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開発者だからこその世界最軽量へのこだわり――退任した富士通クライアントコンピューティング 齋藤邦彰会長の歩みを振り返る

ITmedia PC USER 2024年7月1日 17時0分

 富士通からPC事業を分社する形で、2016年2月に発足した富士通クライアントコンピューティング(FCCL)。その初代社長を務めた齋藤邦彰取締役が、6月27日付で退任した。

 齋藤氏は富士通(Fujitsu)ブランドのPC事業を長年に渡りけん引し、FCCLがLenovoグループと富士通との合弁体制となってからも、日本国内での開発/生産によるPC事業を推進し、日本のPC市場において強い存在感を発揮した。「世界最軽量ノートPC」の座を譲らないモノづくりを継続してきたのも、氏の“こだわりの経営”によるものだ。

 この記事では、齋藤氏のこれまでの歩みを振り返る。

●齋藤氏の略歴

 齋藤邦彰氏は、1981年4月に富士通に入社。オフィス事業本部(のちの情報処理事業本部)でファクシミリ(FAX)のエンジニアとしてキャリアをスタートした。その後1991年に、パーソナルシステム事業本部に異動しPCの回路設計などを担当し、ノートPC「FMV-BIBLOシリーズ」(現在の「LIFEBOOKシリーズ」)などの開発にも携わった。

 2002年には、パーソナルシステム事業部長に就任。2009年、パーソナルビジネス本部長として、富士通のPC事業全体の陣頭指揮を執るようになった。2010年からは執行役員、2014年からは執行役員常務として、PC事業と携帯電話端末事業を統括する「ユビキタスプロダクトビジネスグループ長」を務めた。

 先述の通り、2016年2月に富士通のPC事業はFCCLとして分社化された。同時に、携帯電話事業も富士通コネクテッドテクノロジーズ(現在のFCNT)として分社化されている。その際に、齋藤氏はFCCLの初代社長に就任。2018年5月からLenovoと富士通との合弁体制になった“新生FCCL”でも、引き続き経営をリードした。

 その後2021年4月1日、齋藤氏はLenovoグループ出身の大隈健史氏に社長のバトンを渡し、自身は取締役会長に就任した。この時の会見では、FCCL独自のAIアシスタント「ふくまろ」のキャラクターのかぶり物を、新社長に手渡すというパフォーマンスを行い、会場を沸かせた。

 そんな同氏も2024年4月、会長を退いて非常勤の取締役となった。そして6月30日をもって取締役も退任することになった。

●“ものづくり”にこだわっていた齋藤氏

 齋藤氏といえば、モノづくりが好きな経営トップという印象が強い。それはまさに、富士通ブランドのPCが常にユニークであったことの裏づけともなる。

 同氏が携わったPCの1つが、2000年9月に発表されたモバイルPC「FMV-BIBLO LOOX(ルークス)」だ。A5紙とほぼ同じコンパクトサイズ(幅243×奥行き151mm)で、1kgを下回る約980gの軽量化を実現し、DDIポケット(現在のソフトバンク)のPHSネットワークに対応するモジュール「H" LINK(エッジリンク)」によって、PCを開けばデータ通信がすぐにできるモデルも用意され、Transmeta(トランスメタ)の省電力CPU「Crusoe(クルーソー)」を初めて採用したことでも話題を集めた。

 実は、本機のCPU選定を担当したのが齋藤氏である。「今のスマートフォンの使い方と同じように、電車の中でもネットにつながり、作業ができるようにするためには、省電力化が欠かせなかった。どこまで省電力化できるかが、開発チームのテーマ。そこでいち早く、Crusoeの採用に踏み切った」と齋藤氏は語る。

 その後、CPUはIntel製に変わったものの、同シリーズは2011年まで進化を続けた。斎藤氏は「富士通のPCにとって、LOOXは特別なブランド。モバイルコンピューティングの世界をリードし続けるために、常に革新的な製品づくりを目指すブランドと位置づけてきた。新製品を投入する度に、従来モデルを超える高い目標を打ち出し、何度も試行錯誤を繰り返し、進化を遂げてきた」と振り返る。

 FCCLは2022年3月、富士通ブランドPCの40周年記念モデルとして「FMV LOOX」を復活させた。この復活にも、齋藤氏の強い意思が働いているという。

 FMV LOOXは13.3型有機ELディスプレイを採用し、別売の専用キーボードを接続するとノートPCとしても利用できる2in1タイプのWindowsタブレットだ。2022年1月に米ラスベガスで開催された「CES 2022」では、「CES Innovation Awards 2022」を受賞するというデビューを果たし、世界中から注目された。

