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【エンタがビタミン♪】八代亜紀“アニマルズ”に救われた過去 「人生を変えた3曲」のインタビューで明かす

TechinsightJapan 2017年6月7日 14時12分

八代亜紀は小学生の時に父親が買ってきたジャズレコードでジュリー・ロンドンの歌声を聴き「クラブシンガーになりたい」と思い始めたという。2013年には米ニューヨークの歴史あるジャズクラブ「バードランド」でライブを行い、ジャズ歌手のヘレン・メリルと共演して子どもの頃の夢を実現している。そんな彼女が6月5日放送のバラエティ番組『バイキング』(フジテレビ系)にVTRで出演して「人生を変えたあの名曲」について語った。ところがそのなかにはジャズは含まれておらず、意外な洋楽が挙げられた。

12歳でジャズを聴いて魅了された八代。「こんな風に歌いたい」との思いは熱くなるばかりだが、実は人前に出て喋るのが大の苦手だった。それを克服するために中学校を卒業するとバスガイドになる。しかし観光バスで初めてお客さんを前にして全く喋ることができず、運転手から「喋れ!」と叱られてしまう。バスのステップに座り涙をこぼしながら泣いている時にラジオから流れてきたのが英ロックバンド・アニマルズのヒット曲『朝日のあたる家』であった。彼女はそれを耳にして「やっぱり歌手になりたい!」と決意を新たにし、両親に内緒でバスガイドを辞めて地元熊本のキャバレーで歌手として働く。

しかし3日ほどでバレてしまい厳格な父親から勘当されて家を追い出される。まだ15歳で単身上京すると、18歳頃には銀座のクラブで歌うようになった。ある時、彼女の歌を聴いてクラブのホステスたちが泣いていることに気づく。歌っていたのは男性歌手・勝彩也(かつ あや)の『恋あざみ』(1970年)だ。この時に「歌の心」を知り「魂で歌う」八代亜紀のスタイルが出来たという。また、ホステスたちから「世の中には辛い女性がたくさんいるのよ」と言われて自分は歌によってそうした人々の気持ちを「代弁している」との思いを強めた。

やがて21歳の時に『愛は死んでも』でテイチクからデビューするが、しばらくは売れなかった。それでも彼女を勘当した父が「八代亜紀の名前でレコードを出しているらしい。応援しなければ」と許してくれたのは何より嬉しかったのではないか。そして歌手人生を大きく変えたのが初めての大ヒットとなり、後に映画化までされた4枚目シングル『なみだ恋』である。

彼女は「生活変わりましたよ! 真っ白だったスケジュールが真っ黒になった」という。「『なみだ恋』は昭和48年正月に発売だった」と当時を振り返り、前年の暮れに自ら新年のカレンダーに「昭和48年12月31日紅白歌合戦出場」と書いていたらその通りになったと明かした。この頃からトラックの運転手に大人気となって「トラック野郎の女神」「八代観音」と呼ばれる。

その勢いで広い支持を得てヒットを連発していき、1979年には『舟歌』で第30回NHK紅白歌合戦にて初の大トリを務める。初めて「男歌」に挑戦した『舟歌』は特徴のある歌詞が覚えられ八代亜紀の代表曲となった。ただ、彼女にとって「人生を変えた」“3曲”は『朝日のあたる家』(アニマルズ)、『恋あざみ』(勝彩也)そして『なみだ恋』だという。

歌手生活47年目を迎え現在は66歳となる彼女だが、「楽しく80歳まで行くよ! (コンサート会場の)ロビーが老若男女問わずごった返すのが目標」と微笑む。May J.とデュエットした『母と娘の10,000日 ~未来の扉~』(5月24日発売)でも「魂の歌」を聴かせてくれる八代亜紀。これからも様々な人々の心を代弁してくれることだろう。



画像は『May J. 2017年5月24日付公式ブログ「八代亜紀さんと私。」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

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