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順風満帆だった中学受験は一気にどん底へ 併願校に計55万円の入学金、終了は2月6日 リアル中学受験

iza(イザ!) 2025年1月10日 13時0分

上の娘は2月1日で終えたが

中学受験を目指す家庭では正月気分もなく、今はカレンダーを前に併願校を含めた最終的な受験スケジュールを調整している時期ではないでしょうか。

首都圏では1月の埼玉、千葉入試が始まり、2月1日からは、いよいよ都内と神奈川の入試に突入します。ここに合格発表日と入学金納入の締め切り日が微妙に重なってくるため、親としては気が気ではない毎日が半月以上続きます。

都内在住者であれば、1月に埼玉か千葉で合格した上で、2月1日を迎えるのが理想でしょう。埼玉や千葉の学校もそのあたりは見越して、入学金の納入は2月上旬の結果がほぼ出るまで待ってくれています。

ではなぜ、タイトルのようなことが起きたのでしょうか。今年、中学受験に関係のある方にとっては、想像もしたくない流れですが、こんなことも起こりうるという視点でご参考にしていただければと思います。

我が家には2人の娘がいます。以前にこの企画で、上の娘の時に塾から「親は教えないでください」と言われたため、塾を辞めたという話を書きました。その娘は、紆余曲折はあったものの、1月に千葉を抑えた上で、2月1日の第1志望校に合格、2校ほど出願していたその後の併願校は受けずに済むという、かなり理想的な展開で中学受験を終えました。

だから安心していた、という訳ではないですが、下の娘の時も「何とかなる」という甘い気持ちはあったと思います。しかも塾では入塾以来、最上位クラスから落ちたことはなく、上の娘の時のように塾ともめることもなく、塾の勉強だけを淡々としているだけで、成績は高め安定という順風満帆さでした。

授業内容を親に話す子

少々、親馬鹿になりますが、娘はなぜ成績が良かったのでしょうか。授業中も落ち着きのなかった自分の小学生時代とは全く違いました。娘は低学年のころはむしろ、ぼーとした印象だったのですが、学校の授業は非常によく聞いていて、どんな勉強をしてきたのか親に一から十まで話すのです。しかも目が悪かったため、進んで一番前の席に座っていたようです。

塾に行き始めてからも帰宅後に塾でやったことをずっとしゃべっていました。家でそれほど勉強していたわけでもないので、塾や学校の授業でほぼ吸収し、親に話すことで整理して復習していたのかもしれません。夫婦ともにそれほどの学があるわけではないので、正直なところ「変わった子だ」と思っていたぐらいです。

そんな状況でもあり、「女子校は何となく気が進まない」というので、本命校は都内共学の最難関校に決めました。この学校は新進の人気校でもあり、女子御三家のように入試日が2月1日だけでなく、1日、2日、5日の3回の入試がありました。とはいえ、御三家などと重なる1日が最も入りやすく、後になればなるほど定員も減り、偏差値も上がっていきます。ここは何としても1日入試で決めたいところでした。

大問全部間違い

併願校はまず、本番の予行演習として正月明けに地方女子校の東京入試、1月下旬に埼玉の女子校、1日、2日に本命校、3日に第2志望の女子校というスケジュールです。5日にも本命校の3回目の入試がありましたが、定員が十数名程度だったことや、そこまで引きずることはないだろうと、願書は出しませんでした。

模試の判定は、御三家なども含めほぼA判定、本命校の学校別模試や過去問でも難なく得点できていたのです。2月1日が仮にダメでも2日も合わせて2度も受験できるのだから落ちるはずがないと親も気が緩んでいたのかもしれません。本命校以外は過去問もほとんどやりませんでした。

1月受験はすんなりと合格し、理想的な展開の中で、1日の本命校の受験も無事終えました。本人はいつものように試験の様子を話し始め、もらってきた入試問題の解説も始めました。この様子なら大丈夫だと思い、娘には内緒でネット上に出ていた解答速報をこっそり見ました。どこかの塾がアップしていたものでしたが、いきなり国語の選択式の解答が、「イアオエウ」と「ウエアイオ」のように大問ぜんぶ違うのです。

真っ青になりました。他の科目も恐る恐る見ましたが、全体的に「よくできている」という感じではなかったのです。娘にはもちろん言いませんでしたが、翌2日、娘が試験中に行われた合格発表に受験番号はありませんでした。

後に聞いたのですが、国語の試験は読み間違えでも書き間違えでもなく、「本当にそう思ったから書いた」ようです。国語は最も得意な科目で、模試でも名前が載るほどでしたが、本番では何が起きるかわからないのです。

