キャッチアップが遅くて恐縮だが、2024年5月に英国の放送通信庁(Ofcom)が、同国における放送通信コンテンツの将来像を検討した報告書「Future of TV Distribution」を公開していた。視聴者動向や市場のダイナミクスを踏まえながら、今後公共メディアである放送サービスをどのように持続していくかについて検討している。
その結果、3つのオプションが提案されている。
1. 地上デジタル放送の効率化:放送システムや放送信号を効率化し、30年代でも地上デジタル放送が持続可能なようにする。これは放送方式が変わるため、視聴者の受信器の買い換えが発生する。
2. 地上デジタル放送を最低限のコアサービスに縮小:放送では主要な報道や公益などのコアコンテンツを維持する一方で、その他のコンテンツはインターネットに移行する。インターネットが利用できない場合のバックアップは別途検討。
3. 地上デジタル放送の段階的廃止:全ての視聴者がインターネットサービスに移行できるよう支援し、地上デジタル放送を段階的に廃止する。公共サービスメディアの普遍性を確保しつつ、インターネットへの移行に取り残されるものが出ないように配慮する。
とくに3は、ゆくゆくはテレビ放送をやめて、全てインターネット上に移行してしまうという話で、なかなか骨太の話である。ただ英国営放送BBCでは、3を支持しているという。この背景はなかなか複雑だ。
今回はこのレポートをベースに、なぜこのような検討を行うに至ったのか、また日本でも同様の話になっていくのか、そのあたりを考えてみたい。
●数年で大きく変わった視聴者像
テクノロジーの発達により、英国の視聴者も多様なメディアプラットフォームにアクセスするようになった。YouTubeやその他のオンライン動画の視聴時間は、18年には1人当たり1日35分間だったのに対し、22年には54分に増加した。
以下の図は、全てのデバイスで人口全体の動画コンテンツの平均消費量を示したものだ。テレビ放送のライブ視聴は、23年においても全動画視聴時間の39%を占める。一方VSP(video-sharing platform:動画共有サイト)と定額制ビデオ・オン・デマンド(SVoD)/広告支援型ビデオ・オン・デマンド(AVoD)といったインターネット勢を合計すれば31%となり、テレビ放送のライブ視聴に匹敵する枠をとっているのが分かる。
ただテレビ視聴時間は減り続けており、20年のコロナ禍特需時期を除いて減少傾向にあることは間違いない。また英国はかなり早くからテレビの見逃し配信を行っており、スマートテレビに統合された「一時停止」や「最初から再生」といった機能を使って、リアルタイム視聴以外の方法のほうにメリットを感じる層も出てきている。
年齢別のリアルタイムテレビ視聴時間をみても、おおむね減少傾向が見られる。全体では、18年の視聴時間からすると、23年では30%も減少している。減少傾向は若い世代ほど顕著で、24歳以下の層は1日わずか30分未満しか試聴していない。28年には、16歳から24歳の層は1日平均13分しか生放送を視聴しなくなると予想する例も出てきている。
テレビ放送への依存傾向が見られる高齢者層は比較的減少率は穏やかだが、影響がないわけではなく、放送事業者が行う独自VoDへのシフトは、前年度比33%増となっている。
一方でテレビ放送におけるライブ放送は強いコンテンツであり、23年における個人の平均視聴時間のうち、約40%がライブ放送であった。国王とカミラ王妃の戴冠式の模様は視聴者数1000万人を記録した。女子ワールドカップ決勝のスペイン対イングランドも590万人となっている。
またオンデマンド視聴は、ライブ放送時間と切り離して考えがちだが、実際にはほとんどの視聴はライブ時間から15分以内に行われている。やはりライブイベント中継というのは、コンテンツとしての力があるということだろう。
テレビ放送の視聴方法は、20年を境にスマートTVが急増しているが、スマートTVをネットに接続していない層が23%ほどあり、機材的にはレディだが環境が整うまではもう一押しが必要である。
一方地上デジタル放送(DTT)のみのテレビ所有者は減少傾向にある。ただし完全にゼロになることは考えられず、ここに高齢者や経済的弱者が取り残される可能性がある。
●独特の英国テレビ放送事情
英国のテレビ放送事情を分析する前に、日本と英国の放送システムの違いについて把握しておく必要がある。日本はご承知のように垂直統合型で、1つのテレビ局がコンテンツを手配し、番組編成を行い、送出業務を行い、電波塔など放送インフラの管理運営を行っている。
一方米国は水平分業型で、ハードとソフトが完全分離している。テレビ局はソフト面、番組制作を行うのみだ。
ハード面でも分業化されている。番組編成や送出業務は、別の事業者が行っている。Red Bee Mediaというのが最大手のようだが、他にも事業者があるようだ。英国は各放送局が同じ周波数帯を使うマルチプレックス方式なので、このマルチプレックスを行う事業者というのがある。これは免許制で期限がある。電波塔を含めた放送網を管理運営する送信事業は、Arqivaという事業者がほぼ独占であるという。
