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テレビが面白くなくなった理由は“コンプラ強化“? 業界とタレントの炎上70年史

ITmedia NEWS 2025年1月16日 16時27分

 かつてテレビの世界において、人気タレントのスキャンダルはワイドショー番組の格好の題材であったが、昨今はスキャンダルを発端とする番組降板も珍しいものではなくなった。特に昨今の傾向は、1度のスキャンダルでテレビ復帰はほぼ絶望的といわれるほど、コンプライアンスが強化されている。

 許さないのは誰か、という話になるが、端的に言えば視聴者である。昔風に言えば「世間」という事になるが、昔の「世間」は具体的な力を持たなかった。だが現代の「世間」はネットで連帯し、番組やスポンサーへ対して圧力をかけるなど、具体的なアクションを起こせるようになっている。実際には「世間」の中のごく一部の人達ではあるのだが、テレビ局はとにかく、触らぬ神に祟りなしを決め込む傾向が強まっている。

 その一方で、1980年代からテレビ番組に関係している人からは、テレビはつまらなくなったという言葉が聞かれるようになって久しい。コンプライアンスが厳しすぎて、アレもダメ、これもダメでは、面白いものができないというわけである。

 テレビ番組のコンプライアンス強化はどのような経緯を辿ったのだろうか。

●批判があっても過激化が進んだ60~70年代

 60年代から70年代は、筆者が子供の頃である。当時子供達に大人気であった番組は、69年から85年まで続いた「8時だョ!全員集合」である。滑ったり転んだり、上からたらいが落ちてきたりと、体を張った「痛い」を笑いに変える手法でお茶の間を釘付けにした。もっとも釘付けになっているのは子供達ばかりで、親はいい顔をしなかったが、当時は圧倒的に子供の数が多い。

 一方大人を喜ばせたのは、プロレスやキックボクシング中継である。高度経済成長のまっただ中、凶器攻撃で反則を行なう外国人選手に対し、ルールを守って最後に大逆転で勝つ日本人選手の姿は、多くの大人に敗戦の痛みを忘れさせた。

 また深夜番組が登場し、そこはある程度お行儀が悪くても許されるといった雰囲気になっていた。65年から90年まで続いた「11PM」は、子供に見せたくない番組として常連となった。筆者も86年ごろ、ほんの一時期だけ番組編集に関わったことがあるが、制作会社はテレビでどこまでやれるのかのノウハウをかなり溜め込んでいた。自主規制ではあるが、一応やっちゃいけない線というのは存在したのである。

●ワイドショーが時代を作った80年代

 80年代になると、お昼過ぎからスタートする情報番組「ワイドショー」が力を付けてきた。芸能週刊誌のようなゴシップ話をテレビでやることで、人気となっていった。当然その時間は子供達は学校に行っているので、大人が見る番組である。

 当時大きな社会問題となったのは、「薬害エイズ問題」である。エイズ(HIV)が最初に認識されたのは81年頃とされているが、そこから間もなくして血友病などの患者が治療に使用する非加熱血液製剤にHIVウイルスが混入したことで、大量の感染者を出した。

 この報道が加熱し、患者に対するプライバシー侵害や差別を助長するといった問題が指摘されはじめた。報道に対する姿勢が疑問視されはじめた事件である。

 さらにマスコミ取材の在り方が問題視された事件として、85年の「豊田商事会長刺殺事件」がある。今日明日にでも逮捕されるのではないかとして会長の自宅前を取材中の沢山のテレビクルーの前で、男性2名が自宅の窓ガラスを破って室内に侵入し、会長を殺害したのちまた窓から出てくるという一部始終を、テレビカメラはただ漫然と撮影した。

 当然この姿勢は、大きく批判されることになる。現場にいた記者やカメラマン全員が殺人ほう助で起訴されたが、のちに嫌疑不十分として不起訴となった。とはいえ、マスコミ関係者の人間性が疑問視される結果となった。

 その翌年、86年に起こったのが「フライデー襲撃事件」である。当時全盛であった写真週刊誌「フライデー」の編集部に、その取材方法を不服としたビートたけしおよびたけし軍団の一部が押しかけ、暴力事件を起こした。

 タレントの不祥事としては、珍しいタイプである。当時過激な取材方法が問題視されていたタイミングでもあり、フライデー側を非難する声も大きかった。テレビ番組とは直接の関係はないが、メインパーソナリティが謹慎したことにより、番組名の変更や番組主旨変更、終了などが行なわれた。

