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【エンタがビタミン♪】パパイヤ鈴木、本名で呼び捨てにされた過去とユーミンへの恩義明かす 『春よ、来い』に出会わなければ「今の僕はなかった」

TechinsightJapan 2020年5月18日 17時15分

タレントのパパイヤ鈴木はダンサーや振付師としても活動しており、1999年6月には「パパイヤ鈴木とおやじダンサーズ」名義でデビューし、CD『やきとりサンバ』を発売した。実はその数年前に“ユーミン”こと松任谷由実のコンサートツアーにスタッフで参加した時期があり、ブログで当時を振り返って多大な影響を受けたことを明かしている。

パパイヤ鈴木は石塚英彦とレギュラーを務めたグルメバラエティ番組『元祖!でぶや』(テレビ東京系・2008年3月18日終了)で石塚とともにグルメリポートで美味しさを表現する「まいうー」を流行らせた。しかしそうやってパパイヤ鈴木として有名になる前は、ユーミンのコンサートで「ダンスコーディネイター」を担当していた。

『パパイヤ鈴木の パパさんブログ』で5月13日に「ユーミンのおかげ!?」のタイトルで当時のことに触れている。

「ダンスコーディネイター」とはダンサーのマネージャー的な役割で、スケジュールやお金まで管理して全てをスムーズにトラブルなく進行するのが仕事である。

そんななかでパパイヤ鈴木は、ユーミンの壮大なステージを目の当たりにして刺激を受けた。特に1994年12月から1995年6月まで開催された26枚目のアルバム『THE DANCING SUN』(1994年11月25日発売)をテーマにしたツアーは圧巻だったという。

ユーミン初となる360度観客が入る円形の舞台を使ったアリーナツアーで、バンドメンバーやコーラス、ダンサーが定位置に着くところからショーは始まっていた。

360度客席に囲まれたセンターステージは舞台袖がないのに、いったいユーミンはどうやって現れるのか? パパイヤ鈴木はその瞬間を「一曲目が始まると、一番盛り上がるところでユーミンが登場します。ここが、僕の一番好きなところ。とにかくカッコいい!」と描写する。

「2時間30分を超えるコンサートは、エンタメに溢れた素晴らしいものでした。最後の曲は『春よ、来い』泣きましたね」「歌手になりたかったひろし少年は、いつしか仕事に追われ自分の夢を見失っていました。なかば夢を諦めかけていた時に、このツアーに出会いました」「『春よ、来い』を聴きながらもう一度自分の夢を追いかけよう! と、心に決めました」と回想するパパイヤ鈴木。

当時はまだ本名の鈴木寛(すずき ひろし)としてスタッフを務めており、舞台裏では先輩スタッフから「おい、ひろし」と呼び捨てにされていたという。

それから4年を経て1999年6月に『やきとりサンバ』でCDデビューすることになるのだ。パパイヤ鈴木は「あの日、あのコンサートに参加していなければ、『春よ、来い』を聴いていなければ、今の僕は無かったと思います」と懐かしんでいた。

パパイヤ鈴木として活動を始めてからは、ユーミンのコンサートにゲストとして呼ばれており「一緒にデュエットもしたんですよ。こんなに嬉しい事はありません。夢って叶うんですね!」と感慨深げである。

松任谷由実のコンサートパンフレットのなかでは「かつて『おい、ひろし!』と呼び捨てにされていたスタッフから、今度は『パパイヤさん』と呼ばれるのは気分がよい」と裏話を明かしていた。

そんなパパイヤ鈴木の大ヒット作と言えば、やはりAKB48の32枚目シングル『恋するフォーチュンクッキー』(2013年8月)で振付を担当したいわゆる“恋チュンダンス”だろう。日本のみならず海外でも大人気となり、ダンスを踊る動画が次々とSNSに投稿されて社会現象を巻き起こした。

もしユーミンのコンサートツアーで「ダンスコーディネイター」を務める巡り合わせがなく、圧巻のステージで『春よ、来い』に感動しなかったら、「ひろし少年」が夢を諦めたままに終わり“恋チュンダンス”も誕生しなかったのだ。

画像は『Papaya Suzuki 2019年11月29日付Instagram「大名でロケっす!」、2019年8月2日付Instagram「今日は元総監督と食べまくって来ました」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

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