日本の生徒の読解力が低下
経済協力開発機構(OECD)による国際的な生徒の学習到達度調査であるPISAの2015年の結果として、日本の生徒の「読解力」が、前回の4位から8位に低下したということが報じられました。
この調査は2000年(平成12年)から3年ごとに行なわれ、読解力で日本は初回が8位、以後14位、15位、8位、4位と推移して、昨年また8位に後退したという結果です。
ただし全参加国数(母数)は回によって異なっており、また2015年はコンピューター使用型となって、「漢字圏の生徒に不利がなかったか」という指摘もあるようです。
調査初回の2000年は、あの「ゆとり教育」完成の直前の教科書改訂年でした。
すでに90年代、「読解力の低下」が指摘されるところとなっていましたが、その第1回、日本は8位だったのです。
2002年からのゆとり完全施行後の2003年が14位、2006年には15位となって、国語教育に携わる私も、大きな衝撃を受けました。
その後は改善のための取り組みが進められ、母数が大きくなる中で、順位も向上していました。
ICT機器の充実による語彙力低下が読解力低下を招くことに
ではなぜ、今回またそのことが、はっきりした結果となって表れたのでしょう。
先に引いたシステム面の変更もあり、一概には言えませんが、私見を述べれば、「改善の取り組み」そのものが「テスト結果向上のための取り組み」であり、また近年「ICT教育」が重視・強化されていることと、関連があるように思います。
また今回のPISAの結果報道の中で「語彙力の低下」も挙げられています。
読解力の低下が指摘される時、必然的に「読書量が減った」ということがあわせて報じられますが、00年代から10年代にかけては、「読書量」そのものより、「語彙を減らす」方向に、世の中のシステムが大きく変わって来ていることの方が、より大きな要因だと言えるのではないでしょうか。
JIJICOでも以前に書いた通り、漢字が覚えられない、電話番号を認識する必要もない、など、スマートフォンを筆頭とするICT機器の充実が、「語彙力低下」の一因であることは、想像に難くないのです。
本質的な読解力の向上に向けた枠組みを作ることが急務
もちろん私はここで「ICT教育」自体を否定するものではありません。
ICTの飛躍的な発展と、そのために教育現場で可能になったことのメリットには、限りないものがあります。
数学の空間図形や地理の図表・グラフなど、使ってみたいものもたくさんあります。
ただ、便利なものの背中には、必ずその逆の面があります。
国語教育、読解力向上という局面では、ICTの利点は逆に、マイナスになることもあるのではないでしょうか。
それはICTを利用することに弊害があるのではなく、その利便性の一面に寄りかかることから、国語を学ぶ上で本来重要であることがらが、なおざりにされることで生じると思われます。
本来、「読解力向上」の決め手は、数多くあるすばらしい文章を、その音韻=言葉のしらべの面からしっかりとらえ、「心」の部分で内容に寄り添っていくことにあります。
この時大切なことは、「行間を読む」など、直接的には表されていないところまで読めるようになることです。
ICTの活用でも、そうしたアプローチはできるはずですが、「お膳立て」された仕組みの中を進むだけになってしまっては、文章から何かを受けとめ、自分の考えを組み立てていくことはできません。
また「語彙力低下」にばかり目が行って、それだけを追い求めるような用い方に走ってしまうと、逆効果になるでしょう。
センター試験に代わる新テストの内容・方向性も気にかかりますが、国語の本質を外さない方向で、読解力の向上に取り組んで行く枠組みを作ることが、急務であると考えます。
(小田原 漂情/塾教師、歌人・小説家)