●「放送倫理」に揺れた90年代

 90年代は、芸能界の薬物汚染で幕を開けた。90年に俳優の勝新太郎が、ハワイ・ホノルル空港で大麻とコカイン所持で現行犯逮捕されると、マスコミはこぞってハワイに飛んだ。現地で行なわれた記者会見では、パンツの中に隠し持っていた理由を「気づいたら入っていた」、「もうパンツははかないようにする」などと煙に巻いた。「大麻パンツ事件」としておもしろおかしく報じられたが、のちに社会的影響が大きい事件の報道としてはふさわしくないとして非難された。

 その後もクリーンなイメージの歌手やタレントが相次いで覚せい剤取締法違反で逮捕される事件が散発的に発生したことで、これまで事務所に守られていたタレントに対しても、厳格な報道が求められるようになっていった。

 番組制作の姿勢や手法に対して、視聴者の厳しい批判が向けられるようになった事件に、93年のNHK「ムスタンやらせ事件」がある。これはネパール奥地の少数民族を追ったドキュメンタリーだが、撮影されたシーンに多くの「やらせ」があったとして問題になった。もちろん「やらせ」はバラエティ番組では「仕込み」として演出の一つだが、NHKのドキュメンタリー番組で行なわれた「やらせ」は放送倫理としてどうなのか、撮影のために演出するのはドキュメンタリーではないのではないか、といった議論が沸騰した。

 だが95年に、世の中がひっくり返るような大事件が起こった。「地下鉄サリン事件」である。この事件発生前から新興宗教団体「オウム真理教」は、坂本弁護士一家行方不明事件、松本サリン事件などに関係があるのではないかと言われており、事実確認が曖昧なまま、噂レベルであってもマスコミ各社はこぞって報道した。中には事件の渦中にある宗教団体の代表をワイドショーに出演させるといったことも起こり、テレビの放送倫理がより厳しく注視されるきっかけとなった。

 97年には、現在のBPOの前身となる「放送と人権等権利に関する委員会」が発足している。これに69年発足の「放送番組向上協議会」が統合されて、2003年に現在のBPOとなった。

 90年代は世の中全体が、狂乱の時代であったと言える。

●コンプラ強化が始まった00年代

 00年代に入ると、個人情報保護法の施行や放送法改正、BPO設立などが重なり、テレビ放送による青少年への影響や人権侵害に対する社会的関心が高まっていった。

 芸能事務所と放送局の蜜月関係は続いていたが、タレントが起こす薬物使用や暴行事件等によって刑事事件となる例が多くなると、世間の目は芸能人の行動に対して厳しくなっていった。

 そんな中でテレビ局自身の問題として07年に起こった大事件が、「発掘!あるある大事典II」捏造事件である。この番組は数々の現象を実験や検証によってあきらかにしていくという主旨で、特に健康やダイエット企画に人気があった。この番組で放送された食材は、翌日にはスーパーの棚から商品がすべて消えるほどの社会現象を巻き起こした。

 発端となったのは、07年1月放送の「納豆を食べるとダイエット効果がある」という内容である。納豆ダイエットで痩せたとされる人の写真は被験者と無関係、外国人大学教授の字幕テロップのねつ造、実験したと照会された被験者にコレステロール値や中性脂肪値を測定していないなど、効果があるという前提ありきで実験結果をねつ造するという、悪質なものであった。

 関西テレビの制作であるが、実際に制作したのは外部の制作会社とされている。過去の放送回でもねつ造があきらかになり、テレビ局側のチェック体制の杜撰さが指摘された。これにより関西テレビは民放連から除名処分を受けた。

 またこれをきっかけにBPO内でも新たに放送倫理検証委員会が設立され、番組委託制作に関わる契約条件、高視聴率への必要以上のこだわりなどが問題視されるようになっていった。

●ネットのパワーがテレビを弱体化させた2010年代

 10年代に入る頃には、SNS、特にTwitterは個人発信という範疇を超えて、社会的情報インフラの入り口に差しかかっていた。そこを起点として、Ustreamやニコニコ生放送などライブ動画への熱も高まり、今起こっている事をそのまま公開する「ダダ漏れ」は、伝える側が伝える内容を解釈・選択・編集しない、すべては受け手側が判断し、責任を負うものとされた。

 この考え方は、今やメディア論やジャーナリズム論では支持されていない。公衆送信する責任を発信者が負わないという考え方は、法的にも無理がある。この方法論は、多くの炎上事件を招いた。

 そしてその渦中の11年3月11日に、東日本大震災が発生する。政府もマスメディアもSNSも、混乱した。何が正しい情報なのか、もっと情報はないのかといった渇望から、TwitterやUstream、ニコ生がテレビに変わるメディアとして成立していった。

