イオン「母の日」の広告文言に論争が起こる
四季が豊かなせいでしょうか、日本は世界屈指の年中行事が多い国です。とても素晴らしいことですが、最近次第に年中行事本来の意義や意味が失せ、売上向上の戦略になっている感があります。大手小売業のイオンが母の日商戦で「母を女にしてやろう」とのキャッチコピーで論争を巻き起こしたのも、いい例でしょう。
「母を女にする」ということは、「母親に浮気でもさせるのか?」「母親に尊厳が感じられない」など、さまざまな観点から女性蔑視も甚だしいとの意見がありました。しかし、個人的にはそこまでむきになることではないと考えています。キャッチコピーが、見る人の意識を集中させるための言葉である以上、思わず「え?」と想像させる要素は必要ですが、感覚は人それぞれです。キャッチコピーの内容を解説する文章を読み、総合的にその意図を理解することが大切ではないでしょうか。
短絡的に女性蔑視と捉えるのも浅はか
確かに「セクハラ」「マタハラ」などが問題になる中、「女にしてやる」との表現は強烈な印象を与える効果がある反面、女性蔑視と受け取られても仕方がありません。しかし、これを作成した企業の理念や日頃の振る舞いは多くの人々に受け入れられており、今までの経験のもと、自分が知っている情報と照らし合わせれば、短絡的に女性蔑視と捉えるのも浅はかかもしれません。
ところで、平成11年に男女共同参画基本法が制定されましたが、これは男女が社会の対等な構成員としてより良く生きるための法律です。しかし、女性が女性として、心豊かに長い人生を生きて行くことは、安易なことではないように思います。「母親」であることと、「女」であることは、ある意味で対極に位置します。
女であることは「浮気でもさせるのか」という意見に象徴されるように、男性を惹きつけるために外見を磨き、魅力的になることを目指します。一方、母親になることは、子供を身も心も健康に育てることに全力を注ぎ、浮気も無縁で、子供に愛情を注ぎます。子どもにとって最も必要なものは母親の愛情であり、優しさです。従って未来の宝である子どものためにも、母親を大切にするのは当然です。「女」である生き方を目指すか、「母親」である生き方を目指すか、「女であり母親」である生き方を目指すかは十人十色ですが、大切なことは自己理解、つまり自分自身を正しく理解することです。
母の日の意義や意味を正しく理解し、自分なりの感謝を伝える
さて「母の日」は、母に感謝の気持ちを表す日ですが、感謝は求められるものではなく、自然に与えられるものです。従って母親のためでもありますが、子供が感謝を表す日でもあります。そして、「母の日」が存在すれば子どもは母に素直に感謝の気持ちを表しやすくなります。ここに母の日の存在意義がありますが、千載一遇のビジネスチャンスにもなり、売る側も多彩な戦力を展開し、派手な広告が飛び交うようになります。
そんな中、大切なことは不必要にそれらに振り回されるのではなく、母の日の意義や意味を正しく理解し、自分なりの感謝の伝え方を醸し出すことです。母親が一番喜ぶ贈り物は、意外にさまざまなギフトグッズではなく、将来子どもが健康で、思いやりのある子に育つことかもしれません。
(平松 幹夫/マナー講師)