大学の卒業要件を厳格化。質の高い学生を輩出する狙い
大学教育改革の一環として、5~6年後から大学入試制度を大きく変更する答申が昨年末に提出されました。これに続いて今度は、大学の卒業要件を厳格化する方針と報じられています。日本の大学は「入ってしまえば出るのは簡単」などといわれ、アメリカなどに比べて日本の大学生は勉強しないと批判されることが多いことから、安易な卒業を認めないことで社会のニーズに応える質の高い学生を世に出そうという狙いです。
これに対して「高校まで受験勉強で遊ぶ暇もなかったのだから、大学ではゆっくりしたい」「現状のまま制度上だけ厳しくすると大量の留年、退学者が発生する」として厳格化に反対する声が一部にある一方、「日本の大学生は遊びすぎ」「4年間、無為に過ごしても卒業できるのはおかしい」などと、文科省の方針は概ね妥当であると賛同する声が多いようです。
日米双方の大学で学んだ私自身の経験から言えば、確かに日本の大学生と比べてアメリカの大学生は勉強と遊びのメリハリがはっきりとしています。平日は図書館が座る席もないほど一杯になりますが、週末は図書館で勉強しているのは大量の課題に圧倒される英語のできない留学生だけで、ほとんどのアメリカ人学生はパーティをしたり実家へ帰ったりと、試験前を除いて勉強しないのが一般的です。
「卒業」の要件はすべて個々人の判断に任せて自由にすべき
しかし、誰もが同じように4年間きっちりと勉強して無事に卒業証書を手にすることが、本当に社会のニーズに応えることなのでしょうか。
社会に最も近い教育機関である大学へ通う目的が、将来就きたい職業に合わせて専門的な知識を学ぶことであるとすれば、勉強は3年で十分という職業もあれば、同じ職業でも勉強に5年かかる人もいるなど、本来、仕事の内容と学生の能力により「何をどれだけ学ぶべきか」は千差万別なはずです。
ですから、「大学は高校卒業後すぐに入って4年で卒業するもの」と一律に規定することは不自然であり、卒業する・しない、何年かけて卒業する、など「卒業」の要件はすべて個々人の判断に任せて自由にすべきです。また、大学を中退して社会に出ても再入学できるようにしたり、高校卒業後も勉強を続ける意欲のない人はいったん社会に出て、仕事を続ける上で知識や技能を学ぶ必要が生じた時点で大学へ入るなど、大学を個人のキャリアパスやライフスタイルに合わせて生涯いつでも出入りできるようにするのもひとつの方法でしょう。
具体的な学習履歴によって採用の是非を判断するよう産業界に期待
産業界から「大学は社会のニーズに合う人材教育をしていない」という批判の声が上がるのをよく聞きます。しかし、採用にあたって、大学で何をどれだけ学んだのかということがどの程度まで考慮されているのか疑問です。むしろ下手に大学で頭でっかちな人間を育てられるよりも、純粋無垢で企業が好きなように色を染められる人材が好まれる傾向があるのではないでしょうか。
卒業証書という紙1枚ないとエントリーさえできないという採用制度を改め、企業ごと、部署ごと、または職種ごとに必要となる知識・技術・要件を明示して、大学卒業という形式ではなく、具体的な学習履歴によって採用の是非を判断するよう産業界には期待します。
(小松 健司/個別指導塾塾長)