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【エンタがビタミン♪】<間寛平インタビュー>吉本新喜劇は“大阪の宝物” 今後は「全国的になっていかなあかん」

TechinsightJapan 2022年4月29日 19時0分

「ア~メ~マ~」「アヘアへ」「かい~の」などのギャグで知られ、マラソンランナーとしても活躍したお笑いタレントの間寛平(72)。このたび63年続く吉本新喜劇で初のポストとなるGM(ゼネラルマネジャー)に就任したが、その寛平に吉本新喜劇の魅力や課題、現在109名いる座員のなかでも注目の座員、GMとしての意気込みなどをテックインサイトが聞いた。寛平は吉本新喜劇を全国的な存在にしていきたいという。

間寛平は、1970年に吉本新喜劇(以下、新喜劇)に入団し研究生になると、1974年には24歳の若さで座長に就任。その類まれなる才能で人気者になるが、1989年に退団して東京へ進出、全国的に知られるようになった。寛平の妻はもともと新喜劇の座員であり、公私ともに新喜劇が寛平の人生を作りあげてきたと言えるだろう。それでも今回新設したGMへの就任を岡本昭彦社長からオファーされたときには戸惑いもあったようだ。

■「GMでやらなあかん」決意まで約8か月
―今回GMに就任した経緯を教えてください。
間寛平:僕が『芸能生活50周年+1 記念ツアー』を去年の6月に東京からスタートしたときに社長が観に来ていて、「昔はこういう新喜劇だったな…」と社長が思い出して、今の若い子らに昔の僕らがやっていたような新喜劇を「教えてくれないか?」と言われまして。僕も新喜劇を33年離れているから「ちょっと無理かな?」と思ったんですけど、うちの嫁から「ここらで恩返しするつもりで頑張ってみたら?」と言われたんですよ。そこから毎日新喜劇のことが気になって、中継を観たり、いろいろやっていたんですけど「これ違うな」「これはあかん」と。それからほんまに「よし! GMでやらなあかん」となったのは会見(今年2月9日に開催したGM就任記者会見)やってからかな。社長から「みんなを育ててくれ」って言われましたけけど、「僕、まだ育ってないから」言うて、そっからですわ。



―するとGMとしての任務は若手を育てていくということですか?
寛平:去年の6月からずっとみてるんですけど、新喜劇の座員たちは危機感がないんですよね。漫才だったら『M-1』で優勝したいから予選から頑張ってやるじゃないですか。新喜劇は予選とか何もないからね。台本に名前が載って役ちょっともらって、NGK(なんばグランド花月)に出られる。それで満足しているように見えて…。あのNGKってすごいところなんですよ。漫才やってる若手なら「出られる!」って興奮して有り難いという気持ちが湧く舞台なんだけど、新喜劇の座員にはそういうのがないんですよ。

―先日の就任記者会見では、総選挙をして上位30名が舞台に上がれる公演を今年10月10日に開催すると発表なさいましたよね。危機感と言いますか、競争の意識が芽生えそうですね。
寛平:10月10日というのは、僕が新喜劇に入ったのが昭和45年の10月10日なんですよ。それでいつも『寛平まつり』をやっていたんです。それをやめて『新喜劇まつり』にしようということです。AKB48(の総選挙)みたいなもんで人気がある者が出られますよね。全然NGKやテレビに出ていなくてもYouTubeをやっている子もいますから、その子らが出てくるかもわからんしね。



■寛平が注目している座員は…?
―若手にとってはひとつのチャンスになりそうですね。なかでも寛平さんが注目している座員はどなたですか?
寛平:いい子が結構いてるんですよ。まずは(魚の)コブダイに似てるんですけど、多和田上人(たわた まさと)。コブダイそっくりなんですよ。(記者が写真を確認すると)ね、コブダイでしょう?(笑)



女の子は曽麻綾(そうま あや)。この子は英語もフランス語も中国語もしゃべれるんですよ。日本語は全然知らないんだけど、この2年か3年で全部覚えて、めっちゃ頭いいんですよ。カナダで育ったのかな? 日本語をものすごい綺麗にしゃべるんです。



あとはバレエが好きな松浦景子(まつうら けいこ)。単独でも1000人ぐらい入りますからね。そういう子を「うまいこと育てられへんかな?」と思うとるんです。僕もまだ育っているところやから、(明石家)さんまに育ててもろうてます。僕はしゃべりダメなんですよ。動きは負けないんですけど、どうしても頭ついていかれへんから。



■今年で座長を退く小籔千豊、何がすごい?
―寛平さんご自身も育てられているのですか(笑)。ところで新喜劇には座長が4人いらっしゃいますが、そのなかのお一人・小籔千豊さんが今年いっぱいで座長を退くと先日発表されました。小籔さんは東京のテレビ番組にもよく出ていらっしゃいますが、寛平さんから見てどのあたりが優れているのでしょうか。
寛平:やっぱりトークが上手やね。トークの力がありますね。みんな10年ちょっとやったら座長を抜けていきますから。僕も24歳から38歳ぐらいまでやってました。みんなそんなもんですよ。あとは若い子がまた育ってきて、また座長をやっていくので。



■吉本新喜劇はみんなが育ててくれる“大阪の宝物”
―新しい座長が誕生すると、新喜劇にまた新しい歴史が生まれそうですね。改めて新喜劇の魅力についてお聞かせください。
寛平:西の方はね、すごい馴染みがあって“大阪の宝物”みたいなもんなんですよ。63年間やってきて、何十億万人を楽しませたり笑わせたりしてきたと思うんですわ。宝物やから、今は小籔とかみんなが頑張ってくれて、東の方でもYouTube観てくれたりして知ってもらったんですけど、これからは全国的になっていかないかんなと思うてるんです。
新喜劇はね、みんなに育ててもらうんですわ。これからも本当に可愛がってもろうて育ててもらいたいなと思います。僕もほんまに関西のおっちゃん、おばちゃん、子供たちにもすごいお世話になって、大事にしてもらいましたわ。失敗して今やったらこんなことしたら抹殺されている人間ですけど(笑)、みんながね「寛平かわいそうや。出してやってくれ」って頼んでくれて出してもらって、今があるんです。

―大阪の宝物…素敵ですね。では最後にGMとして意気込みをお願いします。
寛平:見といてください! 必ず自分で納得のいく新喜劇作りますので!

間寛平はGMとして月に一度の月例会見を今年2月から実施中。また4月8日には「吉本新喜劇セカンドシアター」が大阪・難波にあるYES THEATERにオープンした。隔週金土日開催を基本に、既存の新喜劇にとらわれないイベントを開催してスターを発掘・育成していくという。寛平が“大阪の宝物”という吉本新喜劇が全国的な存在になるべく、寛平GMが全力で奔走していく。
(TechinsightJapan編集部 取材・文:関原りあん)

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