目上の人に「お疲れ様」との言葉は不自然?
良好な人間関係を維持するための行動である挨拶は、年を重ねると本来の意味が薄れ、拡大されるものも珍しくありません。言葉は時代と共に変化するということでしょうか。また、マナーにも不易流行的側面があり、最近はタモリが口火を切った「お疲れ様禁止」が物議を醸しています。目上の人に「お疲れ様」の言葉を使うのは不自然だということで、「こんにちは」に変えた職場もあるようですが、私は全く問題ないと考えています。
もともと、「お疲れ様」の本来の意味は、相手の労をねぎらう意味で発する言葉で、発する側は相手の疲れを理解できる人であり、受ける側はそれを認められた人です。従って、同じ職場等の仲間同士間での使用頻度は多く、身分や立場に関係なく用いられるのが一般的です。
ただ、最近では職業・雇用形態の多様化により、「お疲れ様」の使用が非常に多岐に渡り、本来の意味が希薄化し、拡大解釈されている場合もあります。例えば、変則勤務等で自分だけが早く帰る時の挨拶として「お疲れ様でした」と言いますが、これは、発する側は「別れの挨拶」となり、発せられる側はまだ仕事は持続中のため、その時点で労をねぎらう意味は薄くなります。「お先に失礼いたします」が適切だと思いますが、「お疲れ様」でも違和感はありません。
本来の意味から少し逸脱するものの「お疲れ様」に違和感はない
また、よくあるパターンですが、職場で同僚や上司とすれ違う時に「お疲れ様」と挨拶する場合です。同僚や友人と行き会う場合は、双方とも歩きながらの会釈で対応すれば問題ありませんが、相手が上位者の場合は、数歩手前で立ち止まり、当人は敬礼で相手は会釈程度のお辞儀をするのがマナーです。
従ってこの場合も、本来の意味からすれば少し逸脱していますが、「お疲れ様」との挨拶も不自然ではないと思います。加えて、メールや電話などでも、初めの挨拶として「お疲れ様」を使用することが一般化しているようです。さらに、筆者がホテルに勤務していた際、観光バスで到着した宿泊客を迎える時に「お疲れ様でした」と言いますが、不快に思われたことは一度もありません。
職場で「お疲れ様」が一般化した理由とは
このように、職場で「お疲れ様」との言葉が一般化された理由としては、今の日本が何かにつけて慌ただしい毎日であるがゆえ、皆が皆「いつも疲れている」と捉え、それに即した言葉になったという背景があるのだと考えられます。また、日本の職場は古くから和の精神を尊び、同じ釜の飯を食べることに重きを置いた国民性ですから、この言葉をかけあうことで労をねぎらい、互いを認め合い、助け合い、協力し合い、仲間意識を高める効果を期待したものと思います。
一方「こんにちは」の本来の意味は「今日はご機嫌いかがでしょうか?」で、「おはようございます」は「おはやくてよろしいですね」の短縮語です。昔の人は初対面の人にでも挨拶をすることをとても大切にしていたため、昼に初めて会った人や、朝早くから働く人にねぎらいの声をかけていたわけです。時間に応じて職場の人でもそれ以外の人でも、気軽に発することができます。
言葉より、先に「心」ありき
日本語は世界屈指の美しい言葉ですが、同時に難しい言葉でもあります。広辞苑には20万以上の言葉が収録され、敬語の数も半端ではありません。それだけ多くの言葉の中から、どの場面で、どの人に対して、どの言葉を選択して、どのように並べるかは知性や教養に溢れた人でも至難の業です。
だからこそ、人間関係の潤滑油になってくれる挨拶言葉が、「お疲れ様」であれ、「こんにちは」であれ、さほど目くじらを立てる必要はなく、その職場の状況や習慣等に応じて使用すればいいと思います。大切なことは、挨拶が良好な人間関係を築き維持するためのものである以上、「言葉の持つ本来の意味を伝えるより、気持ちを伝えるもの」と認識し、心を込めて発することではないでしょうか。言葉より、先に「心」ありきです。
(平松 幹夫/マナー講師)