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【エンタがビタミン♪】渡瀬マキの人生を変えた曲 LINDBERG再始動で悩む彼女を救ったのは“10-FEET”だった

TechinsightJapan 2017年7月31日 17時5分

LINDBERGのボーカルとして知られる渡瀬マキだが、はじめはアイドルとして歌手デビューしている。7月31日放送のバラエティ番組『バイキング』では“アーティストが明かす 私の人生を変えたあの名曲”コーナーにその彼女が出演、アイドル時代からLINDBERGの結成と解散そして再始動までを話した。

三重県鳥羽市出身の彼女は、中学生時代から松田聖子に憧れてアイドルオーディションに応募していた。母が撮った写真と松田聖子の歌を録音したカセットテープを数十社に送ったという。そのなかでわずか1社だけプロダクションが興味を示してくれ、高校3年生の夏に単身上京する。1986年に『ヤングジャンプクイーン』コンテストでグランプリを獲ると、本名の渡瀬麻紀を名乗って本格的に芸能活動を始める。翌年6月には1stシングル『パールモンド・Kiss』で歌手デビューを果たす。

渡瀬は当時を振り返り「親衛隊がいて“レッツゴー”とか声をかけてくれた」ことで「これ! アイドル!」と実感したという。ところが夢のアイドルになりながら心は満たされず、服や歌がしっくりこなくて違和感を覚えるようになる。実はその頃、バンド・レベッカ(REBECCA)が1986年5月に出した『RASPBERRY DREAM』を聴いた彼女は「NOKKOさんが自分の中から出てくる思いのまま、素直に歌う」姿に魅了されていた。

事務所の社長に無断でボロボロなジーンズにロック調なTシャツという服装でイメチェンするほど影響を受け、1988年にアイドル時代のバックバンドメンバー平川達也たちとLINDBERGを結成する。1990年2月に出した2ndシングル『今すぐ Kiss Me』がヒットした時はライブハウスに入り切れないほど人が押し寄せる人気バンドとなった。渡瀬マキがまさに「激変! 人生が変わりました」という1曲である。

LINDBERGはその後もヒット曲を連発し、渡瀬は1997年にギタリストの平川達也と結婚して1999年11月に長男が誕生する。母となっても活躍を続けるが2002年にバンドを解散した。彼女は解散に至るきっかけとなった出来事を今もハッキリと覚えている。

当時、息子が入院していたが渡瀬はツアー中だったために付き添うことが出来なかった。ライブ会場に向かう電車の中で夫の平川達也に号泣しながら「私は母親なのに彼(息子)が一番辛い時にそばに居てあげられない。居たいのに何でそれができないんや!」と訴えた。その時「これ以上自分の気持ちに逆らって生きてくのは無理や。歌を聴きに来た人にも、歌にも、息子にも失礼やし」と決意して「解散してください」とメンバーにお願いしたという。

音楽活動は続けていたところ、LINDBERG20周年を記念して再結成の話が進み2009年12月31日まで期間限定で活動することとなった。しかし彼女のなかでは「どういう気持ちでこの1年間を過ごしたらいいのか?」と迷いがあった。そんな時に京都出身の3人組ロックバンド・10-FEETがフェスにLINDBERGを呼んでくれた。彼女はそのライブで初めて10-FEETを聴いたという。特に歌詞が印象深く「めちゃ前向きで、こんなに熱くていいの!?」と衝撃を受けた。

『goes on』では「人が海のように大きくなれたら…」という歌に合わせて2万人ほどの会場がまるで海のように揺れているではないか、渡瀬は今でもそれを思い出して「あの光景は一生忘れない」と感じ入った。その経験によって「よし攻めて行こう!」と心が固まった彼女は「もし彼らのライブを見ていなければ迷ったまま1年を過ごしたかもしれない」という。LINDBERGは結成25周年を迎える2014年1月14日より再始動して、今も活動を続けている。

この夏8月5日には『渡瀬マキ&相田翔子プレミアムライブ』の開催が決まっている。とても48歳で2児の母とは思えぬ渡瀬マキのパワーの源は、今でも「REBECCA」や「10-FEET」の歌なのかもしれない。

画像は『Maki Watase 2017年7月29日付Instagram「前髪だけのつもりが」、2017年7月23日付Instagram「翔子ちゃんと1杯だけということでリハスタジオの近くで。」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

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