「トレーナーを切られた」女児の狂言だったことが判明
登校途中の小学6年の女児が「男からすれ違いざまにトレーナーを切られた」と学校に報告した事件は、女児の狂言だったことが判明しました。女児は「トレーナーが破損し、親にばれるのが怖かった」と説明し、反省しているといいます。
結果的には事件ではなく、女児の嘘だったということになりますが、私はこのニュースを聞いて、なんとも複雑な気持ちが湧いてきました。
それは次のような嘘と比べてみればわかりやすいかもしれません。例えば、共謀者の作った交響曲を自作したと嘘をつき、天才の演技に浸っていたエセ作曲家。または、嘘の公務を名目に支出した公費を追及され、号泣して言い訳をした元議員。これらの嘘は、明らかに女児の嘘と趣きが違います。同じ「嘘」でも、さまざまな種類があることに気づきます。
同じ「嘘」でも、さまざまな種類が。女子の嘘は「切ない」嘘
思いつくままに嘘の種類を分類してみると以下の内容が思いつきました。
(1)自分の利益のために周囲をだます「あくどい」嘘
(2)自分の身を守るためにつく「切ない」嘘
(3)相手のためにつく「やさしい」嘘
(4)自分の行為をなんとか説明するための「思い込み」の嘘
(5)「楽しい」嘘
これに従うと、エセ作曲家や元議員の嘘は(1)「あくどい」嘘になり、女児の嘘は(2)「切ない」嘘、ということになります。(3)の「やさしい」嘘は、例えば病気の告知に関わるような、人に希望を持たせるための「嘘」。(4)の「思い込み」の嘘は、例えば、小さな子どもや認知症の人が何とか記憶のつじつまを合わせるために「思い込む」作話のような「嘘」です。悪意はありません。そして(5)の「楽しい」嘘とは、エイプリルフールや子どもの遊びのような「嘘」です。
「あくどい」嘘には厳しい態度で毅然と叱るべき
この中で気をつけたいのは、(1)と(2)の嘘です。特に「最も許してはならない嘘」は、自分の利益のために相手をだます「あくどい」嘘。こういう「嘘」を子どもがついた時は厳しい態度で毅然と叱るべきでしょう。そうでなければ「あくどさ」に麻痺して「邪悪さ」へとエスカレートする危険性が生まれてきます。
しかし残念ながらこの手の嘘は、大人がつくことが多く、子どもはそれを良く見ています。毎日メディアで取り上げられるさまざまな「嘘」が、子どもたちの良心を麻痺させているのかもしれません。まずもって、大人の側が襟を正す必要がありそうです。
子どもの「切ない」嘘は心配すべき。背景を考えることが大切
そして「最も心配しなければならない嘘」は、(2)の「切ない」嘘。今回のニュースの嘘は、詳しい事情はわかりませんが「嘘をついてごまかす」というより、「本当のことを言えない」状況や心理状態にあったと想像できます。このような「嘘をつかざるを得なかった」背景を考えることは大切でしょう。これも大人の側に豊かな感受性を持つことが求められているといえます。
大人は子どもが「嘘をついたこと」、さらに「自分が嘘をつかれた」ことにショックを受けて感情的に叱りがちです。しかし「子どもの嘘」に限っていえば、それは「心の成長」の証でもあります。つまり、自分と相手の区別ができて、「こう言えばきっと相手はこう思うはずだ」と想像する力が育ってこなければ嘘をつくことさえできないからです。「嘘」や「秘密」、さらには「悪」というものが芽生えることで、心に奥行や陰影や豊かさが出て来るともいえるのです。
とはいえ、やはり社会としては子どもには「嘘をつくことはいけない」と伝えることは当然です。その上で嘘の種類と背景を冷静に見据え、特に「あくどい嘘は絶対に許さない」と念を押し、加えて「本当のことを言っても守ってもらえる」という安心感を与えることと共に「本当のことを言えた勇気」をほめてあげることを忘れてはならないような気がします。
(岸井 謙児/臨床心理士・スクールカウンセラー)