合理的なキー配列、コンパクトさ、そして壊れにくさで定評のあるキーボードが「Happy Hacking Keyboard」(以下、HHKB)である。2023年10月、マウス操作も含めた入力操作のほとんどを最小の手の動きで実現する「HHKB Studio」が登場し、大きな話題を呼んだ。約1年後の24年10月2日には、純白の「雪」モデルが追加され、さらに注目を集めた。
このように順当な進化を遂げるHHKBを愛してやまないユーザーたちが一堂に会するイベント「HHKBユーザーミートアップVol.8」が11月7日にベルサール神田(千代田区)で開催された。例年通り、HHKBのこれまでの歩みやオーバービュー、また、HHKBエバンジェリストを招いてのトークセッションが行われた。その様子をレポートする。
●HHKBの快進撃! 60万台突破の軌跡
HHKBが誕生したのは1996年12月20日で、間もなく28周年を迎える。PFUの清水康也氏(常務執行役員)は「四半世紀以上も(製品を)育てていただいたのは、熱量の高いファンからのサポートのおかげ」と、まず感謝を述べた。
2023年には、27年ぶりとなる新機軸のHHKB Studioが登場した。同製品には予想を超える反響があり、2日連続でSNSでのトレンド入り、1カ月半で半年分の受注、同社Webサイトへの史上最高のアクセス数などを記録したという。
PFUの本社所在地と関係の深い、能登半島地震についても清水氏は触れた。奥能登では被害が大きく、液状化現象により自宅が傾いていまだに自宅へ帰れない人もいるという。特に復興が進んでいないのが、現地の伝統工芸を支える輪島塗の工房だ。
「2006年に(HHKB Professional HG/HG JAPANで)コラボさせてもらった『大徹八井漆器工房』(だいてつやついしっきこうぼう)も大打撃を受けている」と清水氏。そこで復興応援のためMakuakeプロジェクト「能登半島地震復興応援 Re:Japan」を立ち上げた。
これは輪島塗の技法で、HHKB StudioのキートップセットまたはアクセントとなるEscキーやCtrlキーに、漆塗りを施したものをリターンとして提供するというものだ。
「開始からわずか数分でEscキーまたはEscキーとCtrlキーのセットは完売。132万円もする漆塗りキートップとHHKB Studioのセットも4組が完売するなど、みなさんの温かい心意気に感動しました。ありがとうございます」(清水氏)
続いて登場したのは山口篤氏(ドキュメントイメージング事業本部 販売推進統括部長 HHKB戦略シニアエキスパート)だ。
グローバルでHHKBの累計出荷台数は2022年に60万台を突破し、2024年8月には70万台を突破した。特にこの2年半で10万台の出荷があったという。急進の理由については「コロナ禍で、在宅ワークをするユーザーの間に2台持ち、3台持ちというブームが見られた」と山口氏は分析する。
シリーズ別では、2023年には17%を占めていたHHKB Studioが34%を占めるまでに躍進した。そもそも2023年の2カ月間でHHKBシリーズ全体の17%という比率で売れたことにも驚きだが、着実にStudioユーザーが増えているということがよく分かるグラフである。
配列別では、日本語配列が4ポイント増えた。プログラマーの中に日本語配列を好む人が増えたことが原因ではないかと、同イベントでなぜか毎回のように司会に呼ばれる、ほげ技研の小山哲志氏が横から解説していた。
年代別では、10代で0.7ポイント、50代で3.6ポイントの伸びが見られた。「10代でこれをお買い上げいただくというのは、なんともうらやましい。そして、4万円もするキーボードに手を出せる世代になってきた、というのが50代なのかもしれません」と山口氏は分析する。とはいえ「30代、40代がボリュームゾーンとして愛用してくださっているのはうれしい」と感謝を述べた。
男女比についてはどうだろうか。23年から24年にかけて、0.3ポイント減ったが、「10月2日にHHKB Studioの雪モデルが出たことで、女性ユーザーが年末までに増えるのではないか」という予測を立てていた。
ユーザーアンケートでは、タイピングのしやすさへの感動の声がありつつ、カラーバリエーションやジェスチャーパッド(HHKB Studioの左右手前側面に搭載されているタッチセンサー)の精度を上げてほしいという声もあった。