従って、地上波を停波するかどうかという話は、テレビ局としては単純に外部に支払っている送信コストの話でしかない。一方でハード事業者にとっては、死活問題である。
現在ほとんどのテレビ番組が、電波網とIPのハイブリッドで配信されているが、テレビ局側は放送網への支払いに加えて、IP配信費も追加された格好だ。さらにIP配信では、多数の配信プラットフォーマーのために、同じ番組でもSDやHDなど異なる解像度や納品フォーマットデータを用意しなければならない。
つまりテレビ局は、配信プラットフォームが増えれば増えるほど、配信コストがかかっていくという事になる。IPは今のところ視聴者も順調に推移しており、技術革新に小まめに追従できることで配信コストは徐々に減少していくことが考えられる。一方電波網による放送は視聴者が減少しており、配信コストはほぼ固定費で変わらない。どこかの時点で配信コストが収益を上回る時が来ると予測される。
一方でIPの世界では、テレビ番組はNetflix、Disney、Amazon Primeなどの海外プラットフォーマーが手配してくる強力なコンテンツと戦っていく必要があり、さらにはYouTubeなどの動画共有プラットフォームコンテンツとも時間の取り合いになる。
そうなると考えられるのは、テレビ局だけで独自のIP配信プラットフォームを立ち上げ、海外プラットフォーマーに対抗していくという方法論だ。イギリスでは今年、BBCが中心となって民放各社も参画する「Freely」というプラットフォームを立ち上げた。
そこまでふまえて、改めて最初の3つの選択肢を見てみると、最初に見た印象とはまた違った景色が見えてくる。
●改めて考える3つの選択肢
1の地上デジタル放送の効率化は、電波放送設備にさらに追加投資して最新のものにアップグレードし、使用電波帯を圧縮することで電波資源を別の用途に有効活用するという、電波行政までも含んでいる。Arqivaは、追加投資によって「現在と比較して、エネル ギー効率と炭素効率を最大50%改善できる」と主張するが、それは追加投資の金額によっては相殺される可能性がある。
また、新放送方式に対応するためには、英国民全体でのテレビの買い換えが必須となるが、地上デジタル放送のみに閉じ込められている層は高齢者や低所得者層であり、政府の支援なしには買い換えも難しい。誰でも受信できる最低限のインフラとしての電波網の重要性は理解するところではあるが、要するに金をかけてでもそれを維持する必要があるのかという点では、あまり賛同を得られていない。むしろ災害対策などにおいては、ラジオ放送網を維持すべきという意見もあるようだ。
先に3の地上デジタル放送の段階的廃止を検討してみる。テレビ局はすでに電波網の経営から切り離されており、今後伸びしろが期待できるIPに集中したいというのは当然だろう。電波放送向けのコストがゼロになれば、放送局にとってはかなり楽になるはずだ。また放送で使っていた電波帯域は、完全に別の用途で利用できるため、社会全体としても利益がある。
一方でこれまで無料放送に依存してきた、ネットにつながっていない層に対しての手当が必要になる。ただこれはハードウェアの買い換えはあまり考えなくて良い。なぜならば、昨今のテレビの大半はネット対応のスマートTVであり、また入力端子に差し込むだけでIP対応となるスティック系のデバイスも廉価で売られている。要するに機材的にはReadyになっていて、単にネットにつながっていないだけなのだ。
2の地上デジタル放送を最低限のコアサービスに縮小は、1と2の折衷案である。電波放送はやめないまでも、大幅に縮小する。電波帯域もある程度整理できるだろう。
最低限の情報は伝えられるので、無料放送に頼ってきた層を切り捨てることにはならない。逆に言えば、手当てしないという事でもある。これは、必要最小限の情報を伝達するという公共メディアの社会的責任を果たす一方で、社会的弱者を見捨てるかようなダブルスタンダードとなる可能性がある。
こうしてみると、1は放送のハード事業者が支持、3はテレビ局が支持という姿が見えてくる。期限としては、全国のマルチプレックス事業者の免許が切れるのが34年となっており、そこまでには何らかの結論を出す必要がある。あと10年だ。BBCは27年に免許が切れるが、この議論がそれまでにまとまるとは思えず、おそらく34年まで更新するだろう。
一方で日本を振り返ってみると、冒頭で述べたように垂直統合型なので、英国と同じ状況ではない。放送とIP両方のハード面をどこまで持ち続けることができるのかは、ひとえに各放送局の経営手腕にかかっているという状況だ。
地上波放送はいまだ人気のあるインフラで、IPがそれに勝っているとは言いがたい。ただ4K衛星放送は、WOWOW 4Kが25年2月28日24時をもって放送サービスを終了すると発表した。21年にも東北新社グループの「ザ・シネマ4K」が撤退しており、コンテンツとしての「目玉」がなくなった状態である。
東京オリンピックを目指して国の旗振りで始まった4K衛星放送だが、残された各放送局はどこまでこの負担に絶えられるのか。英国での議論もにらみながら、日本でも総務省を中心に、衛星放送の在り方の再検討は待ったなしだろう。