報道の自由度ランキングで日本は72位 G7では最下位
国際NGO「国境なき記者団」が,2017年の「報道の自由度ランキング」を発表し,調査対象の180カ国・地域のうち,日本は前年と同じ72位でイタリア(52位)に抜かれ,主要国7カ国(G7)では最下位とされましたが,そもそも「報道の自由」とは何でしょうか。
報道の自由とは?
まず,近代市民革命を経て獲得された民主主義社会(民主主義政治)とは,国家の主役は国民であるという原理に基づく社会を意味します。
しかしながら,国家の構成員たる国民がそれぞれ自由な意思で自由な振舞いをすると,国家の秩序が乱れてしまいますので,国民ないし国民の選挙によって選ばれた代表者によって国のルール(法律)を作り,そのルールに従って国を運営する政権(政府)を作ることになります。
これらは多数決原理に支配されて機能するわけですが,多数決で決まったルールや,ルールの執行のあり方が,必ずしも法の原理に基づいた正しいものとの保証はありません。
偏った情報しか流通していない社会では,偏った考え方で多数決が行われた場合,正しいルールの制定やその執行のあり方は期待できないからです。
裏を返せば,情報統制が行われる社会では,政権が独善的に国家を運営することが可能となってしまい,憲法の究極の価値である基本的人権を侵害されかねないということになります。
より良い社会の仕組みを作って行くためには,国民が様々な情報に接することができ,それに基づいて判断し,これを社会の仕組み作りに反映させることが不可欠です。
我が国の憲法21条で「表現の自由」が保障されていますが,正しく表現するためには正しい情報に接することが不可欠ですから,「表現の自由」には「知る権利」が含まれています。
そして,メディアは情報を社会に流通させる,すなわち国民の「知る権利」に奉仕する機能を有するため,「報道の自由」も「表現の自由」の一部として尊重されなければなりません。
政権による情報統制は民主主義社会を危険に晒すことに
このようなメディアの機能を考えますと,メディアと政権は,ある程度の距離を保った関係になければならないことは明らかです。
政権がメディアを統制するようになってしまうと,それこそ偏った情報のみが社会に流通することになり,国民は正しい情報に接することができなくなるわけですから,そのような社会の行き着く先は国民の基本的人権など顧みられなくなる独裁国家です。
前記の「報道の自由度ランキング」というものが,どこまで客観的な指標をもとにランク付けをされているのかが判然としないため,直ちに鵜呑みにすることはできませんが,少なくとも我が国に関しては,メディアに携わる現場の人たちの感覚が反映されての結果でしょうから,これを無視してよいということにはなりません。
政権がメディアの報道のあり方に口出しをするようになり,メディア側も組織を守るために委縮してこれに従っているのではないかと疑われるような事象が相次いでいることを考えますと,メディアに携わっていない一般の国民こそが,民主主義社会(民主主義政治)が危険に晒されているといった危機感を持たないといけないように思います。
(田沢 剛/弁護士)