経済格差が教育格差につながることは教育基本法に反する
最近「教育の格差」という言葉を耳にします。
親の経済的な格差が、子どもの教育の格差につながっているというのです。
教育基本法第4条第1項には、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、(中略)経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」とあります。
もし経済的な理由で進学をあきらめなければならない子がいるとすると、それはこの条文に反するといえそうです。
経済的に不利な家庭の子どものために,義務教育無償,就学援助や奨学金といった制度によって,お金がない子には国などがお金を出して,教育を受けることをあきらめなくてもいいようになっている「はず」です。
しかし現実は,経済的に不利な家庭の子の進学率は低いままです。なぜでしょうか。この条文にそって考えてみましょう。
子どもの能力向上の鍵は本人の努力だけではなく親の経済力にも依存
ポイントとなるのは「能力に応じた」という部分です。
たとえば、子どもが希望する高等学校に入学するためには,入試に合格しなければなりません。
入試に合格できなければその高等学校で学べないわけですから、入試をすることは、教育の機会均等の原則に反するのではないかと考えられます。
しかし、この条文では、「能力に応じた」教育を与えることが求められているのですから、その子がその高等学校の教育についていけるかどうかを試すための入学試験をするのは、教育の機会均等に反していないわけです(これについては学説が二分しており、教育の機会均等に反するという説によった判例もあります)。
また、子どもによってつけたい能力の程度が違います。
たくさん勉強したい子もいれば、勉強はそこそこでいいやと思う子もいます。
たくさん勉強したい子は自分でたくさん勉強して能力をつけて、高等学校や大学の入試に合格すればいいわけです。
つまり、自分の能力は自分の思いや努力によって高めるものだという考えがベースにあるんですね。
しかし、本人の能力は、本人の思いや努力「のみ」によって高められるものなのでしょうか。
入試が難しい学校に入るには、入試専門の塾や予備校に行かなければ難しいといわれています。
その塾や予備校は、授業料が高額です。
ということは、その授業料を賄える経済力がある親の子が、より能力を高めることができます。
また、塾や予備校の授業料が賄えない親の子は、入試に合格するためのハンディがあるわけですから、学校の選択肢も限られます。
ですので、能力を高めるのは、本人の考えや努力だけではなく、親の経済力も大きなファクターであるということになります。
親の経済力に関わらず自身の能力を高める機会が得られることが重要
親の経済力という、子どもにはどうしようもできないことで、それが故に子どもの教育の機会均等が侵されるのは不条理です。
なぜこのような不条理が起こるのでしょうか。
それは子どもの能力を高める経済的負担は親がするのが原則であり,その負担が大きすぎるからです。
つまり,親にお金がないと子どもの能力を高める機会が得られない。
これが、お金のない家庭の子が進学をあきらめなければならないという教育格差の根本的な理由です。
最近は、学校やNPOなどが放課後や土曜日などに塾のようなものを開いて、無料または廉価で学びを提供しようとする動きがあります。私は、このような、親にお金がなくても能力を高めることができる機会が、どの子にも与えられるようになってはじめて、「能力に応じた」教育が、教育の機会均等にかなうようになると思います。
世の中が放課後や土曜日での学びに理解をし、そのための財政的な援助ができるようになることを望みます。
(船越 克真/教育カウンセラー)