お笑い芸人でイラストレーターの鉄拳は、パラパラ漫画で注目され幅広い活躍を見せている。ただ、そんな彼も漫画家の夢を諦め、プロレスの世界に入ったり、俳優になろうと劇団員になった経歴を持つことをご存じだろうか。
地元長野県で高校に通いながら漫画家を目指していた鉄拳は1989年、ちばてつや賞(期待賞)に入選するもその後は振るわず漫画家の夢を諦める。
高校を卒業すると二番目の夢だったプロレス界に身を投じFMWに入団、しかしレフェリーでの採用だと分かり退団する。次いで1995年に劇団東俳に入団するも、滑舌が悪いことからすぐに辞めてしまった。
彼はそうした挫折のなかから「滑舌の悪いレスラーの格好をしたゴツイ男が得意の絵を活かして芸をしたらどうだろう」と思い立ち、1997年にお笑いプロダクション「オフィス☆怪人社」へ入りお笑いの道に進むのだ。
『鉄拳(Tekken_omachi)ツイッター』で9月20日、「芸人を始めた頃TVに出る機会があり、劇団員の友達が小道具作りを手伝ってくれたのですが…」とツイートしたのはその頃を思い出してだろう。
手伝ってくれた劇団員時代の友だちにお礼をしたいが「当時はまだギャラも安くお金も無かったので、お礼はほっか弁の、のり弁当だった」という。それでも皆が、「めっちゃ喜んでくれて、楽しく食べた」思い出をイラストに描いた。
そんなエピソードにフォロワーから「素敵な仲間がいらっしゃるんですね そんなふうに食べたのり弁当は、格別に美味しかったでしょうね」「なんか、泣けて来ちゃいます」「鉄拳さんと劇団員のお友達の心はほっか ほっかです」などの反響が寄せられている。
ちなみに、その時に出演したテレビ番組のギャラは「居酒屋さんで奢って無くなりました笑」という。
画像は『鉄拳 2018年9月20日付Twitter「芸人を始めた頃TVに出る機会があり、劇団員の友達が小道具作りを手伝ってくれたのですが、当時はまだギャラも安くお金も無かったので、お礼はほっか弁の、のり弁当だったのですが皆んなめっちゃ喜んでくれて、楽しく食べた思い出があります」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)
地元長野県で高校に通いながら漫画家を目指していた鉄拳は1989年、ちばてつや賞(期待賞)に入選するもその後は振るわず漫画家の夢を諦める。
高校を卒業すると二番目の夢だったプロレス界に身を投じFMWに入団、しかしレフェリーでの採用だと分かり退団する。次いで1995年に劇団東俳に入団するも、滑舌が悪いことからすぐに辞めてしまった。
彼はそうした挫折のなかから「滑舌の悪いレスラーの格好をしたゴツイ男が得意の絵を活かして芸をしたらどうだろう」と思い立ち、1997年にお笑いプロダクション「オフィス☆怪人社」へ入りお笑いの道に進むのだ。
『鉄拳(Tekken_omachi)ツイッター』で9月20日、「芸人を始めた頃TVに出る機会があり、劇団員の友達が小道具作りを手伝ってくれたのですが…」とツイートしたのはその頃を思い出してだろう。
手伝ってくれた劇団員時代の友だちにお礼をしたいが「当時はまだギャラも安くお金も無かったので、お礼はほっか弁の、のり弁当だった」という。それでも皆が、「めっちゃ喜んでくれて、楽しく食べた」思い出をイラストに描いた。
そんなエピソードにフォロワーから「素敵な仲間がいらっしゃるんですね そんなふうに食べたのり弁当は、格別に美味しかったでしょうね」「なんか、泣けて来ちゃいます」「鉄拳さんと劇団員のお友達の心はほっか ほっかです」などの反響が寄せられている。
ちなみに、その時に出演したテレビ番組のギャラは「居酒屋さんで奢って無くなりました笑」という。
画像は『鉄拳 2018年9月20日付Twitter「芸人を始めた頃TVに出る機会があり、劇団員の友達が小道具作りを手伝ってくれたのですが、当時はまだギャラも安くお金も無かったので、お礼はほっか弁の、のり弁当だったのですが皆んなめっちゃ喜んでくれて、楽しく食べた思い出があります」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)