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【エンタがビタミン♪】<高見沢俊彦インタビュー>2018年、今年の一文字は「激」! 現役で居続ける“パワーの源”は?

TechinsightJapan 2018年12月22日 20時45分

来年デビュー45周年を迎えるTHE ALFEE(桜井賢・坂崎幸之助・高見沢俊彦)。彼らが長年携わってきた「大阪国際女子マラソン」へのイメージソングの提供が今年で最後となり、歴代のイメージソングをすべて集めたアルバム『Last Run!』が12月19日にリリースされた。実に31年分、全31曲を収録した3枚組のコンプリートアルバムである。これらの楽曲を作ってきた高見沢俊彦(64)にテックインサイトがインタビューした。また今年を振り返ってもらうとともに、2作目となる小説の話も聞いた。

■ニューアルバムのようなコンプリートアルバム
―「大阪国際女子マラソン」の31年分のイメージソングがすべてアルバムにまとまりました。どのように感じていますか。(※32年間のうち、1995年は阪神・淡路大震災のため大会が中止)
高見沢俊彦:普通なら曲順は(古い順に初年度の)『夢よ急げ』で始まりますが、新しいもの順になっています。自分でこうやって聞きたかった、それが一番の理由ですけど、逆に良かったと思いますね。ディスク3まであるんですけど、ちょうど一枚一枚独立してアルバムとして成立しているなぁと感じました。1曲目が、ディスク1が『勇気凛々』で、ディスク2がバラード調で『Wonderful Days』でしょ。ディスク3がほとんどみんな忘れているメンバー全員覚えていない『Beyond The Wind』で、新鮮に聴けましたね。(ディスク1では)ここ数年『創造への楔』『風の翼』『One Step ~再始動』と作り込んだ曲が多かったので、6曲目に『もう一度ここから始めよう』が入ると、本当に「アルバムだなぁ」という感じでニューアルバムでもおかしくないですね。

■中継を観て何かが弾けた
―イメージソングは毎年書き下ろしが多かったようですが、初年度の『夢よ急げ』は違いますよね。もともとどのようないきさつだったのでしょうか。
高見沢:この曲を使いたいという要請があったんですよね。(歌詞の冒頭の)「シナリオのないドラマ」というのがマラソンに通じるということで。もちろんOKしたんですけど、マラソンと自分たちの曲というのが(マッチするのか)、正直ピンと来ていなかったんです。でもその年の(マラソン中継の)番組を観て雪の中でイメージソングがかかってランナーが一生懸命走っているシーンがものすごく良かったんですよね。マラソンの中で音楽を使うというのは初めての試みだったらしいんですが、自分の中で何か弾けた感じがして、翌年からはそのためにオリジナルを作ろうと心がけてきました。

■マラソンは人生にもリンクする
―曲のラインナップを見ていかがですか。
高見沢:最初はランナーのために書き下ろしていましたが、(実は)自分たちにもリンクするし、一般の方の生き方にもリンクするんじゃないかなと。マラソンを観ているとドラマチックな展開があって、本当に「シナリオのないドラマ」なんですよね。それって普通の方の人生にも通ずるものがあるかなと。アップダウンがあったりゴールを迎えたり…。



■敗者の背中を押せる曲を
―これらの曲に共通のテーマはありますか?
高見沢:共通のテーマは特別ないですけど、僕の中でのテーマは作っていました。もちろん皆さんを勝者にしたいと思いますけど、勝者は1人しかいないから残るのは圧倒的な数の敗者ですよね。その敗者のために、また次に走り続けるために背中を押せる楽曲にしようと毎回思っていました。そこは自分で意識的に考えましたね。(これらの曲を)作っている間に(THE ALFEEも)30周年、40周年を迎えて…長いレースみたいなものだよね。自分たちにも歌って言い聞かせているという思いもあります。

