不安や心理的ストレスに伴う記憶障害について
1年半前に政務活動費の問題を説明するための記者会見で号泣し、注目を浴びた野々村元兵庫県議は、初公判で起訴内容を否認し、検察からの政務活動費についての質問には、一貫して「覚えておりません」と繰り返しました。一方では、「昨年12月に記憶障害の可能性があると診断されている」と述べました。診断書は公開されていませんが、記憶障害を疑われる背景となっている野々村被告(以下、被告)の精神状態を考察します。
号泣の背景
1年半前の号泣した記者会見ですが、記者から活動内容の詳細について問われます。「城崎温泉駅、JR佐用駅、東京都内、博多駅の4箇所で195回」の出張経路を具体的に答えられず、特に102回に及ぶ城崎温泉の出張経路についても「記憶にない」として退けています。記者からの質疑応答にほとんど明確に答えられなかった後に、被告は号泣します。号泣している時の発言内容を一部抜粋すると、「一生懸命、落選に落選を重ねて、・・・選出された代表者たる議員であるからこそ、・・・報道機関の皆さまにご指摘を受けるのが、本当に辛くって、情けなくって」また、「政務活動費・・・大事ですけれども! 議員というそういう大きい括りのなかでは、極々小さいものなんです」としています。
被告は自分なりに大変な努力の末に県議になり、県議の活動に誇りを感じていたからこそ、公の場で自分の不正行為を追求する記者との質疑応答が大変苦痛であり、理不尽にも感じていたようです。号泣の様子は大げさでドラマ性を帯びており、強い心理的な葛藤の表現であったのでしょう。
書類送検から在宅起訴へ
号泣会見後、県警の取り調べで、被告は出張にはほとんど行っていなかったことを認めました。詐取した金は食料品や商品券の購入などに使ったとのことでした。記者会見で記憶にないと話していた被告は、県警の取り調べでは過去の記憶を取り戻せたようです。
2015年11月24日、詐欺・虚偽有印公文書作成、同行使で起訴され、神戸地裁で初公判の予定でした。しかし、弁護人によれば被告はマスコミの度重なる取材で精神的に不安定となっていたために初公判は欠席となりました。同日に更新された被告のブログには取材強要があったら110通報するとされており、取材に極端に拒否的な姿勢が見られ、取材への強い不安がうかがわれます。また、被告はその10日ほど前から不安のために精神科に通院し、去年12月には「記憶障害の可能性がある」と診断を受けています。
このような不安が強い精神状態の中、被告は裁判所によって身柄を拘束され、今年1月26日の初公判に強制的に出廷させられました。しかし、警察の取り調べの供述とは一変し、最初の会見の時と同様、「覚えていない」と繰り返すばかりだったのです。
解離性健忘による記憶障害は演技や虚言と見られがち
思い出したくない心の傷となっている記憶のことをトラウマ(心理的外傷体験)と言います。被告の場合には、県会議員であったことに彼なりのプライドを持っていたために、自分が不正行為を働いてしまったことが、トラウマになっていると考えられます。
号泣する姿に示されたように、被告にとってはそれを思い出すことが、大変な苦痛を伴うことなのでしょう。さらに、その不正行為を公の場で報道陣に追及された会見も、大きなトラウマとなっている可能性があります。
一般に、何らかのトラウマを持っている人は、トラウマになっている記憶を思い出させる可能性のある物事を避けようとします。さらに、その記憶を思い出せないことがあり、それは特定の記憶を思い出すことによる強い苦痛を避けるための心の防衛メカニズムによるとされ、これを解離性健忘といいます。
被告は、彼にとっては不安をもたらすマスコミの取材を伴う会見や公判の時に、自分の特定の行動についての記憶障害が見られたが、人目にさらされずに済む警察の取り調べでは記憶を取り戻せていたとも考えられます。トラウマになっている記憶を取り戻させるためには、本人が批判や否定をされることがない、安心できる環境で落ち着いて話してもらうことが大切なのです。
被告の公判での言動を演技や虚言として批判する向きもあるようですが、心の防衛メカニズムの働きによって、本当に思い出せなかった可能性もあるでしょう。被告の記憶障害が、心の傷を受けたことによる症状ならば、被告に不安や緊張をもたらす環境でそれを回復させることは難しいのです。
(鹿島 直之/精神科医)