米テネシー州に住む91歳の男性が今月8日、ナッシュビルの病院で息を引き取った。男性が亡くなった翌日は、愛する妻との69回目の結婚記念日で、妻は最後まで夫の手を離さず、その9日後に後を追うように旅立ったという。米ニュースメディア『People.com』などが伝えた。
テネシー州キンクズポート出身のドイル・トーマス・“トミー”・スティーブンス・ジュニアさん(Doyle Thomas “Tommy” Stevens Jr、以下トミーさん)と妻のバージニア・マッカレムさん(Virginia McKarem)が今月、9日違いで亡くなった。ともに91歳だった。
2人は同じ地元の高校を卒業後、揃ってテネシー大学に進学し、1954年9月9日に22歳で結婚した。
トミーさんは米陸軍で8年を過ごした後、総合繊維メーカー「バーリントン・インダストリーズ社」に勤務し、輸送管理者として米国東部でキャリアを積んだ。そして夫妻でテネシー州メンフィスに拠点を移すと、物流関係の会社を立ち上げた。メンフィスでは子供2人に恵まれ、バージニアさんは子育てを楽しみながら、地元の教会や学校、市民団体での活動に勤しんだ。
トミーさんが引退後、夫妻は子供たちや孫が住むナッシュビル郊外フランクリンに移り住み、第二の人生をスタートした。ところが数年前、トミーさんがアルツハイマー型認知症と診断されると、夫妻は揃って認知症の介護施設に入居した。
トミーさんの健康が悪化したのは最近のことで、危険レベルの低血圧と呼吸器疾患を訴え、搬送先のナッシュビルにある「ヴァンダービルト大学メディカルセンター(VUMC)」で肺炎と敗血症と診断されたという。しかしすでに手の施しようがない状態で、「緩和ケア病棟」での入院が決まったのだった。
ところがトミーさんが入院した日の朝、愛する妻も別の悲劇に見舞われていた。転倒したバージニアさんは肋骨6本と脊椎を骨折し、臀部にも怪我をして、同じ病院のトラウマ・集中治療室に入院したのだ。
するとVUMCのスタッフは、家族が別の病棟を行ったり来たりしていることに心を痛め、バージニアさんをまずトミーさんの隣の部屋に移し、その後ベッドを隣に運んで様子をみた。
夫妻の娘カレン・クリーガーさん(Karen Kreager)は、バージニアさんが移動してきた時のことを「病室で両親がお互いの姿を初めて見た瞬間、顔がパッと輝いたのですよ」と嬉しそうに語り、このように述べた。
「父は母が入室してきた時、目を開けていました。コミュニケーションをとることはほとんどできませんでしたが、小さな声で何かを囁いているようでした。でも父は、母がすぐ隣で寄り添ってくれていることをちゃんと分かっていて、2人はその後ずっと、お互いの手を握ったままでした。」
「そして2人が隣同士になった最初の日、私たちは両親と一緒に過ごしたビーチでのバカンスや、休暇の御馳走のことなど、思い出話に花を咲かせたのです。それも病棟を行き来することなく、2人のことを同時にケアしながらね。ただ私たちにとって最も重要だったことは、『両親が一緒にいる』ということでした。」
バージニアさんは、この病院の配慮をとても喜んでいたそうで、成人緩和ケアプログラムの医長モハナ・カーレカー氏(Dr. Mohana Karlekar)は、当時のバージニアさんのことをこのように振り返った。
「ベッドを移動した直後から、バージニアさんは夫の手を握り、本当に愛おしそうにしていました。そして彼が亡くなってから数日後、私にこう言ったのです。『あんな状態だったけど、私は穏やかな気持ちでいられたの。だって夫の命が尽きるまで、あそこにずっといたかったから』とね。」
トミーさんが亡くなったのは、夫妻の69回目の結婚記念日の一日前だった今月8日で、バージニアさんは9日後の17日に息を引き取った。ともに家族に見守られながらの旅立ちで、バージニアさんが亡くなったことを伝えた訃報サイトにはこんな言葉が添えられた。
「なんて素敵なラブストーリーだろう。この世でも、死ぬ時も、そして永遠の命を得た後も、2人はいつも一緒だよ。」
なおテックインサイト編集部では、夫妻に粋な配慮をしたVUMCに病院の柔軟な対応や、患者と接するうえで普段から心がけていることなどについて話をうかがうべく取材を申し込んでいる。
ちなみに昨年11月には、米オハイオ州で79年間連れ添った100歳の夫婦が20時間差で旅立った。急に体調を崩し、同じ病室で手をつないだままだったという。
画像は『VUMC Voice 2023年9月1日付「Holding hands one more time: Compassion and collaboration allow couple to spend the most precious time together」(Photo submitted by the family)(Photo by Erin O. Smith)』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 A.C.)
