「小学校入学前から」という意見も
先日、電車に乗っていると、子どもをベビーカーに乗せた若い母親が乗車してきました。その子の手には、母親のものであろうスマートフォンが。さすがに通話ではなく、動画に見入っていましたが、もはやスマホは電話としてだけではなく、多機能なツールとして、さまざまな年齢層に使われています。では、スマホは何歳ぐらいから利用するのが妥当なのでしょう。
NTTドコモが運営する「みんなの声」の結果によると、約半数は高校生から、約3割は中学生からの利用が適当と回答しています。中には「小学校入学前から」という意見もありました。これらの回答は「(1)スマホの有用性・利便性」「(2)ネットやLINEなどのSNSの影響」を考慮した結果ではないでしょうか。
まず、スマホの有用性・利便性としては、最近の多機能化や目的の多様化が挙げられます。冒頭の例のように、スマホは電話としての機能だけでなく、さまざまな付加価値が加わったツールとなっています。「小学校入学前から」という回答は、通話機能よりもゲームや動画などの付加価値を目的とした使われ方や、防犯上の理由で子どもに持たせる必要性を感じているからでしょう。こういう場合、「子どもの年齢」を問題にするより「状況がスマホの利用を必要としている」といえます。
「きずな依存」の状況は「個」としての自立を妨げる
他方、8割弱の回答は「中高生になってから」であり、その理由は、やはりネットやLINEなどのSNSの影響などを考慮して判断された結果ではないかと思われます。これについては、どのように考えれば良いでしょうか。
思春期の成長課題として、「一人でいられる能力の育成」を挙げることができます。「一人でいられる」というのは、親子関係を通じて内面に十分な安心感が育ち、その内的な安心感に支えられて、成熟した「個」として自立した生き方ができるようになる、ということです。ただ「自立」というものの裏側には必ず「孤独」があり、その「孤独」を共有し励ましあう仲間として同年代の友人関係は欠かすことができません。その意味で、中高生が部活動や雑談で仲間と群れることと、SNSなどで関係の親密さを確認することは決して間違いではないのです。しかし、やはり仲間同士で実際に群れる体験と、SNSを通じた「つながり体験」とでは「生身の体験かどうか」という点で決定的に異なるのも確かです。
かつて固定電話しかなかった時代には、友人に電話をしても横に親の気配を感じ、長電話にでもなろうものなら親の咳や足音が響いたものです。このような大人世代との「生身の関係」は、現在のスマホをめぐる状況にはありません。同世代の閉鎖性の中だけでの「きずな依存」といわれる状況は、若者を顔の見えない疑似的・匿名的な仲間関係に縛り埋没させ、「個」としての自立を妨げているようにも感じます。
スマホ利用は「個」を意識できる高校生年齢からが適切
今の若者は、その意味で「一人になる」ことを怖がっているのではないでしょうか。「ぼっちの恐怖」という言葉は「一人ぼっち」になってしまう不安を表し、「空気が読めない」ことも非難されます。もし周囲にどう思われるかが自分の行動の基準となるのなら、それは「個としての自立」の反対極だともいえるでしょう。
SNSなどの「疑似仲間関係」が、このように若者の「個」を埋没させる影響を与えているとすると、やはり見過ごせない問題です。その点からいえば、まだ「自立」の入り口にいて「個」の確立していない中学生年齢では、できれば「生身の体験」を重視し、ある程度、大人社会と子ども社会の両方を見渡せ「個」を意識できる高校生年齢からが適切かと思います。
集計:みんなの声
(岸井 謙児/臨床心理士・スクールカウンセラー)