交通事故から5年、昏睡状態にあった女性(41)が初めて母の言葉に反応した。医師に「回復する可能性はわずか」と言われていた女性を救ったのは、娘を信じ、寄り添い続けた“母の愛”だった。米ニュースメディア『Good Morning America』などが伝えている。
アメリカ在住のジェニファー・フレウェレンさん(Jennifer Flewellen)は2017年9月25日、3人の息子を車で学校まで送り届けて仕事に向かう途中、道路から逸れて電柱に衝突した。
当時35歳だったジェニファーさんは、夫Aさん(現在は離婚)と電話中で、「クラクラする」と言った直後に事故を起こし、救急隊が駆けつけた時には呼吸が止まっていたという。
こうして緊急搬送された病院には、母ペギー・ミーンズさん(Peggy Means)とAさんが駆けつけたものの、ジェニファーさんの容体は深刻で、大病院に転院した。そして生命維持装置に繋がれ、薬による昏睡状態に置かれたのだった。
ペギーさんは当時のことを、「医師らは娘が回復する望みは薄いと考えていて、2、3日目には生命維持装置を外すように勧めてきたわ。でも私は決して首を縦に振らなかったの」と明かしている。ただ医師からのプレッシャーは日に日に強くなっていったそうで、ペギーさんはそのうち「運命は神の手中にあるから」と答えるようになったという。
そしてこの悲劇の事故から5年間、未亡人だったペギーさんは、工業用ミシンを使った縫製スタッフとして働きながら昏睡状態の娘を支え続けた。事故直後は一日10時間働き、週3日だけ娘を見舞う生活が続いたが、見かねた会社が自宅で作業ができるように配慮してくれたそうで、それからはほぼ毎日、娘に会いに行くようになった。
ペギーさんは病院での時間について、「娘には3人の息子たちのこと、私たちが今していることなどを話しかけ、とにかく励ましたわ…。そして娘の髪をキレイに整えたり、手足をマッサージしたりとできるだけのことをしたの」と明かす。しかしながらジェニファーさんの容体が改善することはなく、次第にAさんや息子、友人、そして医師や看護師からも“忘れられた存在”になっていった。
そんなある日のこと、ペギーさんは呼吸器科の看護師に「彼女の容体は悪くなるだけよ」と忠告され、「そんなことを二度と私に言わないで。特に娘がいるところでは絶対、言わないでちょうだい!」と言い返したという。
先が見えず、心が折れそうになりながらも、娘の回復を信じてやまなかったペギーさん。娘の手を取ると「私の手をギュッと握って。ジェニー、握ってよ」と何度も話しかけた。5年間、ジェニファーさんがその手を握り返すことはなかったが、ペギーさんはいつも心の中で「娘はそこにいる」と感じていたという。
そして忘れもしない2022年8月のある日のこと、その日は晴天で、ペギーさんがいつものように娘を車椅子で外に連れ出すと、ジェニファーさんが母の冗談に反応し笑い始めたのだった。ペギーさんは「そんな娘を見て怖くなった」と明かしており、建物のそばまで車椅子を移動すると、5年ぶりに笑う娘を撮影したという。しかしそれはほんの一時の出来事で、ジェニファーさんは再び昏睡状態に戻ってしまった。
それでもペギーさんは諦めず、ジェニファーさんを翌日もその翌日も外に連れ出した。するとジェニファーさんはその度に、何らかの反応を示すようになり、そのうちペギーさんが投げかける簡単な質問にうなずいたり、頭を振ったりして「イエス」「ノー」で答えるようになった。
言葉は出せないものの次第に覚醒時間が長くなり、ペギーさんは娘の姿をカメラで捉えて医師に見せ、こう頼み込んだ。
「スピーチセラピーをして欲しい。」
ペギーさんは当初、「音を出すこともできないのに、セラピーはできない」と医師に言われたそうだが、「だからこそ、セラピーが必要なのよ」と説得し、ジェニファーさんはそれから数週間で母音が言えるようになった。
こうして2023年7月、ジェニファーさんはついに退院。その年の5月に60歳で仕事を引退したペギーさんのミシガン州ドウォージャックの自宅に移り住んだ。さらに一時は「僕たちが知っているママはいなくなってしまった」と疎遠になっていた3人の息子(10代後半から20代前半)とも再会。1歳の孫娘とも会い、10月には三男の高校最後のフットボール観戦を楽しんだ。現在は長男も一緒に住んでいるそうで、ペギーさんの自宅は一気に賑やかになった。