 初代LOOXから、40周年記念モデルのFMV LOOXまで、齋藤氏のこだわりが詰まった製品だといえる。

 齋藤氏が「ものづくり好き」だと感じるできるエピソードは、いくつもある。

 2009年に行われた「CEATEC JAPAN 2009」のパネルディスカッションでは、同じ席に競合PCメーカーの幹部が並ぶ中、開発コンセプトモデルをいきなり披露してみせた。

 このとき公開したのが「Frame-Zero」で、ディスプレイの枠がないPCや携帯電話を組み合わせることで画面を拡大でき、画面サイズ一杯に画像やデータを表示することができるというものだった。家族や友人、会社の同僚が持っているPCや携帯電話を持ち寄れば、画面はいくらでも拡大することが可能で、切り離したときに、それぞれのデバイスにデータが共有され、自分の画面で見ることができる――そういうコンセプトだ。

 同氏はFrame-Zeroを「モノとモノのシンクロ、人とモノがシンクロできる未来のデバイス」と位置付けつつ、「社内では、将来のPCの形はどうなるかといったことをさまざまな角度から検討している。時代がやってくるのを待つのではなく、顧客がどんなものを望んでいるのかを先取りして提案をしている」と、富士通のPC事業の基本姿勢を語っていた。

 新たなことに挑戦する齋藤氏の姿勢は、FCCLのトップに就任してからも変わらなかった。2016年に富士通の完全子会社としてFCCLがスタートしたのにあわせて、斎藤氏の肝入りでスタートしたのが、新規事業創出プロジェクト「Computing for Tomorrow」だ。

 このプロジェクトでは、若手技術者などの自由な発想を元に、「PC」「タブレット」といった既存製品の枠にとらわれない製品やサービスの創出を目指し、年間予算を確保した。また、プロジェクトチームの参加者は担当業務(現業)から半年間離れて“専任”でプロジェクトに従事させるという仕組みまで構築した。

 この取り組みから、エッジコンピュータ「Infini-Brain」「ESPRIMO Edge Computing Edition」が生まれた他、電子ペーパー端末「QUADERNO(クアデルノ)」の製品化にも影響を与えた。

●あくなき「世界最軽量ノートPC」へのこだわり

 齋藤氏がFCCLの社長に就任してから、特にこだわっていたものの1つに「世界最軽量のポジションの維持が上げられる。自ら小型/軽量ノートPCの開発に携わってきたからこそ、強い思いがあったのだろう。

 FCCLは、2017年に発表した「LIFEBOOK UH75/B1」でモバイルノートPCの主戦場となる13.3型ノートPCにおいて当時の世界最軽量となる約777gを達成した。このときの記者会見で、齋藤氏は「(モバイルノートPCにおける)世界最軽量の座は譲らない」と宣言してみせた。

 現在はモバイルノートPCの主戦場は14型に移っているが、世界最軽量宣言をしてから約7年を経過した今でも、その座は譲っていない。

 少しこぼれ話をすると、UH75/B1が発表された直後、NECパーソナルコンピュータ(NEC)が最軽量構成で約769gとなる「LAVIE Hybrid ZERO」を発表した。

 FCCLは「世界最軽量」の座をいきなり失ったかに見えた。しかし、出荷開始までの1カ月間に島根富士通(FCCLのPC生産子会社)でUH75/B1の量産を行ったところ、さらに軽量化を進めて761gを達成できることが分かり、発売時点で“首位”の座を奪い返してみせた。

 世界最軽量の座を譲らない――そんな齋藤氏の意思が、開発現場や生産現場にも浸透し、最後の最後まで諦めずに軽量化に挑戦するという姿勢が定着していたことの証ともいえる。

 この姿勢は、2020年10月に発売された「LIFEBOOK UH-X/E3」でも顕著だった。

 本製品の発表会はコロナ禍でオンライン開催となったため、製品説明は事前のビデオ収録となっていた。収録は発表会の約2週間前に行われ、その時の本体重量は約638gだったという。しかし、開発チームはそこからさらに改良を加え、約2週間の間に約634gにまで軽量化してみせたのだ。

 会見では説明ビデオを放映した後、ライブで質疑応答が行われた。質疑応答に入る際に、齋藤氏は突然ボードを持ち出して、638gの末尾の「8」の部分のシールをはがし、“634g”と発表してみせた。せっかく撮影したビデオが間違いのまま放映された格好だったが、それだけ軽量化にこだわる意識が開発現場にも浸透していたことが証明されるエピソードといえるだろう。

 そして「634g」という数字にも意味がある。世界最軽量モデルの開発を担ったFCCLの研究開発(R&D)センターの最寄り駅は、JR南武線の武蔵中原駅(川崎市中原区)にある。「武蔵」が「634」と連動しているのだ。