■頑張っている人には「頑張れ」と言いたい
―聞く人たちに向けて…だけでなく、自分たちにも…だったのですね。
高見沢:『もう一度ここから始めよう』でも(歌詞の)「頑張ろうぜ」って自分に…ですからね。今、「頑張れ」と人に言ってはいけない傾向がちょっとあるじゃないですか。僕は頑張っている人には「頑張れ」と言いたい。そこは歌の力でどうにかなるか分からないけど、背中を押したいですね。なぜなら自分も頑張ってきたからね。いろんなものが一回ではできなかった。すぐにはヒットも出なかったし、(中学時代に部活動で熱中していた)バスケットボールのジャンプシュートも人の何倍も練習しましたからね。

■イメージが合えばバラードもマッチする
―中継ではランナーが走っている映像に合わせてイメージソングがかかりますが、走っているリズムがあるので、バラードは最初合うのかなと気になりました。実際に番組を観るととても良かったのですが…。
高見沢:やはり映像、生(なま)に勝るものはないですね。必死で走っている姿があれば、アップテンポであろうと、バラードであろうと、イメージが合いさえすればうまくいくだろうと感じていました。最初のバラードは(1994年の)『風を追いかけて』でしたね。そこでうまくいったので、その後は番組の方から「バラードでお願いできませんか」と依頼された年もありましたよ。



■31年続いたのはギネス級
―31年前はこんなに長く続くと思いましたか?
高見沢:思ってないよ! ひとつの番組でひとつのアーティストが30年以上イメージソングを続けるのは世界でも例がないみたいですよ。僕ら45年やっているからね、それもおかしくないことなんだけど。

―31年前の1987年というと日本平(静岡県)でのオールナイトコンサートの年ですね。
高見沢:そうだ、そう考えると長いよね。ライブをやり続けているからこそ、マラソンランナーと同じ気持ちになれるのかもね。45年間走っているから。ここはダメだとか良かったとかあるし、浮き沈みはもちろんあるし、でも40周年からすごく上り坂になってきているし。

■最後の年にふさわしい曲に
―今年で終了ということについては、いかがですか。
高見沢:続けられるなら続けたかったですけど、始まりもあれば終わりもありますから。そこは受け入れましたけど、終わりは悲しいですよ。もっとやりたかったです。今回のテーマも最後にふさわしいものにしようと思い、満足のいくものができました。(今年のイメージソングの)『勇気凛々』はいきなり(歌詞が)「全力出せ!」から始まりますから。自分たちにも言っていますからね。

■一番の思い出は…?
―中継番組では放送席に呼ばれたり、競技場で歌ったこともありましたね。
高見沢:ありましたね。『ONE』を歌ったこともありますけど、一番の思い出はね、桜井がオーケストラと一緒に『Beyond The Wind』を歌った時ですね。テレビで観ていてさ、あいつはことごとくついてないのか、いきなりコマーシャルに入って切れちゃった。「あれ? 何これ…」みたいな(笑)。毎回リアルタイムで観てるけど、それが一番印象深いですね(笑)。

―ご自身のマラソンの思い出はありますか。
高見沢:明治学院の高校時代に学校の周りを2周走るんですよ。クラスごとだったのかな、2位か3位だったんです。でも桜井はさ、あいつずるいんだぜー。八芳園の中に入って近道しようとして、見つかっちゃったのかな。俺はちゃんと走ったけどね。マラソンというとそれを思い出しますね(笑)。20代の頃はよく街を走っていましたよ、冬でも夏でも。最近は走らないですね。筋トレ専門になっちゃいましたね。

―桜井さんのネガティブな話題が続きますね(笑)。筋トレのときに音楽をかけることはありますか。
高見沢:ありますよ、もちろんもちろん。気に入っている音楽をかけます。そうですね、ビートルズやT・レックス、クイーンだとか。



■今年の漢字一文字はズバリ…
―ところで今年もあと少しで終わりです。今年もTHE ALFEEの春と秋の全国ツアーに夏のイベント、ソロ活動など盛りだくさんでしたが、今年を漢字一文字で表現すると何でしょうか?
高見沢:そうだなあ、小説を書いたことは自分の中で大きかったので、新しい扉で「扉」って言う字かな。「扉」って変だな。難しいね…。「激」ですね。激しいよ、やっぱり。小説書くのは激しいよ。音楽家と小説家の二刀流は激しいですよ。

