Infoseek 楽天

複雑化した日本のキャッシュレス決済を再びシンプルに JCBと九大発のベンチャーが挑戦する「画期的購買体験」の提案

ITmedia PC USER 2024年9月6日 14時0分

 ジェーシービー(JCB)と九州大学と提携するimago(イマーゴ)のシンクタンク部門「iQ Lab」が、全く新しい買い物体験「近づいてチェック」を開発/提案している。最近のiPhoneやAndroidスマートフォンの一部モデルに搭載されている「UWB(超広帯域)無線」を用いて顧客を認識するのが特徴だ。技術的な詳細は、10月21日から大阪市で開催されるFiRa Consortium(フィラコンソーシアム)のイベントで発表されるという。

 レジに表示された名前で“確かに本人であること”を確認するだけで、決済が完了するばかりか、酒やたばこを買うのに必要な年齢確認、割り箸やレジ袋の要/不要のリクエストなども完了できる。言葉に出さずにレジ係に“伝わる”という画期的な購買体験によって、買う側はもちろんレジ係の側の負担も大幅に軽減される。

 この体験の設計は、iQ LabがZ世代(1997年~2012年頃生まれの世代)やα世代(2013年以降生まれ)の両世代からニーズの調査を行った上で行ったという。しかしこの購入体験は、他の世代にも大きな恩恵を与えてくれそうだ。

 近づいてチェックの実現には、「UWB無線での通信が可能なスマートフォンの普及率向上」など幾つかの課題がある。iQ Labとしては、先述のFiRa Consortiumのイベントを通して他企業との連携を働きかけることで実現に近づけたいとのことだ。

 実現すれば、日本が再びモバイル決済体験の世界的リーダーに返り咲く可能性が大きい本サービス。先日、一足早く実証実験に参加してきたのでレポートしたい。

●仕組みを簡単に紹介

 近づいてチェックのユーザーは、レジの前に立つとその画面に自分の名前が表示される。レジの画面にあるボタンを押すことで本人確認が済んだとみなされ、支払いの準備が完了する。

 後はレジ係が商品の販売を登録(スキャン)し終えるのを待てばいい。登録が完了すると画面に合計金額と確認ボタンが出てくるので、金額をチェックして確認ボタンを押してレジから離れられる。

 仕組み上、スマホが無いと使えないサービスではあるが、UWB無線を利用するため身に付けてさえいれば、ポケットやバッグから取り出す必要すらない。スマホはレジ前に近づいてきたのが誰かを識別するために使われるのだ。

 これが、近づいてチェックの購買体験の画期的なポイントだ。レジの前に立ちさえすれば、レジ係に支払い方法を伝えたり、決済アプリを慌てて起動したり、金額を打ち込んだりといった負担が一切無くなる。そればかりか、事前にスマホで登録しておけば、年齢情報の確認や割り箸やレジ袋の要/不要のリクエスト、弁当の温めの要/不要のリクエストも自動で伝達される。

 ゆえに、他人との会話が苦手なZ世代やα世代の人も、レジ係と会話をせずに会計を済ませられる(個人的には、敬意を示してあいさつの会釈くらいはしてほしいところだが……)。

 このサービスの裏側の技術や仕組みを、技術に詳しい人向けに簡単に説明しよう。

 実はレジの列に並んでいる時点から購入客のスマホ側もレジの側もBLE(Bluetooth Low Energy)の技術で、決済に向けての準備は始めている。その後、順番が回ってきてレジの前に立つと、今度はUWBという技術が表に立ちユーザーがレジの至近距離にいるか否かを認識する。

 UWB無線は10cm以下の精度で距離を測定できることが特徴で、Appleの忘れ物防止タグ「AirTag」にも使われている。スマホでは、iPhone 11以降のiPhone、Google Pixelの一部(※1)、Samsung Galaxyの一部(※2)などで利用可能だ。