テネシー州キンクズポート出身のドイル・トーマス・“トミー”・スティーブンス・ジュニアさん(Doyle Thomas “Tommy” Stevens Jr、以下トミーさん)と妻のバージニア・マッカレムさん(Virginia McKarem)が今月、9日違いで亡くなった。ともに91歳だった。
2人は同じ地元の高校を卒業後、揃ってテネシー大学に進学し、1954年9月9日に22歳で結婚した。
トミーさんは米陸軍で8年を過ごした後、総合繊維メーカー「バーリントン・インダストリーズ社」に勤務し、輸送管理者として米国東部でキャリアを積んだ。そして夫妻でテネシー州メンフィスに拠点を移すと、物流関係の会社を立ち上げた。メンフィスでは子供2人に恵まれ、バージニアさんは子育てを楽しみながら、地元の教会や学校、市民団体での活動に勤しんだ。
トミーさんが引退後、夫妻は子供たちや孫が住むナッシュビル郊外フランクリンに移り住み、第二の人生をスタートした。ところが数年前、トミーさんがアルツハイマー型認知症と診断されると、夫妻は揃って認知症の介護施設に入居した。
トミーさんの健康が悪化したのは最近のことで、危険レベルの低血圧と呼吸器疾患を訴え、搬送先のナッシュビルにある「ヴァンダービルト大学メディカルセンター(VUMC)」で肺炎と敗血症と診断されたという。しかしすでに手の施しようがない状態で、「緩和ケア病棟」での入院が決まったのだった。
ところがトミーさんが入院した日の朝、愛する妻も別の悲劇に見舞われていた。転倒したバージニアさんは肋骨6本と脊椎を骨折し、臀部にも怪我をして、同じ病院のトラウマ・集中治療室に入院したのだ。
するとVUMCのスタッフは、家族が別の病棟を行ったり来たりしていることに心を痛め、バージニアさんをまずトミーさんの隣の部屋に移し、その後ベッドを隣に運んで様子をみた。
夫妻の娘カレン・クリーガーさん(Karen Kreager)は、バージニアさんが移動してきた時のことを「病室で両親がお互いの姿を初めて見た瞬間、顔がパッと輝いたのですよ」と嬉しそうに語り、このように述べた。
「父は母が入室してきた時、目を開けていました。コミュニケーションをとることはほとんどできませんでしたが、小さな声で何かを囁いているようでした。でも父は、母がすぐ隣で寄り添ってくれていることをちゃんと分かっていて、2人はその後ずっと、お互いの手を握ったままでした。」
「そして2人が隣同士になった最初の日、私たちは両親と一緒に過ごしたビーチでのバカンスや、休暇の御馳走のことなど、思い出話に花を咲かせたのです。それも病棟を行き来することなく、2人のことを同時にケアしながらね。ただ私たちにとって最も重要だったことは、『両親が一緒にいる』ということでした。」
バージニアさんは、この病院の配慮をとても喜んでいたそうで、成人緩和ケアプログラムの医長モハナ・カーレカー氏(Dr. Mohana Karlekar)は、当時のバージニアさんのことをこのように振り返った。
「ベッドを移動した直後から、バージニアさんは夫の手を握り、本当に愛おしそうにしていました。そして彼が亡くなってから数日後、私にこう言ったのです。『あんな状態だったけど、私は穏やかな気持ちでいられたの。だって夫の命が尽きるまで、あそこにずっといたかったから』とね。」
トミーさんが亡くなったのは、夫妻の69回目の結婚記念日の一日前だった今月8日で、バージニアさんは9日後の17日に息を引き取った。ともに家族に見守られながらの旅立ちで、バージニアさんが亡くなったことを伝えた訃報サイトにはこんな言葉が添えられた。
「なんて素敵なラブストーリーだろう。この世でも、死ぬ時も、そして永遠の命を得た後も、2人はいつも一緒だよ。」
なおテックインサイト編集部では、夫妻に粋な配慮をしたVUMCに病院の柔軟な対応や、患者と接するうえで普段から心がけていることなどについて話をうかがうべく取材を申し込んでいる。
ちなみに昨年11月には、米オハイオ州で79年間連れ添った100歳の夫婦が20時間差で旅立った。急に体調を崩し、同じ病室で手をつないだままだったという。
画像は『VUMC Voice 2023年9月1日付「Holding hands one more time: Compassion and collaboration allow couple to spend the most precious time together」(Photo submitted by the family)(Photo by Erin O. Smith)』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 A.C.)