 武蔵で生まれた世界最軽量PCだからこそ、634gであるという遊び心を持ちながらも、高いハードルに挑戦した――FCCLの開発チームの心意気だといえる。

●AIアシスタント「ふくまろ」に強いこだわり

 齋藤氏が、もう1つこだわってきたこととして、FCCLの個人向けPCに標準搭載されているAIアシスタント「いつもアシスト ふくまろ」がある。

 この機能は、アプリを起動して話しかけると、アプリ名の由来にもなった「ふくまろ」が回答してくれるというものだ。2018年に登場して以来進化を続けており、2023年11月にはAzure OpenAI Serviceを通じて「ChatGPT 3.5」を活用できるようになった。これにより、ユーザーとのやりとりがより自然になり、幅広い話題にも対応できるようになった。

 齋藤氏は、ふくまろに2つの役割を持たせた。

PCの利用促進

 1つはPCそのものの利用を促進することだ。齋藤氏は「PCは何でもできるが、その使い方が変わらないため、特定の用途や一部のアプリしか使われなかったり、場合によっては何もできなかったりというケースもある。PCを利用するときに、画面表示や音声によってアシストしてくれるのが、ふくまろの役目」と語る。より幅広い層にPCの利用を広げるためのツールに位置づけているわけだ。

 2021年からは、ふくまろの機能によって、高齢者を始めとする“デジタルが苦手な人”をサポートするサービス「ふくまろおしえて」を開始した。

 「高齢者にとっても、オンラインが使えるか使えないかで、生活が大きく変わってしまう時代が訪れた。しかし、『PCは難しく、今から覚えるのは無理だ』という声があるのも事実。こうした“難しい”という敷居を、ふくまろによって取り払いたい」と齋藤氏はサービスの狙いを説明する。

もう1人の家族

 ふくまろのもう1つの役割は「もう1人の家族」という用途だ。齋藤氏は「PCの利用をサポートしたり、新たな機能を簡単に使えるようにしたりといった『機能的価値』だけでなく、ふくまろが持つキャラクター性によって、愛着や癒しによる『情緒的価値』も提供できる」とする。

 実際に使ってみると分かるが、ふくまろのパーソナライズ機能は、順次強化されている。家族を見分けて名前で呼んだり、好みを覚えて会話したりすることができるようになっている。PCをより身近に感じてもらうための仕掛けが用意されている。

 齋藤氏は「ふくまろは、これからも進化を続ける。将来的には、より高い専門知識を持ったり、もっと生活に寄り添ったりといったことができるかもしれない」と語る。

 FCCLは「人に寄り添ったコンピューティング社会をリードしていく」ことを経営の柱に据えてきた。それを体現する重要な役割を担うのが、ふくまろなのだ。

 この取り組みは“長期戦”になることが想定される。だが、AIアシスタントである「ふくまろ」の存在は、人に寄り添うために重要だと齋藤氏は捉えている。

●富士通ブランドPCの特徴は「匠」「疾風」

 齋藤氏に「富士通ブランドのPCの特徴は何か?」と聞くと、必ず返ってきた言葉が「匠(たくみ)」と「疾風(はやて)」だった。同氏がパーソナルシステム事業部長だった2005年頃から使い始めた言葉で、かれこれ20年近く使っていることになる。

 「匠」は、匠の技によって、繊細さや日本ならではのクオリティーを実現する技術を指す。「疾風」は、顧客の声に素早く対応し、短いサイクルで先進的な技術を役に立つ機能として実現する取り組みを指す。

 これらは、川崎市に国内開発体制、島根県出雲市に国内生産、そして独自の国内サポート体制を持っているFCCLだからこそ実現できるものだと位置付けている。合弁体制となった“新生FCCL”がスタートした2018年5月のDay 1に、齋藤氏は「人に寄り添ったコンピューティングを実現する」ことを掲げ、「全ての主語に『お客さま』を置き、お客さまのために何ができるのか――それを、従業員一丸となって考え、突き進んでいく会社にしたい」と述べた。

 また、Day 1000を迎えた2021年1月には「世界一、お客さまに優しいコンピューティング会社になりたい」とも語っていた。ここにも一貫したメッセージ性を感じることができる。そして「FCCLの特徴は、期待をされればされるほど、力を発揮する会社である。その姿はこれからも変わらない」とも語る。

 富士通クライアントコンピューティングの社名には、あえて「コンピュータ」という言葉を使っていない。つまり「コンピューティング」としているのには意味があるのだ。

 齋藤氏はかつて、「社名をクライアント『コンピュータ』ではなく、クライアント『コンピューティング』としているのは、単にPCを作り、それを提供するメーカーという立ち位置ではなく、コンピューティングの力によって、お客さまの役に立ち、世の中にイノベーションを引き起こす“起点”となることを目指しているからだ」と語っていた。

 人に寄り添うDNAを持ち続ける企業としての地盤作りと共に、FCCLが「コンピューティング」の世界において、次の成長を遂げるための風土を作り上げたことが、齋藤氏の大きな功績だったといえる。

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