(※1)Pixel 6 Pro以降の「Pro」モデル(Pixel 9 Pro XL、Pixel 9 Pro Foldを含む)と、Pixel Fold(※2)Galaxy Note20、Galaxy S21+/S21 Ultrai以降の「S+」「S Ultra」モデルと、Galaxy Z Fold2以降の「Galaxy Z Fold」シリーズ

 忘れ物防止タグ以外でも、Appleが「AirDrop」の快適さ(送信先の特定精度)向上に活用していたり、幾つかのメーカーの自動車においてデジタルキーで使われたりしているが、“まだまだ”広く使われているとはいえない状況だ。

 もしかすると、近づいてチェックはUWB無線による通信の大きなブレイクスルーのきっかけになるかもしれない。

 先述の通り、このサービスは大阪市で開催されるFiRa Consortiumのイベントでも紹介される予定だが、「そもそも『FiRa Consortium』って何?」という人もいると思うので紹介しよう。

 FiRa ConsortiumはUWB無線技術を推進する業界団体で、FiRaは「Fine Ranging(高精度距離測定)」の略に由来する。主要な参加企業としてはドイツのBosch(ボッシュ)、オランダのNXPの他、Apple、Google、Samsung Electronics、Cisco Systems、Qualcommなどがある。

●始まりは「タッチしないタッチ決済」という発想

 近づいてチェックに関わる技術開発は、JCBがりそなホールディングスやベスカと共同で立ち上げた「タッチしないタッチ決済プロジェクト」に端を発する。

 昨今普及しているQRコード決済では、決済時にユーザーが「スマホを取り出す」「アプリを起動する」「QRコードの表示(または読み取り)操作を行う」「スマホの画面を提示する」という一連の操作が必要となる。

 このプロジェクトでは、ユーザーの所有物とデバイスの位置特定技術を組み合わせて、シンプルかつ質が高いユーザー体験(決済)を実現しようとするというコンセプトを掲げた。ここでいう「デバイスの位置特定技術」として想定されたのが、BLEやUWB無線だ。

 しかし技術開発に当たり、ジェーシービーは幾つかの課題を解決しなければならなかった。

 1つはUWB技術の普及だ。UWB無線を使う場合、スマホだけでなく、レジにもUWB通信機器を搭載する必要がある。そうなると、パートナーとなるチップメーカー(あるいは機器メーカー)を見つける必要もある。通信行政上の心配もあるが、この点は自動車の鍵などでも利用されていることから、問題としては大きくないと見られる。

 より重要なのは、スマホやOSを開発するメーカーがサードパーティーにUWB無線を使わせてくれるかどうかという問題と、ユーザーや店舗が技術を受け入れてくれるかという課題もある。この点については、Appleは「Nearby Interaction」というAPIを通してサードパーティー開発者もUWB無線を使う仕組みを用意している。またGoogleも、サードパーティー開発者向けにUWB無線を扱うためのAPIを用意している。少なくともOS(アプリ)レベルでは問題なさそうだ。

 そして「ユーザーや店舗が技術を受け入れてくれるか」という課題について、JCBはiQ Labsと連携することにした。

 先述の通り、iQ Labはimagoのシンクタンク部門だ。九州大学内に活動拠点を置き、ほとんどのスタッフが現役の同大生、または同大の卒業生である。コロナ禍における遠隔授業のサポート体制構築など、大学が抱える課題の解決から、Z世代/α世代が持つ“本音”のニーズを掘り起こす調査まで、さまざまな業務をこなしている。そこから派生して、調査結果に基づいた製品開発や、UX(ユーザー体験)デザインも手掛けている。

 JCBからの相談を受けたiQ Labは、Z/α世代に対して買い物に関する調査を行ったところ、購買体験の煩雑化が客にとって大きなストレスになっていることに加え、レジ作業をする店員の負担増や接客トラブルの原因になっていることが改めて明らかになった。

 キャッシュレス決済の多様化やポイントプログラムの増加、会員証アプリやデジタルクーポンの普及、環境対策……など、さまざまな要素が重なって、レジでの決済時に客が意思表示をしなければならないタスクが増えた。その結果、店員との口頭確認が増え購買体験が煩雑化。聞き間違いや伝え間違いによるトラブルも多く発生している。

