自民党2回生議員豊田真由子氏,秘書へ暴言暴行で離党へ
衆議院議員の豊田真由子氏が,自らの政策秘書に対する凄まじい暴言音声をメディアで報じられて,所属政党の自民党に対し離党届を提出するに至りました。
安倍政権下においては,同氏のような自民党2回生議員の不祥事が繰り返されていることから,「魔の2回生」などとも揶揄される有様ですが,なぜこのようなことが繰り返されるのでしょうか。
そもそも,「魔の2回生」により繰り返された不祥事の内容は,どうしてこのような方が国民の代表になっているのかと,政治家としての資質を疑われてもやむを得ないものが多く,さらに言えば「人の道を外れている」とまで酷評されて然るべきものさえ含まれています。
そして,この状況について,「魔の2回生」は自民党が野党から与党に返り咲いたときに初めて当選した議員であるため,「野党時代の苦労を知らない」ことが背景にあると解説する向きもあるようです。
2回生議員だから不祥事が頻発するのか?
しかしながら,「野党時代の苦労を知らない」ということが,このような不祥事の原因となり得るのでしょうか。
そうは思えません。
人の道を外れているような言動を取るというのは,野党を経験するかどうかということとは直接的には無関係のはずで,その人にそのような素地があるからにほかならないのではないでしょうか。
そうだとすると,社会人になるまでの人間形成ないし教育の過程において,何かが欠落していたのではないかと考えられるところです。
この欠落について,先輩議員が新たに教育ないし指導をすることで埋めるなどということは,遅きに失しておりますし,簡単なことでもありません。
というのは,豊田氏の件について,あるベテラン議員が,後に撤回したとはいっても,「いくらパワハラがあったといっても,選挙を戦う者とすれば,あのようなことは起こる。」,「あんな男の代議士はいっぱいいる。」などと,まるで不祥事とは考えないかのような感覚の発言をされていますので,似たような感覚の人たち,すなわちパワハラを容認するかのような人たちが先輩議員であるとすると,その人たちによる教育ないし指導などそもそも期待できるとは思えないからです。
そう考えると,今度は,「魔の2回生」などといってもたまたま「2回生」が目立ってしまっただけなのではないか,もしかしたら自民党には,自らを律することができるような教育をきちんと受けて来ずに,当選したことですぐに万能感を抱いてしまうような驕った政治家しかいないのではないかとすら感じてしまいます。
最終的な責任は国民に
今回の豊田氏の件については,議員辞職となると補選をしなければならなくなり,東京都議選を目前に控えている自民党としてはそれに対する影響を最小限に抑えるために離党させることで決着を図ろうとしたものと疑われますが,個々の政治家の資質を重視する前に党利党略を優先させることには,「またか」という言葉しかありません。
このようなことを考えるにつけ,選挙がいかに大事なものかということを痛感させられます。
身近で接したことのない政治家の資質をどのように見抜くのかといったことは,非常に難しいことですが,資質の欠けた人を選んでしまったことの最終的な責任はやはり国民にあるわけですし,そのつけも国民に回ってくることは疑う余地がありません。
(田沢 剛/弁護士)