―「激しい」とは? 執筆しているときが激しいのですか?
高見沢:いろいろ激しいんですよ。スケジュールも激しいし、締め切りも激しいし、自分でMなんじゃないかと思うぐらい激しいですね。どこでも書いてますね。書斎はないから車や新幹線の中や、ツアー中の楽屋が一番多いですね。書けるところまで思いついたものをどんどん書きます。

―その小説2作目の『秘める恋、守る愛』ですが、12月22日発売の小説誌『オール讀物』(文藝春秋刊)1月号で不定期連載がいよいよスタートしますね。今回は大人の恋愛を書くということですが。
高見沢:皆さんが期待しているようなロマンチックなものではないですね。「人は何を秘め、何を守って生きていくのだろう」というテーマをひとつの家族を通して作っていけたらと思って。

■ベルリンはあえて外しました
―今作はドイツ・ミュンヘンが舞台とのことですが、高見沢さんと言えば、(曲に登場したり、ライブを行ったことのある)ベルリンではないですか?
高見沢:そこが面白いでしょ(笑)。ベルリンにすると、(デビュー作『音叉』で自叙伝と勘違いする人がいたので)また「俺の(実体験)…」だと皆さん勘違いしそうので、あえて外しました。フランクフルトでもどこでも良かったんですけどね。特別な思い入れというよりも、何となくミュンヘンにしたって感じですね。小説なので創作であって、実体験ではないですから。『音叉』でもそうです。長崎の平戸は出てきますけど、僕は行ったことはないですから(笑)。

■作家としての夢は?
―その『音叉』で実は憧れていたという「作家」という夢が叶ったわけですが、今後の作家としての夢は何ですか?
高見沢:それは小説を書き続けることですね。作家デビューが遅くて還暦を超えていましたから、書けるだけ書いていきたい。思いつくことは音楽とともに形にしていきたいですね。物を作るのが好きだから、自分ではない自分を演じることができる―そこは非常に興味深いですね。

■パワーの源は? やはり…
―ところで、高見沢さんのパワーの源は何でしょうか。なぜ次から次へと曲を作り続けられるのですか?
高見沢:ツアーを現役で続けていることでしょうね。そこはやっぱりパワーの源なのかな。ツアーで感じたことを歌にすることも多いですからね。ツアーを続けていなかったら、こんなに曲はできなかったかもしれないな。あとライブが好きだというのはありますね。そこが源じゃない? ギターはもちろん好きだけど、レコーディングで弾くよりも、一番はライブで弾くことだね。

―THE ALFEEの3人がライブが好きというのは、ステージを観ていても伝わってきます。
高見沢:そうでしょ? 僕ら3人で歌って、ステージをやることが好きだから、これだけやっているわけで、嫌々やっているわけじゃないから。

―ライブを楽しんでいる3人を見るのが楽しいというのがあります。
高見沢:それで自分たちが頑張っていけるなら、それはすごくいいじゃないですか。そのキャッチボールというのは。それがライブの醍醐味ですよね。

45年経ってもバンドとしての歩みを決してやめることないTHE ALFEE。そのコンサート本数は現在2700本を超えて、日本のバンドとして最多記録を更新し続けている。現在クイーンのフレディ・マーキュリーの生涯を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒットしているが、日本での公開から約1か月半の間に高見沢は「かなり観てますよ」と時間があればこの映画を鑑賞していることを明かした。「デビュー当時のクイーンが大好きで、2ndアルバム『クイーン II』は聴きまくったなぁ」と話す高見沢は、一人の音楽好きの少年のままのよう。プロのミュージシャンでありながら、今も大の音楽ファンであり続ける彼やTHE ALFEE。そこが彼らの魅力の一因とも言えそうだ。
(TechinsightJapan編集部 関原りあん)

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