女子大が入学願書を不受理。20代の男性が大学を訴え
公立の女子大に入学願書を受理されなかったとして、20代の男性が大学の対応を「不当な性差別であり違憲だ」とする訴えを起こしました。詳しい事情はわかりませんが、男性の代理人弁護士によると「かつて女子大には、教育機会を得にくかった女性を優遇するという側面があったが、その意味は失われている。国公立の女子大の存在が憲法上許される根拠はない」ということです。
男女平等を掲げる現代の日本社会において、女子大や男子校という男女別学の在り方に一石を投じた裁判となりそうです。改めて現代社会における男女別学という制度を考えてみた時、どのような社会的意義を持っていると言えるでしょうか。
過去に男女別学の果たした役割は、次第に終えつつある
「男女7歳にして席を同じうせず」という言葉がありますが、男女別学というのは、昔は日本のみならず欧米でも当然の考え方でした。しかし、道徳律や社会の制度というのは、常にその社会の影響を受けるものです。欧米では、フランス革命のシンボルとして「自由の女神」が描かれたり、産業革命によって労働力としての女性の存在が認められたりする中で、次第に男女共学へと移っていきます。また、日本においても戦前はやはり昔は男女別学が一般的でしたが、戦後のGHQの方針により男女共学が一般的になってきた経緯があります。
その過去を振り返ってみると、男女別学の果たした役割は次の3点であると思われます。
(1)地方に住む女子の進学率や社会的地位向上へつなげる公立教育機関としての役割
(2)いわゆる地方の名士や富裕層の男子・女子のための私立教育機関としての役割
(3)宗教(キリスト教・仏教等)の理念に基づいた教育機関としての役割
確かに過去においてそれぞれの役割として女子校や男子校があったわけですが、現代社会においては、(3)は別にして、その他の役割は次第に終えつつあると言えるかもしれません。
社会の変化から考えて、男女別学という学校の在り方は難しい
特に女子大については、女性の社会進出を促す男女雇用機会均等法などによる社会情勢の変化や、少子化に伴う大学の経営上の問題等から、男子にも門戸を開かずにおれなくなり、現在、男女共学に変更した大学は大きく増えています。
一方、男子だけしか入学できない大学について言えば、昔は東京帝国大学を筆頭とする旧帝国大学は男子しか入学できませんでした。しかし、戦後のGHQ方針を踏まえ男女共学となり、現在入学者を男子に限るという大学はありません。こういう社会の変化から考えて、男女別学という学校の在り方は今後ますます難しくなってくるのではないでしょうか。
構造としての男女平等が進む中でそれぞれの在り方の模索が始まる
今の小学校などでは児童名簿に男子・女子と言う区分がなくなるなど、構造的には男女平等という「ジェンダー・イクオリティ」化が進みつつあります。しかし一歩踏み入れば、度重なる国会でのセクハラ発言に見られる通り、相変わらず本質は男性中心社会です。その中で女性は、男性と同じ「労働力」としての在り方と、男性の求める「女らしさ」とのはざまで苦しんでいるように思われます。構造としての男女平等が進むことで、むしろ新しい男女のそれぞれの生き方や関係性の在り方の模索が始まると言えるでしょう。
その中で、もし今後、女子大がその社会的意義を見出すとすれば、フェミニズム、ジェンダーといった視点から、女性の自立した生き方やリーダーシップ力を高める教育機関としての新しい役割ということになるかもしれません。その時、男子学生は自らの在り方のモデルとして、どのような新しい男性像を見出すことができるのか、今後、問われてくることになるのではないでしょうか。
(岸井 謙児/臨床心理士・スクールカウンセラー)