 実社会では、調査報告や会議、救助復旧活動が絶えず起こっている。放送時間という枠が決まっているテレビは、その全てを伝えることができない。それをネットライブが変わって伝えた。そこには、ダダ漏れ的な手法や考え方もまだ色濃く残った。現場で起こっている事に対して、解釈や判断が追いつかなかったが、取りあえず知りたいという欲求には応えることができた。その根底で、テレビは信用できないという雰囲気が醸成されていった。

 その不満が爆発したのが、11年8月の「フジテレビ抗議デモ」である。フジテレビの放送内容が韓流を過剰に賛美しているとして、SNSでの呼びかけに応じた人達が集結し、本社を囲んでデモ行進を行なった。この抗議行動はそれ以降も散発的に行なわれた。

 テレビの放送内容を巡って数千人単位の人が集まって抗議を行なうということは、近年なかった動きである。当時テレビ局は、ネットで何を言われようが実社会に影響はないとして無視を決め込んできただけに、この抗議行動はテレビ業界にネットパワーの具体性を認識させるといった方向に作用した。以降テレビ局は、ネットの評判を気にするようになっていった。

 00年代にはテレビの影響で商品が爆売れしたが、10年代には反転し、放送内容に問題があるとネット上の呼びかけで不買運動が起こるようになった。タレントへの不祥事にも厳しい目が向けられ、テレビ局よりもスポンサーに圧力がかかるようになっていった。スポンサー企業は自社商品に対する回答には慣れているが、提供番組のタレントにはより厳格さをテレビ局や広告代理店に求めることになる。テレビに対して「何が効くのか」が国民に周知され、最適化された結果である。

 19年には吉本興業所属の多数のタレントに対して反社会勢力との関係を指摘され、謹慎や退所が相次いだ。芸人と反社会勢力との関係は、11年の島田紳助引退によって社会的に問題視されてはいたが、この事件をきっかけに芸能事務所側の責任として、マネジメント体制や、芸人の行動監視がより強化される事となった。

 同じく19年から施行された働き方改革関連法により、番組制作現場による長時間労働やハラスメントが、「AD哀史」として注視されるようになっていった。

●平等とハラスメントに揺れる20年代

 20年代はまだ途中ではあるが、新型コロナウィルスの影響により、タレントの健康管理や行動規範にも注目が集まるようになった。またジェンダー差別をはじめとする各種ハラスメントが社会的にも大きくクローズアップされ、こうした差別や偏見を助長する表現が排除される傾向が強まった。

 21年には、BPOが「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」を審議対象とすることを発表した。これをきっかけとして、芸人の身体的特徴や容姿をいじって笑いを取るという方法論が衰退し、多くの芸人は方向性を転換せざるを得なくなった。

 ハラスメント問題で最大の事件は、23年に発覚したジャニー喜多川氏の性的虐待事件である。これは日本のメディアがすっぱ抜いたわけではなく、米国BBCのドキュメンタリー取材によって明らかになったことから、日本のメディア、特にテレビ局とタレント事務所間に自浄作用はないということが明らかになった。

 この問題は国際社会でも大きな注目を集め、最終的には事務所の解体と所属タレントの離散という結果となっている。年末恒例のNHK紅白歌合戦でも、23年、24年と2年連続で旧ジャニーズ事務所所属タレントが排除されるなど、厳しい対応が続いている。

 現在テレビに対する批判は、主に出演タレントに対するものが中心となっており、薬物使用、暴行、未成年との飲酒、不貞行為などが発覚すれば、即時の判断で放送中止や番組改変・再編集により処理される。テレビ局側も、次第にこうしたイレギュラー処理に慣れてきている。

 ある意味ではテレビ局は、コンプライアンスを強化することでふりかかる火の粉を振り払うことに成功したとも言えるが、それと引き換えに各局の個性が失われ、番組への関心が下がり、視聴率低下を招くといった事態に陥っている。

 BPOに関する最新のニュースでは、TBSのバラエティ番組にて、番組内容が広告と誤認するものではないかという疑いがあるとして、審議入りしたことが伝えられている。取材対象に対して過剰にサービスすることもまた、放送としては中立ではないという事である。

 放送倫理とは、昔はやってはいけないラインを探すことであった。だが現在はやってもいいラインすらぼやけている。表現活動は制限があるほうが面白いものではあるのだが、やれる範囲が狭くなった中で当たり障りのないものを作ることは、面白い作業ではない。テレビ離れは、作り手側からも起こっている。

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