チャールズ国王に関する新たな伝記本で、キャサリン皇太子妃がエリザベス女王の最期を看取りに行けなかった本当の理由が記されているという。女王が崩御する直前、チャールズ皇太子(当時)はヘンリー王子に電話をかけ、メーガン妃を連れてこないようにと伝えた。この時、皇太子はその理由について「キャサリンも来ない。立ち会うのは女王にごく近い親族に限る」と説明していた。同著によるとキャサリン妃(当時)には別の理由があり、自宅に留まる決断をしたという。
チャールズ国王に関する新たな伝記本『Charles III: New King, New Court』が現地時間18日に出版されることに先立ち、英メディア『Daily Mail Online』が一部引用の連載を開始した。
英王室伝記作家ロバート・ハードマン氏による同著の中では、2022年9月8日に故エリザベス女王がスコットランドのバルモラル城で崩御した時の様子を振り返っている。
同メディアは12日、私設秘書が記録したという、女王が息を引き取った瞬間を記した文書の内容について掲載した。
さらに別の記事では、キャサリン妃(以下、当時)が女王の最期を看取りに行けなかった理由を記している。
女王が医師団の管理下に置かれると、スコットランドに滞在中だったチャールズ皇太子(以下、当時)とアン王女はバルモラル城に駆けつけ、女王の最期を看取った。
ウィリアム王子(以下、当時)はエドワード王子と妻ソフィー妃、アンドルー王子とともに王立空軍機でスコットランドに向かったが、キャサリン妃はウィンザーの自宅に留まった。
ヘンリー王子はメーガン妃とともにバルモラル城へ向かうと報じられたが、まもなくして王子が単独で行くことになったと伝えられた。
すると英メディア『The Sun』は後日、ヘンリー王子夫妻の予定を変更したのは、チャールズ皇太子だと報じたのだ。皇太子はフロッグモア・コテージにいるヘンリー王子に電話をして、メーガン妃を連れてこないように伝えたという。
ある情報筋によると、チャールズ皇太子は「このような深い悲しみの時にメーガンがバルモラルに来るのは正しくも適切でもない」と言ったという。そして、その場に立ち会うのは女王にごく近い家族に限定し、キャサリン妃も行かないと告げたそうだ。
しかし新たな伝記本によると、キャサリン妃がバルモラル城に行かなかった本当の理由は、ジョージ王子(10)、シャーロット王女(8)、ルイ王子(5)のため、自ら自宅に留まる決意をしたからだという。
ウィリアム王子一家は同年夏にウィンザーの地所内にあるアデレード・コテージに引っ越したばかりで、3人の子ども達は新学期が始まる9月8日から、ウィンザーのアスコット近くにある名門私立学校「ランブルック・スクール(Lambrook School)」に転入した。
そのためキャサリン妃は、せめて自分だけでも子ども達と一緒にいるべきだと決断を下したそうだ。
同著によると、子ども達の新学期と女王の崩御が偶然にも重なり、キャサリン妃がそのような決意をするに至ったことについて、王室の側近は次のように語ったという。
「それは判断というよりも運でした。しかしそのおかげで、ヘンリーに単独で来るよう伝えることが楽になったのです。」
そして「彼女(エリザベス女王)は亡きエジンバラ公と同じで、病床に親族達が押し寄せるのを好んでいませんでした」と付け加えた。
ヘンリー王子は女王の崩御が発表された1時間半後にバルモラル城に到着したが、翌日早朝に他の王族よりも一足早く出発し、メーガン妃が待つウィンザーのフロッグモア・コテージに戻った。
当時『The Sun』は、ヘンリー王子はバルモラル城に到着後、チャールズ国王とカミラ王妃、ウィリアム皇太子から国王の邸宅バークホールでのディナーに招待されたが、この誘いを拒絶したと報じた。
その理由についてある情報筋は、ヘンリー王子はメーガン妃を連れてくることを国王に拒否され、不機嫌になっていたからだと話していた。
画像1~3枚目は『The Royal Family 2022年11月13日付Instagram「At the going down of the sun and in the morning」』『The Prince and Princess of Wales 2018年7月10日付Instagram「Sláinte Ireland!」、2023年12月9日付Instagram「Our family Christmas card for 2023」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 寺前郁美)