なおジェニファーさんは、文字を綴ることができ、学校の友達のこと、初めて乗った車のこと、事故よりもかなり前のことは覚えているという。ただ事故のことや、その前後で起きたことは全く思い出せないそうで、今後もスピーチセラピー、作業療法は続くという。また、拘縮した関節を治療するための手術が数回予定されており、ペギーさんは「この先、娘には歩けるようになってもらいたい…。全てのことができるようになって欲しいけど、何が可能なのかは分からない。だからこれからも努力は続けていくの」と語り、こう続けた。
「今思えば、あの子に話しかけたこと、コミュニケーション、触れあい、そういった全てのことがプラスに働いたのよ…。でも私は必要なことをしただけ。娘には常に『あなたを心から愛している』と伝えていたわ…。娘が目覚め、今こうして一緒に暮らしているなんて…。夢が叶ったの。」
ちなみにペギーさんに「私たちはチームなの?」と尋ねられたジェニファーさんは大きくうなずき、「イエス」と答えており、ペギーさんは最後にこう述べた。
「実は以前、ジェニファーの元診療看護師がこんなことを言ったの。『想像して、夢をみて、信じるの』とね。私たちがしていることはまさにそれなのよ!」
画像は『ABC News 「Mom’s love helps woman wake from coma after 5 years」(Mary Free Bed Rehabilitation)(Peggy Means)』『The Sun 「DECADES ASLEEP Mum wakes up from a coma after 27 YEARS and calls out name of son she saved in car crash」(Credit: KHUSHNUM BHANDARI FOR THE NATIONAL)』『news.com.au 「Son wakes from coma after his elderly mum nursed him day and night for more than a decade」(Picture: Beijing News)』『Kidspot 「Heartwarming moment Autistic nonverbal boy speaks to his mum for the first time」(Source: Reddit)』より
(TechinsightJapan編集部 A.C.)
アメリカ在住のジェニファー・フレウェレンさん(Jennifer Flewellen)は2017年9月25日、3人の息子を車で学校まで送り届けて仕事に向かう途中、道路から逸れて電柱に衝突した。
当時35歳だったジェニファーさんは、夫Aさん(現在は離婚)と電話中で、「クラクラする」と言った直後に事故を起こし、救急隊が駆けつけた時には呼吸が止まっていたという。
こうして緊急搬送された病院には、母ペギー・ミーンズさん(Peggy Means)とAさんが駆けつけたものの、ジェニファーさんの容体は深刻で、大病院に転院した。そして生命維持装置に繋がれ、薬による昏睡状態に置かれたのだった。
ペギーさんは当時のことを、「医師らは娘が回復する望みは薄いと考えていて、2、3日目には生命維持装置を外すように勧めてきたわ。でも私は決して首を縦に振らなかったの」と明かしている。ただ医師からのプレッシャーは日に日に強くなっていったそうで、ペギーさんはそのうち「運命は神の手中にあるから」と答えるようになったという。
そしてこの悲劇の事故から5年間、未亡人だったペギーさんは、工業用ミシンを使った縫製スタッフとして働きながら昏睡状態の娘を支え続けた。事故直後は一日10時間働き、週3日だけ娘を見舞う生活が続いたが、見かねた会社が自宅で作業ができるように配慮してくれたそうで、それからはほぼ毎日、娘に会いに行くようになった。
ペギーさんは病院での時間について、「娘には3人の息子たちのこと、私たちが今していることなどを話しかけ、とにかく励ましたわ…。そして娘の髪をキレイに整えたり、手足をマッサージしたりとできるだけのことをしたの」と明かす。しかしながらジェニファーさんの容体が改善することはなく、次第にAさんや息子、友人、そして医師や看護師からも“忘れられた存在”になっていった。
そんなある日のこと、ペギーさんは呼吸器科の看護師に「彼女の容体は悪くなるだけよ」と忠告され、「そんなことを二度と私に言わないで。特に娘がいるところでは絶対、言わないでちょうだい!」と言い返したという。
