鋭意開発中です」と荒木氏は話す。

●現場でも求められていたツールの刷新

 開発に携わるエンジニアが頻繁に両スタジオを訪れ、作画・仕上げスタッフに実際に開発中のAnimeCanvasを試してもらい、フィードバックを受けて次の開発ステップに反映するという手法をとっているのだという。忙しい現場から「今使っている環境をどうしても変えたくない」といった声はほとんどない、とソニー・ミュージックエンタテインメント EdgeTechプロジェクト本部の高橋学氏は話す。

 「特に仕上げ工程に携わる方々とは、前提となる課題=持続性について共有できていると感じます。一方、作画工程についてはいろいろな難しさがありますが、頭から否定されるということはありません。例えばアニメ向けの機能の改善についてリクエストしたい、となっても、やはり既存のソフトはイラスト・マンガ向けとして市場に受け入れられているものですから、対応にそこまで大きな期待は持てないわけです。AnimeCanvasであれば『打てば響くのではないか』と期待して、前向きに意見をくださる方が多いのではないかと思います」

 もちろん既存の環境との連携は希望されているし、実際の制作工程のなかに本格導入する段階になれば、更にいろいろな反応が出てくるだろうと高橋氏も認めるが、特にコロナ禍を挟んだここ数年間にクリエイターの意識の変化も感じるという。リモート作業が増え、デジタルデータでの素材のやりとりが好むと好まざるとにかかわらず増えるなか、グループの支援も得ながらデジタル制作環境の整備が進んだこともその背景にはある。

●ソニーがアニメ制作ソフトを開発する必然性

 AnimeCanvasは、ソニー・ミュージックエンタテインメント(高橋氏)とソニーグループ(荒木氏)が主に技術開発を進めているが、プロジェクトマネジャーを務めるのは、A-1 PicturesとCloverWorksの清水暁代表だ。

 「ソフトウェアの保守性や持続性を確保したいというのもありますが、アニメ制作の生産性を高めるうえで、まずはその基盤を整える必要があるというのが大きいのです」

 年間200タイトル前後の新作が制作されるテレビアニメに加え、近年では劇場作品も需要が高い。1話あたりおおよそ4000枚以上の彩色された動く絵が必要になるが、その多くを熟練の「クリエイター」が担う繊細な作業で品質を保っているのが現状だ。アニメ制作の効率化や生産性を高めるうえで、将来的には単純作業などの自動化も可能性としては考えられるが、まずはその基盤となる制作ソフトそのものを開発する必要があった。

 「もちろん、よく指摘される紙とデジタルの混在の解消という狙いもあります。これは作画・仕上げといった実際に描く工程だけでなく、その周辺の工程についても利便性の向上、コスト削減につながります。そのためにも、いま紙に手で描いている方々にデジタル環境に移行頂くにあたってのハードルをできるだけ下げるべく、アニメ以外の機能がないシンプルなソフトが欲しいのです」(清水氏)

 清水氏は描くだけであれば「紙の方が便利」とも話す。セットアップの必要もなく、作画用紙を取り出してすぐ描き出すことができる。習熟すれば鉛筆によって繊細なニュアンスも表現することも可能だ。しかし、制作工程全体をみたときには、デジタル化は避けて通れない(※)。ならば、AnimeCanvasを可能な限り紙の使い勝手に近づけたものにしたいと意気込みを語ってくれた。

※紙に鉛筆で描かれた原動画は、仕上げ工程に回す際、いったんスキャンが必要となる。その際、位置や角度がわずかでもズレてしまったり、線がかすれてしまったりすると、彩色前に1枚1枚手作業での修正・補正(TP修正)が必要となってしまう。デジタルデータとして工程間の素材の受け渡しが行われることは、効率化に直結する。

 現在主流となっているセルシスのクリスタやRetas!は、業界標準ツールとして制作現場はもちろん、人材育成を行う専門学校などでも導入されている。新規ソフトとなると使い勝手が変ってしまい学習コストが掛かるのではないかという懸念もあるが、荒木氏によれば仕上げツールについては使用感が損なわれないように設計を進めており、作画ツールについてはイラストやマンガ向けに多機能になっている部分をできるだけシンプルにし、レイヤー構造や解像度など制作現場、プロジェクトの事情に応じた共通ルールが適用できるようになることを検討中だという。

 また、彩色前のプレビューで用いられる「線撮」や、絵の動きや演出のタイミングを可視化した「タイムシート」もAnimeCanvasからデジタル形式で出力することも可能にする計画だ。

 これらが実現すれば、現在は外部スタッフも含めクリエイターごとに仕様が異なるデータをチェックし、修正指示を出したり作業を行ったりする演出担当者や作画監督による確認・修正工程の効率化も視野にはいってくる。

 またタイムシートがデジタルで制作工程で共有されることで、仕上げにとどまらず彩色された絵に対してさまざまな加工を施す撮影工程でも演出意図とタイミングの把握が可能になることも期待できる。あくまでスタンドアロンなソフトではあるが、現状さまざまな作業手順・フォーマットが混在しているアニメ制作工程の整流化(※)の第一歩となることがAnimeCanvasの目指すところだ。

※現在はアニメの中でCGが使われることは当たり前になったが、モデリング、リグ(骨組み)、テクスチャ、ライティングなどほぼ全ての素材がデジタルデータであるため、「パイプライン」と呼ばれる制作工程の整備と管理ツールによってデータの受け渡しと作業の効率化が進んでいる。

●他のアニメ制作会社にも提供を検討

 「先の経営方針説明会でも触れられたように、他社さまへの提供も想定しており、既に問い合わせも多くいただいています。まずはA-1 PicturesとCloverWorksに今年度中を目標に導入し検証していきますが、アニメ制作は他社さまとの連携が欠かせませんし、交流のある経営者の皆さんも同様の課題意識を持っている方が多いです。『どんなものなの?』とフランクに聞いてこられますね(笑)。業界全体の効率・品質向上を図るうえでも検証後は積極的な提供を進めていきたいと考えてます」(清水氏)

 AnimeCanvasの他社への提供そのものを収益事業とする想定はなく、保守・運用を行っていければ良いと考えているが、その点も業界から意見を聞いている段階だという。生産性の向上は、世界的なアニメ人気の高まり=需要の増加に応えるだけでなく、さらなるクオリティーの向上にもつながる。

 ソニーの吉田CEOは「世界で最もクリエイターに選ばれるブランドになる」ことを繰り返し目標として述べているがAnimeCanvasもその一環であると共に、現在の制作ツールやその周辺の課題を解決することは、引いてはソニーグループの業績向上にもつながるものであり、だからこそ「イチからソフトを開発する」という大型投資につながったと理解しておくこともできるだろう。

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