 このことは店員との対話に苦手意識を持つ若者が買い物を敬遠する一因となりうるだけでなく、「できればヘッドフォン(イヤフォン)を付けっぱなしにしていたい」という今時のライフスタイルにも合致しない。

 そこでiQ Labがデザインした購入体験が、近づいてチェックなのだ。

 本サービスが目指したのは、購買体験のワンストップ化だ。先述の通り、UWB無線を搭載したスマホに事前の設定を行っておけば、決済だけでなくサービスの要望も自動で伝達できる。聞き間違えなどのミスも防げるという意味で、画期的な購買体験ともいえる。

 ただ、「いつもは弁当を温めないけど、今日だけは温めたい」「いつもは割り箸はいらないけれど、今日は必要」といったイレギュラーもあるだろう。その点については、レジの画面からその場で変更できるようになっている。

●世界を目指せる日本の技術

 近づいてチェックは体験設計としても優れており、筆者はこの技術が広まれば、日本は再びモバイル決済体験で世界のリーダーの座に返り咲けるかもしれないと感じた。

 かつて、日本はモバイル決済の先進国だった。携帯電話/スマホに交通系ICカード(Suica/PASMO)を入れておけば、首都圏を中心に電車/路線バス/タクシーなどさまざまな公共交通に乗車できる上、いろいろなお店での買い物や食事を楽しめる。タッチだけで載ったり支払ったりできる体験は、世界から称賛されていた。

 しかしその後、交通系ICカードと同じFeliCa技術を使った非接触決済サービスが“乱立”し始め、さらにはQRコード決済サービスも“乱立”した。乱立の連続によって、モバイル決済は極めて複雑で手間の掛かるものとなった。

 店頭のレジにもよるが、まず「タッチ決済」「(QR)コード決済」「クレジットカード」「現金」といった支払い手段を選ばなければならない。特にコード決済の場合、レジシステムによっては乱立するサービスの中から1つを選ばなければならない。そしてスマホで表示したQRコード/バーコードをレジで読み取ってもらうか、スマホで店頭に掲示されているQRコードを読み取って支払い額を入力する必要がある。

 スマホでタッチしてすぐに支払い完了というシンプルさこそが、多くの人を魅了していたのに、払おうと思ったら「すみません。うちはそのサービスには対応していないんです。「○○Pay」は使っていますか?」といったやりとりは、労働者不足でそうでなくとも負荷の大きいレジ打ちの仕事にも負担をかけている。

 労働力不足が大きな課題となっている日本で、まさに時代の流れに逆行する変化だった。

 そうこうしている間に、欧米などではNFC Type A/Bを利用した「EMVコンタクトレス」という非接触決済が普及した(日本では、FeliCaを使った非接触決済と区別する意味で「タッチ決済」と呼ばれることが多い)。

 「Touch or Cash?」と聞かれたら「Touch!」(あるいはTap)と答えれば、EMVコンタクトレス対応の物理カードはもちろん、Apple PayやGoogle Payでスマホに設定したEMVコンタクトレス対応バーチャルカードで支払える。かつての日本のシンプルモバイル決済の快適さが、欧米では(ある程度地域差はあるものの)定着しつつある。

 筆者はこの事態が残念でならなかったが、政府も企業も今から乱立する決済サービスを減らしてはくれなさそうだし、この状況で我慢するしかないのかと半ば諦めていた。

 そんな中、近づいてチェックが登場したことはまさに“福音”のように感じる。開発主体はJCBではあるが、支払い方法も事前設定項目の1つとなっており、JCBブランドのカードだけに閉じた提案ではない。

 奇しくも10月に大阪で開催されるFiRaのイベントに向けて、ぜひ政府にも後押ししてもらい、いずれは日本発の画期的な購買体験として今度こそ世界を制してもらいたいと思う。

この記事の関連ニュース