9月15日に75歳で他界した樹木希林さんは、以前の芸名を「悠木千帆」と名乗った。彼女は1961年に文学座付属演劇研究所に入って「悠木千帆」名義で女優活動をスタートすると、文学座退団後もドラマ『寺内貫太郎一家』(1974年)などで活躍するが、1977年4月1日に『テレビ朝日誕生記念番組』のオークションコーナーで「売る物がない」と自分の芸名「悠木千帆」を出品した。それを機に芸名を「樹木希林」に改名したのである。
当初は青山にあるブティックの店主が競り落としたが、2004年に女優・山田和葉に譲り、彼女が「悠木千帆」(二代目)を名乗る。
9月22日放送のTBS系情報番組『新・情報7daysニュースキャスター』で樹木希林さんの話題をとりあげるなか、その「悠木千帆」へのインタビュー映像を流した。
彼女は希林さんの訃報に肩を落としながら「お会いしたかったが、私が至らなかったために叶わなかった。もっと精進しろとのことだろうと思う」との趣旨でコメントしており、「悠木千帆」を譲り受けた際は希林さんと電話で話すことができたという。
また『オフィシャルブログ「♪続 悠木千帆の勇気ある毎日♪」』では、9月16日に「哀悼の誠を捧げます」と題し「樹木希林さま 私にとって、とてもとても大きな存在でした。役者の道を歩む目標を下さり、俳優として進む道標を頂きました」と感謝を綴っている。
「悠木千帆」として2004年からドラマや舞台、映画と数々の作品を経験、2006年にはNHK大河ドラマ『功名が辻』、NHK連続テレビ小説にも『瞳』(2008年)、『とと姉ちゃん』(2016年)と出演、NHK『陽炎の辻~居眠り磐音 江戸双紙~』シリーズではおいち役を務める。最近では2018年6月放送のNHK BSプレミアムの神奈川発地域ドラマ『R134/湘南の約束』(9月22日再放送)に出演した。
彼女は「いつの日か同じ作品でお目にかかれる日を願っておりました。きっと“100年早い!”と雲の上で笑っていらっしゃる事と思います」「私の心の中に生き続けられる偉大な方です。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と言葉を送っており、これからも樹木希林さんの思い出を励みにすることだろう。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)
当初は青山にあるブティックの店主が競り落としたが、2004年に女優・山田和葉に譲り、彼女が「悠木千帆」(二代目)を名乗る。
9月22日放送のTBS系情報番組『新・情報7daysニュースキャスター』で樹木希林さんの話題をとりあげるなか、その「悠木千帆」へのインタビュー映像を流した。
彼女は希林さんの訃報に肩を落としながら「お会いしたかったが、私が至らなかったために叶わなかった。もっと精進しろとのことだろうと思う」との趣旨でコメントしており、「悠木千帆」を譲り受けた際は希林さんと電話で話すことができたという。
また『オフィシャルブログ「♪続 悠木千帆の勇気ある毎日♪」』では、9月16日に「哀悼の誠を捧げます」と題し「樹木希林さま 私にとって、とてもとても大きな存在でした。役者の道を歩む目標を下さり、俳優として進む道標を頂きました」と感謝を綴っている。
「悠木千帆」として2004年からドラマや舞台、映画と数々の作品を経験、2006年にはNHK大河ドラマ『功名が辻』、NHK連続テレビ小説にも『瞳』(2008年)、『とと姉ちゃん』(2016年)と出演、NHK『陽炎の辻~居眠り磐音 江戸双紙~』シリーズではおいち役を務める。最近では2018年6月放送のNHK BSプレミアムの神奈川発地域ドラマ『R134/湘南の約束』(9月22日再放送)に出演した。
彼女は「いつの日か同じ作品でお目にかかれる日を願っておりました。きっと“100年早い!”と雲の上で笑っていらっしゃる事と思います」「私の心の中に生き続けられる偉大な方です。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と言葉を送っており、これからも樹木希林さんの思い出を励みにすることだろう。
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)