華々しいキャリアから奈落の底へ…
最近ニュースを賑わせている豊田真由子衆議院議員の暴言に驚いた人も多いことでしょう。自動車を運転していた秘書に、暴言を浴びせ、暴行を加えたことなどが報じられています。しかも、最近では色々なパターンの暴言が公開されています。東大法学部卒、厚生労働省の官僚という華々しい経歴を持つ彼女ですが、テレビに映る姿やイメージからは想像がつかないほどのギャップに多くの人は驚きます。
感情を抑えられなかったことによって、彼女の華々しい経歴は水の泡となり、今やワイドショーのネタの如く扱われてしまっています。なぜ彼女はここまで怒りを走らせ、あのような暴言を吐くまでに至ったのでしょうか?あのようなモラハラ的、パワハラ的な発言の陰にあるものから、何が考察できるのでしょうか?
相手との向き合いを上下関係だけにおくと人間関係はうまくいかなくなる
彼女がこれだけのキャリアを築くまでに、相当な天才出ない限りは、様々な「競争」を経験してきたことだと思います。彼女に限ったことではなく、世の中には「競争」が溢れています。勿論、それによって技術が革新したりして、人の暮らしが豊かになることもあるでしょう。
しかし、人間関係の軸に「競争」があり、何かしらの判断基準で勝者と敗者がいる限りは、人間関係がうまくいくことはありません。これは誰にでも起こり得ることです。
計るものによって、私はあの人の上だという優越感を感じ、私はあの人の下だという劣等感を感じていると、他者は「敵」になってしまいます。そうすると、”その人の見ている世界”はとても張り詰めたものになります。
きっと、豊田真由子議員のようなタイプの人に対しては、周囲の人からすると、「この人は何でこんなことでここまで怒っているんだろう…。」と思うことが多いでしょう。人間関係は縦よりも横のほうがうまくいくのです。
怒りを使って周囲をコントロール
感情に突き動かされ、人間は感情には勝てないと思いますか?そう思っている限りはそうでしょう。しかし、それは違います。人間が感情を使っているのです。
きっと豊田真由子議員も、激怒しているときに有力者から電話がかかってきたら、声のトーンは穏やかに戻すことができると思います。母親が子供に怒っているときに、電話がかかってくるとトーンが戻るのを思い浮かべるとわかりやすいですよね。
人は経験したことで、本人にとってうまくいった経験があれば、同じ手段を無意識的に選んで使います。泣いてコントロールしたり、怒ってコントロールしたりする人っていますよね。表現手段のクセなのです。
また、これは豊田真由子議員には当てはまらないと思いますが、語彙力や文章組み立て能力が低い人ほど、言葉で表現しきれずに「キレ」やすくなります。
人として豊かとはどういうことかを今一度考えてみましょう
政治家や権力者の驚くべき失態を見て、これは仕方ないと思うよりも、「えー!」と驚くことも多いでしょう。これは、世の中の価値基準の問題であり、教育の問題の表れではないでしょうか。
・点数が採れること
・年収が多いこと
・学歴や経歴が有名どころであること
こういった測りやすいことで、人間の優劣が決まるのなら、やがて人間はマシン(機械)にとって代わられ、マシンに近い人が優秀とされるでしょう。豊田真由子議員に「慈愛」の心や「感謝」の気持ちがあったのなら今回のことは起きなかったと思います。人間にあって、マシンに無いものは「心」なのです。
(青柳 雅也/心理カウンセラー)