先が見えず、心が折れそうになりながらも、娘の回復を信じてやまなかったペギーさん。娘の手を取ると「私の手をギュッと握って。ジェニー、握ってよ」と何度も話しかけた。5年間、ジェニファーさんがその手を握り返すことはなかったが、ペギーさんはいつも心の中で「娘はそこにいる」と感じていたという。
そして忘れもしない2022年8月のある日のこと、その日は晴天で、ペギーさんがいつものように娘を車椅子で外に連れ出すと、ジェニファーさんが母の冗談に反応し笑い始めたのだった。ペギーさんは「そんな娘を見て怖くなった」と明かしており、建物のそばまで車椅子を移動すると、5年ぶりに笑う娘を撮影したという。しかしそれはほんの一時の出来事で、ジェニファーさんは再び昏睡状態に戻ってしまった。
それでもペギーさんは諦めず、ジェニファーさんを翌日もその翌日も外に連れ出した。するとジェニファーさんはその度に、何らかの反応を示すようになり、そのうちペギーさんが投げかける簡単な質問にうなずいたり、頭を振ったりして「イエス」「ノー」で答えるようになった。
言葉は出せないものの次第に覚醒時間が長くなり、ペギーさんは娘の姿をカメラで捉えて医師に見せ、こう頼み込んだ。
「スピーチセラピーをして欲しい。」
ペギーさんは当初、「音を出すこともできないのに、セラピーはできない」と医師に言われたそうだが、「だからこそ、セラピーが必要なのよ」と説得し、ジェニファーさんはそれから数週間で母音が言えるようになった。
こうして2023年7月、ジェニファーさんはついに退院。その年の5月に60歳で仕事を引退したペギーさんのミシガン州ドウォージャックの自宅に移り住んだ。さらに一時は「僕たちが知っているママはいなくなってしまった」と疎遠になっていた3人の息子(10代後半から20代前半)とも再会。1歳の孫娘とも会い、10月には三男の高校最後のフットボール観戦を楽しんだ。現在は長男も一緒に住んでいるそうで、ペギーさんの自宅は一気に賑やかになった。
なおジェニファーさんは、文字を綴ることができ、学校の友達のこと、初めて乗った車のこと、事故よりもかなり前のことは覚えているという。ただ事故のことや、その前後で起きたことは全く思い出せないそうで、今後もスピーチセラピー、作業療法は続くという。また、拘縮した関節を治療するための手術が数回予定されており、ペギーさんは「この先、娘には歩けるようになってもらいたい…。全てのことができるようになって欲しいけど、何が可能なのかは分からない。だからこれからも努力は続けていくの」と語り、こう続けた。
「今思えば、あの子に話しかけたこと、コミュニケーション、触れあい、そういった全てのことがプラスに働いたのよ…。でも私は必要なことをしただけ。娘には常に『あなたを心から愛している』と伝えていたわ…。娘が目覚め、今こうして一緒に暮らしているなんて…。夢が叶ったの。」
ちなみにペギーさんに「私たちはチームなの?」と尋ねられたジェニファーさんは大きくうなずき、「イエス」と答えており、ペギーさんは最後にこう述べた。
「実は以前、ジェニファーの元診療看護師がこんなことを言ったの。『想像して、夢をみて、信じるの』とね。私たちがしていることはまさにそれなのよ!」
画像は『ABC News 「Mom’s love helps woman wake from coma after 5 years」(Mary Free Bed Rehabilitation)(Peggy Means)』『The Sun 「DECADES ASLEEP Mum wakes up from a coma after 27 YEARS and calls out name of son she saved in car crash」(Credit: KHUSHNUM BHANDARI FOR THE NATIONAL)』『news.com.au 「Son wakes from coma after his elderly mum nursed him day and night for more than a decade」(Picture: Beijing News)』『Kidspot 「Heartwarming moment Autistic nonverbal boy speaks to his mum for the first time」(Source: Reddit)』より
(TechinsightJapan編集部 A.C.)