チャールズ国王に関する新たな伝記本『Charles III: New King, New Court』が現地時間18日に出版されることに先立ち、英メディア『Daily Mail Online』が一部引用の連載を開始した。
英王室伝記作家ロバート・ハードマン氏による同著の中では、2022年9月8日に故エリザベス女王がスコットランドのバルモラル城で崩御した時の様子を振り返っている。
同メディアは12日、私設秘書が記録したという、女王が息を引き取った瞬間を記した文書の内容について掲載した。
さらに別の記事では、キャサリン妃(以下、当時)が女王の最期を看取りに行けなかった理由を記している。
女王が医師団の管理下に置かれると、スコットランドに滞在中だったチャールズ皇太子(以下、当時)とアン王女はバルモラル城に駆けつけ、女王の最期を看取った。
ウィリアム王子(以下、当時)はエドワード王子と妻ソフィー妃、アンドルー王子とともに王立空軍機でスコットランドに向かったが、キャサリン妃はウィンザーの自宅に留まった。
ヘンリー王子はメーガン妃とともにバルモラル城へ向かうと報じられたが、まもなくして王子が単独で行くことになったと伝えられた。
すると英メディア『The Sun』は後日、ヘンリー王子夫妻の予定を変更したのは、チャールズ皇太子だと報じたのだ。皇太子はフロッグモア・コテージにいるヘンリー王子に電話をして、メーガン妃を連れてこないように伝えたという。
ある情報筋によると、チャールズ皇太子は「このような深い悲しみの時にメーガンがバルモラルに来るのは正しくも適切でもない」と言ったという。そして、その場に立ち会うのは女王にごく近い家族に限定し、キャサリン妃も行かないと告げたそうだ。
しかし新たな伝記本によると、キャサリン妃がバルモラル城に行かなかった本当の理由は、ジョージ王子(10)、シャーロット王女(8)、ルイ王子(5)のため、自ら自宅に留まる決意をしたからだという。
ウィリアム王子一家は同年夏にウィンザーの地所内にあるアデレード・コテージに引っ越したばかりで、3人の子ども達は新学期が始まる9月8日から、ウィンザーのアスコット近くにある名門私立学校「ランブルック・スクール(Lambrook School)」に転入した。
そのためキャサリン妃は、せめて自分だけでも子ども達と一緒にいるべきだと決断を下したそうだ。
同著によると、子ども達の新学期と女王の崩御が偶然にも重なり、キャサリン妃がそのような決意をするに至ったことについて、王室の側近は次のように語ったという。
「それは判断というよりも運でした。しかしそのおかげで、ヘンリーに単独で来るよう伝えることが楽になったのです。」
そして「彼女(エリザベス女王)は亡きエジンバラ公と同じで、病床に親族達が押し寄せるのを好んでいませんでした」と付け加えた。
ヘンリー王子は女王の崩御が発表された1時間半後にバルモラル城に到着したが、翌日早朝に他の王族よりも一足早く出発し、メーガン妃が待つウィンザーのフロッグモア・コテージに戻った。
当時『The Sun』は、ヘンリー王子はバルモラル城に到着後、チャールズ国王とカミラ王妃、ウィリアム皇太子から国王の邸宅バークホールでのディナーに招待されたが、この誘いを拒絶したと報じた。
その理由についてある情報筋は、ヘンリー王子はメーガン妃を連れてくることを国王に拒否され、不機嫌になっていたからだと話していた。
画像1~3枚目は『The Royal Family 2022年11月13日付Instagram「At the going down of the sun and in the morning」』『The Prince and Princess of Wales 2018年7月10日付Instagram「Sláinte Ireland!」、2023年12月9日付Instagram「Our family Christmas card for 2023」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 寺前郁美)