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【海外発!Breaking News】ラグビーW杯優勝の南ア代表チームが凱旋帰国 空港に国民殺到(南ア)<動画あり>

TechinsightJapan 2019年11月7日 10時27分

ラグビーワールドカップで3度目の優勝に輝いた南アフリカ代表チーム「スプリングボックス」。決勝前の南アフリカでは「決勝まで行けたから、負けても仕方ない」というムードが漂っていただけに、優勝の喜びはなおさら大きかった。スプリングボックスのグッズは軒並み売り切れ、スポーツチャンネルではいまだに決勝の試合を数時間おきに流している。11月5日夜、優勝トロフィーとともに帰国した監督および選手達を、数千人の国民が空港で出迎えた。

南アフリカ代表チームのキャプテン、シヤ・コリシ選手(Siya Kolisi、28)やラッシー・エラスムス監督(Rassie Erasmus)らは5日夜、O・R・タンボ国際空港に当初の予定より遅れて到着した。仕事よりも選手を見ながら喜びのダンスを踊る空港職員らに囲まれて、彼らが出口に姿を見せたのは夜8時を過ぎていた。それでも国の英雄たちを称える声は止むことなく、さらにコリシ選手が金色に輝くトロフィーを高く掲げると空港は歓喜の声に包まれた。

コリシ選手とエラスムス監督は疲れを見せることなく、空港で行われた記者会見でのインタビューに応じた。エラスムス監督は「チームが過酷なトレーニングを行い、体調を万全に備え、試合のプランに関する課題をこなした結果が勝利につながった」と述べ、「共に過ごした135日間は、まさにプロフェッショナルだった。国のために勝ちたかった」とコメントした。エラスムス監督は今季限りで退任するが、今後はラグビー協会の重鎮としてスプリングボックスを見守っていくこととなる。

コリシ選手は若い頃にラグビーの試合で交代要員として出場するまで、コツコツと準備をしていたそうだ。その機会が訪れた時に、自分を万全以上の状態にしてチャンスを掴んだ。そして今は、黒人として初めて国を代表するチームのキャプテンにまでなったのだ。彼はそんな経験を踏まえて、若者たちへこのように熱く語っている。

「ゴールに到達するためには、努力してチャンスを掴むことが大切。それはきっとできる。辛い思いはして欲しくないが、今後全ての人にとって状況がより良くなっていくことを願っている。」

さらに南アフリカの子供たちへ、「一番大事なことは、『君にはできない』という他人の言葉に簡単に耳を貸さないこと。すべては自分にかかっている。夢を見続けて、それを信じ続けてほしい」とメッセージを送った。

これほどまでコリシ選手が「レジェンド」と言われるのは、彼の生い立ちがサクセスストーリーだからだ。1991年6月16日にポートエリザベスにて生まれたコリシ選手だが、母親は当時16歳、父親は高校卒業を控えた18歳だった。父親は高校卒業後にケープタウンへ出稼ぎに行ったことから、コリシ選手は祖母、叔母、叔父らとポートエリザベスの貧しいタウンシップで育った。そんな祖母たちの愛情を受けて育ったコリシ選手は「生活は苦しかったが、最悪ではなかった」と述べている。

地元の小さいクラブラグビーでセンターを務めていた父親の遺伝子は、コリシ選手が8歳の時に開花した。その時の試合は「50-0」と大敗したが相手チームのコーチの目に留まり、コーチの誘いで相手チームの小学校に通うことに。そこからラグビーの腕は上がり、ポートエリザベスにあるラグビー有名校に推薦入学、コリシ選手の夢は次第に大きくなっていったそうだ。当時のコリシ選手は英語を全く話せなかったが、同じ寄宿舎にいた友人がサポートしてくれたという。

今回のワールドカップでは、コリシ選手の父親も日本で観戦しており、父親にとって人生初の海外旅行だったことを明かしたコリシ選手は「息子を連れて世界中を訪れることが父の夢だったと思う。父にはその手段がなかったが、自分が父の夢をかなえることができた。ラグビーには感謝している」と語った。

なおスプリングボックスは、7日から数日間かけて南アフリカの主要都市をパレードするとのことだ。



画像は『Springboks 2019年11月6日付Twitter「Absolutely incredible reception in Johannesburg for the team’s return home last night」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 FLYNN)

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