事業縮小の核心は少子化とは別のところにある
「志望校が母校になる」。これは代々木ゼミナールのコーポレートコピーです。「第一志望は、ゆずれない」の駿台予備学校、「すべては一人ひとりの生徒のために」の河合塾とともに三大予備校と称せられています。
8月28日、代々木ゼミナールは「お知らせ 平成27年度の校舎集約・事業再編について」をリリースしました。骨子は、今年度中に全国の27拠点を主要都市の7拠点に集約し、利用ニーズの高い大学入試センター試験模試を中止するというもの。
背景には、少子化による受験人口の減少、現役志向の高まりに伴う浪人生の減少があるとし、これまでの拡大路線を修正する縮小策を発表したのです。とはいえ、少子化は今に始まったわけではありません。事業縮小の核心は別の所にあるといえるでしょう。
もともと私立文系受験に強みを持つ代々木ゼミナールは、現役志向が高まる現状において不利に作用しました。そのうえ、インターネット光回線の普及による講義の動画配信が主流になる中、この取り組みが遅れたため、有名講師の流出に歯止めがかからなかったことが響いたようです。
福岡にあった2つの地元予備校で分かれた明暗
福岡に地元予備校が華やかし頃の興味深いエピソードがあります。地元予備校として知られる水城学園(運営は学校法人篠崎学園)と九州英数学館(運営は学校法人中村英数学園)です。
福岡市中央区舞鶴地区の多くの浪人生が集まる予備校通りは、飲食店、カラオケ店、パチンコ店などがひしめき、いつしか「親不孝通り」と呼ばれるようになりました。ちなみに、この不名誉な通りの名称は、水城学園が1998年閉校した後の2000年、現実に即していないとの理由で「親富孝通り」に改称しています。
その水城学園は1945年水城塾として開校。九州大学、福岡大学、西南学院大学などの合格率が高く、地元有数の知名度を誇っていました。少子化を見越して衛星授業を展開する東進ハイスクールと提携し、打開策を打ち出していたものの、1994年、近隣に競合の駿台予備学校が進出した影響を受け、1998年、ついに53年の歴史の幕を下ろしたのです。その後、学校法人高木学園の国際医療福祉大学福岡キャンパスとして利用されましたが、2013年4月、同校が福岡市早良区百道に移転したため、現在解体工事が行われ、名実共に水城学園の面影は無くなろうとしています。
九州英数学館の道のりも平坦ではありません。1951年開校し、大学受験予備校として水城学園と双璧であったものの、環境変化に抗えず、1999年、一般大学受験科を閉鎖しました。一方、併科の美大受験科は存続していましたが、現在は他学院に譲渡しています。
しかし、活路は外国人教育にありました。1994年、九州英数学館国際言語学院設立し、1999年、文部科学省による九州唯一の「準備教育課程」指定校に選定され、大きく経営の舵を切ったのです。現在は、外国人に対し、日本の大学、大学院等への進学予備教育を行い、日本語教育や大学進学を支援することで異彩を放っています。
人口減社会の到来を真摯に受け止め「準備」を
これまで予備校の話に焦点を当ててきましたが、「大学全入時代」とも言われるように、もはや予備校だけではなく、大学の破たんやM&Aが珍しくなくなるでしょう。専修学校や各種学校も同様です。例えば、自動車学校は少子化に加え、若年層の車離れのダブルパンチを受けるなど、旧態依然とした学校運営が成り立ちにくくなってきていることは自明の理です。
人口減社会の到来は早くから言い尽くされてきましたが、遠くない将来だからこそ、実感がわかないのかもしれません。このキーワードを「狼少年の戯言」と捉えるのか、真摯に受け止め早くから手を打つのとでは雲泥の差があります。
第一次ベビーブーム時代に生まれた団塊世代(1947-1949年生まれ)のリタイアはピークを迎え、会社を勤め上げた達成感と同時に通勤なき空虚感が同居しています。一方、第二次ベビーブームに生まれた団塊ジュニア世代(1971-1974)は向学心旺盛な世代です。MBA(Master of Business Administration=経営管理学修士)やMPD(Master of Project Design=事業構想修士)を取得する教育機関は活況と聞かれます。時代が求める特徴あるニーズやウォンツは何かを見極める「準備」が必要なのです。今回の代々木ゼミナールの件で危機感を覚えたとしても、九州英数学館の事例は生き残るための示唆に満ちています。
(村上 義文/認定事業再生士)