そして、それに応えるべく、2024年2月にはHHKB Studioのキートップ3Dデータの公開と、カラーキートッププロジェクト第一弾として「桜」の販売を行った。
3月には、もともと無刻印のようなHHKB Studio墨モデルであるにもかかわらず、“究極の没入感”を得るために(?)、本当の無刻印キートップセットの販売を開始した。「(キーボード専門ショップの)遊舎工房ではレーザー刻印サービスを行っているので、こちらの無刻印キートップセットを購入して、好みのフォントや文字、デザインを刻印してもらうこともできる」と山口氏は付け加えた。
また、前述した「Re:Japan」プロジェクトにも触れた。「2006年のHHKB Professional HG/HG JAPANでは、50万円だったが、今回は132万円になってしまった。その理由は金の価格が上がったから」と価格について説明する。「これからもできる限り、復興を支援していきたい」と述べ、山口氏は会場にいるユーザーたちに同じような支援を依頼した。
新しいところでは、10月のHHKB Studio 雪モデルの発売がある。桜キートップでは、ソメイヨシノをイメージさせる赤が刻印に用いられたが、雪モデルでは「クールグレー」が採用された。全体のトーンを崩さない色合いで、HHKBの開発陣が刻印にまでこだわっている様子がよく分かる。
なお、HHKB Studio 雪モデルには、最初から「無刻印」と「黒印字」のキートップセットのバリエーションが用意されている。Apple Vision ProのようなXRゴーグルを装着するときには、黒印字のキートップに換装すると、視認性が高まるだろう。
SNS連動企画では、毎年恒例のバレンタインチョコレートネタやエイプリルフールネタについても振り返っていた。「どこかの製菓メーカーとキーボード型チョコレート制作でコラボしたいのに、なかなか実現しない」という反面、エイプリルフールの「キー数の多さ世界一」というネタにはクラウドファンディング各社から「作りませんか」という問い合わせがあったという。
「拾い上げてもらえるというのは、よく分からないけど面白いネタだと思ってもらえているのかな。2025年もご期待ください」と語った。
その他、家電量販店での取り扱いがないHHKBを手に取れる「HHKBタッチ&トライスポット」が2024年だけで14施設増えて23施設26店舗に置かれていること、HHKBの魅力を伝える「HHKBエバンジェリスト」が3人増えて合計44人になったことも紹介された。
増えた3人のうちユーザーミートアップに参加していたニッポン放送の現役アナウンサー、吉田尚記氏がステージに呼ばれると、会場からは拍手が沸き起こった。
突然、ステージに呼ばれた吉田氏は「何をしゃべればいいんですかね」と言いつつも「会社の中で一番たくさんの企画書を書いたアナウンサーだと思う。大学院へも通っているので、研究計画書も書く。大量に文字を入力しているが、HHKBだと疲れない。いい万年筆を使うと、思っていた以上にたくさん書いてしまうのと同じ効果があると感じている」と、しっかりHHKBの良さをアピールしていた。
乾杯の音頭をとったのはHHKB首席エバンジェリストの松本秀樹氏だ。「首席じゃなくて“酒席”ですよ」と冗談を言いつつ、「28歳を迎えるHHKBが、末永く皆さまとビジネスを続けられること、皆さまのご健勝を祈念して……ヘンタイ!」と掛け声を掛けた。
●まさかの「キーボード、最近使っていないな」発言も飛び出したスペシャルトークセッション
ゲストを迎えてのスペシャルトークセッションは「ワークスタイル変革 VR、XRの今後とHHKBの可能性」というタイトルで行われた。ゲストは東京大学情報学環教授/ソニーコンピュータサイエンス研究所 フェロー・副所長の暦本純一氏と、AI/ストラテジースペシャリストの清水亮氏、ファシリテーターはフリーランスライターでThunderVolt編集長の村上タクタ氏だ。
「名だたるゲストが……」と思っていたところ、登壇者全員がApple Vision Proを装着しているという異様な光景に会場はざわついた。村上氏はひっきりなしに右手の人差し指と親指で作った輪を上下に動かしているし、暦本氏も清水氏も、両腕を左右に広げたり、上げ下げしたりと挙動不審だ。
