芸術作品が「猥褻」かどうかは慎重な判断が必要
愛知県美術館の写真展で展示された写真家・鷹野隆大さんの作品が、愛知県警から刑法が禁止する猥褻(わいせつ)物の陳列にあたると対処を求められ、美術館側が作品の一部を布や紙で覆うなど、展示方法の変更を余儀なくされる出来事がありました。
最近では、女性器をテーマにした作品を扱う女性芸術家が、自らの女性器を、いわゆる3Dプリンターで出力するためのデータを送信した行為が「わいせつ電磁的記録頒布罪」にあたるとして逮捕された事件も記憶に新しいところです。
芸術か、猥褻か。これは法の世界では以前から議論されてきたテーマです。刑法は、わいせつ物の頒布や公然陳列を犯罪として処罰の対象としていますが、そもそもこうした法律自体が、憲法の表現の自由を侵害するものではないかという議論もあるぐらいです。
裁判所は、刑法のわいせつ処罰規定は、性的秩序を守り、最少限度の性道徳を維持するためなどに必要だとしていますが、だからといって本件のような芸術作品が処罰の対象となる「猥褻」なものにあたるのかは慎重に判断されなければなりません。
芸術活動に萎縮的な影響を与えないよう協議する配慮が求められる
そもそも「猥褻」とは、どういうものを指すのでしょうか。昔の裁判例は「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義に反するもの」という難しい言葉で定義しており、この基準は数十年経った現在でも使われています。しかし、このような定義では人によって感じ方はさまざまで、処罰される「猥褻」な作品なのかどうかの判断は非常に難しいのです。
刑法の猥褻性が争われた事件ではありませんが、別の最高裁判所の事件では、本件と同様に男性性器を直接的に写した写真集が「風俗を害すべき図画」かどうかの判断において、この写真集が性器の描写に重点を置くものとしながらも、
(1)作者がこうした写真作品の第一人者として美術評論家から既に高い評価を得ていた
(2)この写真集が芸術的鑑賞を目的としたものである
(3)写真集全体のうち性器の写真は一部だった
(4)白黒写真で性交などの場面を直接的に表現したものではなかった
以上のことなどから、写真集全体としてみれば、「主として見る者の好色的興味に訴えるものと認めることは困難」と判断しました。先ほどの猥褻の定義だけではよくわからない判断を写真集に関して具体的に行ったものとして、今回の鷹野隆大さんの写真の猥褻性を考える上でも一つの参考になる判例です。
写真に対する愛知県警の判断が正しいかどうかについては、作品自体を見ていないため何とも言えませんが、前述のとおり、その判断は簡単に行えるものではないことだけは間違いありません。そのため、芸術活動に萎縮的な影響を与えることを避けるためにも、少なくとも検挙する側としては、一方的な当局の判断により直ちに逮捕するなどの対応は行うべきではなく、作者や関係者と慎重に協議するなどの配慮が求められるでしょう。
(永野 海/弁護士)