神戸が舞台となっているNHKの連続テレビ小説「おむすび」。17日の放送では「あの日」からちょうど17年後が描かれ、ヒロインの結(橋本環奈)は家族や商店街の人々ともに阪神・淡路大震災で犠牲になった人々を追悼して黙とうを捧げた。
劇中で結の父、聖人(北村有起哉)が「徐々に忘れられていくんかな、あの日のこと。20年後、30年後でも、覚えてくれとう人おるんかな」とつぶやいたのに対し、結と同じ平成世代で幼なじみの佐久間菜摘(田畑志真)は「おるに決まってるやないですか、しっかりうちらの世代が伝えていきます」と力強く返した。
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30年前の1月17日、大学生だった私は大阪北部の自宅で被災した。下から突き上げるような激しい揺れが一発、二発。自身が寝ていた枕元には家具が倒れ、家中の戸棚からは多くの食器が落ちて、破片が飛び散った。2時間以上に及ぶ停電の後、通電したテレビ画面に大写しになったのは倒壊した阪神高速道路やあちこちから火の手が上がる神戸の街並み…。大好きだった街は変わり果てた姿と化した。
数日後、水道やガスなどのライフラインを絶たれ、半ば孤立状態になっていた祖父母を迎えるため、自家用車で兵庫・西宮へ向かった。祖父母の自宅に近づくほど、私は言葉を失った。祖父に連れられてたびたび釣りに出掛けた武庫川の河岸道路は激しくひび割れ、辺りにはぺしゃんこに崩れ落ちた家々や傾いた建物が続いていた。世間知らずの一介の学生が初めて「死」を実感し、その人生観を変えるには十分すぎるほどだった。
「あの日」から30年、神戸の街は完全に蘇ったように見える。だが、大切な人を、大切なものを失い、そこから大きく前に進めずにいる人々がいることもまた事実だ。「おむすび」の劇中でもあったように、そんな状況でもっとも恐ろしいのは被災地や被災者が忘れ去られること、つまり「風化」だ。
2020年、NHKが「心の傷を癒すということ」というドラマを放送した。震災発生時、自ら被災しながらも、他の被災者の心のケアに奔走した若き精神科医・安克昌氏をモデルに、彼が寄り添い続けた人々との「心の絆」を描いたものだ。安医師を柄本佑が演じ、今月12~13日には5年ぶりに再放送されたが、私自身は震災を描いた数多のドラマの中でもっとも優れたドラマだと思っている。
このドラマは、安医師が産経新聞夕刊で震災発生の約2週間後から1年間執筆した「被災地のカルテ」をもとに出版された同名の著書がベースとなっている。安医師は2000年、がんのため39歳の若さで早世したが、災害時の心のケアの先駆者として、30年後の我々に「弱さや傷に寄り添う社会」を作ろうというメッセージを残した。
一方で16日には、日米通算4367安打の大記録を持つイチローの野球殿堂入りが発表された。奇しくも震災30年の前日に、野球人にとって最高の栄誉を手にしたことになる。当時イチローが所属したのは神戸市に本拠地を置いていたオリックス。1995年、「がんばろうKOBE」を合言葉にチームをリーグ優勝に導くと、翌96年には日本一となり、イチローは文字通り復興の象徴となった。サンケイスポーツによると、イチローはこう語っている。
「一被災者として経験した思いを子供たちに伝えていけたらなと思っています。そして、これからも自分なりに進んでいく姿が誰かのきっかけになったり、支えになったり、そんなふうになれたらいいなと」
先程、「風化」は恐ろしい―と書いた。それは震災の記憶が薄れることで、「備える」こと、つまり防災意識や防災行動に支障をきたすからだ。さらに、行政など各所へのメッセージも弱まることで有形無形の援助が減っていくことも危惧される。
そうした意味で、冒頭のおむすびの台詞や安医師が残したメッセージ、イチローの言葉は風化を防ぐ強烈なメッセージだ。イザ!はこうしたエンタメやスポーツ、グルメの情報を通じて、今後もこうしたメッセージを伝え続けていく。
阪神大震災から30年、東日本大震災から14年。いずれの地も「あの日」を知らない世代が増えてきた。残念ながら、風化は防ぐことはできない。だが、伝え続けることで風化の「速度」を落としたり、緩やかにすることはできる。イザ!を運営する者の一人として、それが私たちメディアに課せられた一つの役割だと信じている。
(産経デジタル コンテンツプロデュース部長・田端素央)