村上氏が「HHKBのインタフェースやキーボードのこれからについて語っていただきたい」と話を振ると、清水氏は「HHKB Studioにはポインティングスティックがついていてこれが良い。Apple Vision ProはHHKB Studioがあって完成する製品だと思っている」と語る。
「Apple Vision Pro内にもバーチャルキーボードが出てくるし、視線での入力や選択もできる。しかし入力しづらいし選択した位置が微妙にズレていて、それがクリティカルなミスを誘発することもある。家でも新幹線でも同じ環境で作業できるこの組み合わせは、自分にとってなくてはならないものとなっている」(清水氏)
最初のキーボードがテレタイプ端末の「ASR-33」で、次がDEC(Digital Equipment Corporation)の「VT100」だったという暦本氏は「そのせいで、今でも打鍵圧が強い」と振り返る。「1日使うと、右の小指が使い物にならなくなるくらいキーが硬くて、小指の疲れ具合でプログラム作業を終了させるといった具合だった。今考えれば、大リーグボール養成ギプスですね」と笑いを誘っていた。
「AI最新動向」のテーマトークでは暦本氏が「声を出さなくても声帯をセンシングして入力する技術も開発されているし、音声入力はAIのおかげもあり実用レベルに近づいている。聞き取りを間違えたとしても、AIが自動的に訂正してくれる。とはいえ、修正を考えると、やはりキーボードの方が入力は速いと感じている」と述べると、清水氏は「コンピュータとの付き合い方が最近変わってきている」と異なる意見を述べた。
「例えば、量子生物学で線虫を使った実験に何があるのかをChatGPTに声でたずねると、検索して自然言語で回答してくれて勉強になる。しかも、自分の質問もChatGPTの回答も文字として残る。残ったテキストを再度ChatGPTに投げ込めばまとめてくれもする。キーボードに触らずに本を書けるのではないか」(清水氏)
村上氏も「1時間ほどの散歩の間、『新製品をネタにして記事を書きたいので箇条書きでまとめて』とAIに話しかけると、キーボードを使わずに下書きが出来上がる」と、登壇者2人がまさかの「キーボードを使わない発言」を行うという異例の事態が生じていた。
しかし、「VRの世界では、結局キーボードはどうなっていくのでしょう」という村上氏の質問に対し、清水氏は「いるでしょう」と即答する。そして「コード書くのに必要でしょう」と付け加えた。
暦本氏も、「プログラム書くときに口で“include stdio.h”とか言わないから、いるでしょう」と答えつつ、「最近、首を痛めてしまい下を向くのがつらい。それで分割キーボードを自作した。腰の左右に装着し、ゴーグル(HMD)をかぶれば、歩いていてもコードが書ける」と自作分割キーボードを見せつつ説明した。
その流れでHHKBが今後、どのようになっていくのか、どうなってほしいのかというテーマに移ると、清水氏は「HHKB Studioにレールシステムでディスプレイやラズパイなどさまざまなモジュールを取り付けて、これ1つで仕事をできるようにしてほしい」と会場にいる松本氏に目をやりながら希望を述べた。
暦本氏は「分割キーボードのようなウェアラブルキーボードを作ってもらいたい。(HHKB)Professional(シリーズ)のような王道はあってもいいけど、それ以外は変態を作ればいいじゃない」と力説する。
その要望を肯定すべく、村上氏が「腰のあたりに装着できれば、電車の中でもこうやって入力できますしね」と実演してみせると、「ヤバい人ですね」「通報されますね」とすかさずツッコミが入っていた。
キーボード不要説まで出たトークセッションだったが、最後に村上氏が「今後のHHKBについて一言ずつお願いします」と話を振ると、清水氏は「HHKB Studioを作ってくれたことにマジ感謝してる。松本(秀樹)部長からこういうのが出ると聞いたときには、何を言っているんだこの人はと思ったけど、マジ最高」と現在の心境を述べてから次のように語った。
「音声入力が発達して精度が高くなっても、魂を込めた文章を書くときにはこれからもキーボードを使っていきたい。HHKB Studioは魂の相棒だし、この質量がHHKB Studioへの愛の現れだと思っている。キーボードがあるから、1文字1文字を入力しながら読者の感情をコントロールできる。世界中の人類がキーボードを使わなくなっても、自分は使い続けたい」(清水氏)