「2日目はさすがに大丈夫だと思うよ」。娘に1日目の不合格を伝えながら、そう言いつくろいましたが、娘は「今日の試験は全然ダメだった。昨日のほうができた」と言います。しかし、気を取り直すしかありません。帰宅後に翌日に控えた第2志望校の過去問を初めて真剣にやりましたが、出題傾向がまったく違い、合格点に届くかどうかはギリギリでした。

本命校2度目の不合格

2月3日、第2志望校の試験中に本命校の2回目の発表がありました。ネットでも見られましたが、若干のタイムラグがあるというのでわざわざ学校まで見に行きました。

しかし、またも番号はありませんでした。試験会場から出てきた娘に伝えると、がっくりと崩れ落ちました。本命校の2日連続不合格は相当にきつかったと思います。これでこの学校は完全にアウトという状況でしたが、実は3回目も出願が間に合ったのです。

不合格の発表を見た直後でした。事務室の近くで5日入試の願書受付がまだ続いていたのです。この時、私が5日の締切日を忘れていたのか、最初から受けないものとして確認していなかったのか覚えていませんが、とにかく「もうワンチャンス」あったのです。大慌てで現金で受験料を払って手続きをしました。

学校まで来なければ気づかなかったと思うと、冷や汗ものでした。娘にもそのことを伝えましたが、まだ連続不合格のショックが大きかったのでしょう。帰りの電車の中でもずっと泣いていました。

ただ、この時も親は忘れてはならないことがありました。埼玉入試で合格した学校の入学金締め切りがこの日の夕方に迫っていたのです。先ほど終わったばかりの第2志望校も受かっている保証はどこにもありません。こちらも難関校に変わりはないのです。

受験スケジュールを組んでいるときは、「入試」「発表」「振り込み」「手続き」などと機械的に考えてしまいがちですが、いったん入試が始まって当落がはっきりし始めると、思わぬ事態も起きてしまいます。埼玉の方には悪いですが、「本当に埼玉まで通うのか」「通わせるのか」という思いに踏ん切りがつかないまま、入学金25万円を納めざるを得ませんでした。

長かった6日間

振り込みを終えたわずか数時間後のことでした。その夜、第2志望校の発表が早くもネット上でありました。娘はまったく自信がなかったようで、「埼玉へは何線に乗って行けばいいのか」などと漏らしていました。

パソコン上に出た結果は何と合格。本命校ではないにしろ、家族の暗かったムードが一気に吹き飛びました。ただし、こちらの入学金約30万円も翌日中には払わねばなりません。2日連続で計約55万円の出費ですが、もう背に腹は代えられません。

翌2月4日は勉強もしませんでした。代わりに、合格した第2志望校を改めて見に行き、「セーラー服もいいかもね」などと言って校舎の前で写真も撮りました。ここまで追い込んでしまったことがかわいそうになり、「こっちの学校にしたら。明日はもう受けなくてもいいよ」とまで言いましたが、娘は「受ける」と言いました。

2月5日、もうほとんどの受験生が受験を終了しています。まさかこの日まで試験会場にいるとは思いませんでした。先にも触れたようにこの日は定員もわずかで倍率は20倍以上のとんでもない数字です。ただ、娘は現実的に行ける学校を得たことで、吹っ切れてリラックスできたのでしょう。翌6日の3回目の合格発表で、ついに本命校への入学を許されたのです。

2月1日からわずか6日間の出来事ですが、本当に長く感じました。後々考えれば55万円という額は私学の授業料1年分くらいに相当します。それでもあの額を支払ったことにより、その後の合格があったと考えると、「もったいない」などとは言えません。とは言いつつも、娘が入試日ではなく、学校としては結果的に一つも落ちていなかったことに気づいた時には、複雑な気持ちにもなりました。

その後、娘は一浪後、東京大学に合格しました。今や大学定員の半数ほどが推薦入試で年内にも合格すると言われる中、1月の共通テストに始まり、2月下旬の二次試験、3月10日の合格発表まで国立大学の受験は本当に長丁場です。浪人した娘はさらにつらかったと思いますが、こう言っていました。

「中学受験のあの6日間のほうが長く感じた。あの経験で私は最後にキメるタイプだと確信したから東大も絶対に受かると思っていた」

転んでもただでは起きなかったのです。娘は今も大学の授業は一番前に座り、帰宅後に大学で教わったことを延々と話してくれます。何をしゃべっているのかは、まったくわかりませんが。

真砂町小町(2女の父)

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