暦本氏は「筆記用具と同じでいいものを使うのは、これからやろうとしている作業への向き合い方、マインドに影響を与える、生活の根源的豊かさに違いが生まれる」という持論を述べ、次のように付け加えた。
「スーツに4万円しか掛けない人と40万円掛ける人がいる。毎日使うもの、触れるものに4万円しか掛けないで満足できるのか。最も触れているものに投資をしないでどうするの? と思ってしまう。いい加減なキーボードで人生を無駄にしないでほしい。もっとキーボードに投資してほしい。筆記用具に対するのと同じように、仕事で一番触れることの多いところに投資するというすばらしい文化を大切にしてもらいたい」(暦本氏)
●132万円のHHKB Studio実機も展示
会場を入ってすぐのところは展示コーナーとなっていた。今回の展示の特徴は、HHKBのさまざまなシリーズを集めたものというより、いかにカスタマイズできるかの提案と、能登半島地震復興に関するものであった。
正面には初代輪島塗HHKBであるHHKB Professional HG/HG JAPANと、Makuakeでキャンペーンを行った能登半島地震復興応援 Re:Japanモデルを展示して、違いを確認したり、漆塗りのキートップの感触を確かめたりすることができた。
「これが132万円のキーボードですよ。触れますよ」とスタッフに案内されると、すぐに人だかりができていた。筆者も「こ、これが132万円の手触り……!」と堪能することができた。
HHKB Studioキートップの3Dデータを公開したことにより、カスタマイズしやすくなった。輪島塗キーボードと同じ展示台にはDMM.makeで社員が作成したキートップの数々が並んでいた。ヒョウ柄のもの、レインボーカラーのもの、クリアアクリルで作成したもの、アルミやステンレスで作成したものなどだ。
なお、ステンレスキートップは重さがあるため、特にスペースキーではキースイッチがキートップを支えきれず、常にスペースを入力し続けるという欠点があったという。自作する場合は、素材にも注意が必要だろう。
広島の松葉製作所は、既存のパームレストなどの他、開発中のキートップセットも展示していた。Enterキー、Shiftキー、Escキーなどキートップの一部をカスタマイズできるもので、プラモデルのようにランナーから切り取ってミツロウのワックスがけを行い育てていくものと、はめ込むだけで良い状態に仕上げたものを制作予定だという。
展示していたのはウォールナット、ブラックチェリー、黒壇であったが、要望に応じて、他に適した樹種が見つかれば別の素材でも製作するとのことだ。
バード電子では、HHKB Studio向け尊師スタイルユーザー御用達の「キーボードブリッジ」や、HHKB Studio向け「キーボードルーフ」などを展示していた。HHKB Studioの奥行きに合わせたサイズのキーボードブリッジや、雪モデルにぴったりな「フリーザー」カラーをすぐさま販売するなど、その開発スピードに驚かされる。
ファーイーストガジェットでも尊師スタイルを実現するアクセサリーを展示していたが、こちらのアプローチは「サイズの最小限化」である。2つ1組であることから、「タイプスティックス―#打ち箸」と名付けられている。その他、スマートフォンやタブレットをHHKB Studioに取り付けてラップトップPCのように使えるはめ込みスタンドも開発中ながら展示していた。これが販売されるようになれば、机のないセミナーイベントでも、膝の上で取材メモを取れそうだ。
2023年10月24日以前は「ユーザーがHHKBに合わせる」必要があった。しかし、HHKB Studioが登場した25日以降は「HHKBがユーザーに合わせる」ことができるようになった。
専用のキーマップ変更ツール、自作キートップやアクセサリーを使ってのカスタマイズなどの他、雪モデルというカラーバリエーションの追加により、ユーザー“が”使いやすいキーボードへと育てられるようになった。
4万4000円という価格を高いと思うか安いと思うか――熱意あるユーザーたちに支えられて大盛況のうちに終わったが、真剣に考えさせられるイベントであった。