命がけの騒音トラブル
現代は様々なことによるクレーマーが存在し、声を荒げたもの勝ちのようなクレーム社会的な傾向があります。ある意味、「道徳混沌時代」とでもいいましょうか。何を善とし、何が悪なのか、結局は最終的に法律を扱う弁護士や警察などの公的機関に行きついての解決になるようなことも珍しくはありません。更に解決になればいいのですが、法律で訴えても弁護料で採算が取れないことや、グレーゾーン、警察が動けない、動かないなどになった暁には取り付く島もありません。
その中のひとつが「騒音トラブル」ですね。衣食住の生活の基本である「住」ですが、どこかの地域に根を下ろすにはかなりのエネルギーと時間と費用を要します。住まいだけでなく学校や職場、保育園や介護者施設なども同じことが言えます。ですから、ご近所とトラブルに発展してしまった場合、簡単な問題ではないですよね。エスカレートすれば、殺人事件や殺人未遂などにも発展しているケースがあります。
何故ここまでの殺意や怒りに発展するのでしょう。
「音」が何故ストレスになりトラブルになるのか
そもそも「ストレス」って何でしょう?皆さんは答えられますか?
例えば、柔らかいボールを指で押すと、凹みますよね。この状態がストレス状態です。良いことも嫌なことも、色々な変化はストレスですが、「コントロールできない不快な状態が長く続く」と、人間は健康を害したり、正常な思考ができなくなります。
現代は、様々な音に溢れています。
機械の音…飛行機、車、電車、工事やメンテナンスの音 ペットの音…今や子供の数を超えたといわれるペットの鳴き声 その他の音…電話の音や電話での会話の音、楽器の音、ドアの音、生活家電の微弱音そして、何より私たちの生活は、便利になることで生活時間が個々によって多様的になり、生活スタイルは様々になりました。そういった他者の生活スタイルは、自分のコントロール外であることは間違いありません。
たとえば、仕事で疲れて休息を必要としている時、体調や病気などで音に対して過敏になっている時など、「静かな場所・時間」を必要としている時に、こうした自分のコントロール外の音があふれている状態が続くと、どうしてもストレスがかかりつづけてしまいます。
さらに、人間は日常の不快なストレスを我慢し続けるほど、堰を切った瞬間に、相手に対して、今まで長い間蓄積したストレスを一気にぶつけてしまいます。相手の顔が見えない状態でストレスをためていればなおさらです。それが過激な感情や事件に繋がってしまうというわけですね。
どんなことが対策として考えられるか?
では、そういったストレスが珍しくない時代である状況で、私たちが大切にしていくことで対策とできるのはどんなことでしょう?
コミュニケーションをとる近隣の人とコミュニケーションを全くとっていなければ、爆発する状態に至るまで誰にも言えないでしょうし、互いの置かれた立場や状態の相互理解ができません。ハードルが高ければ、笑顔での挨拶から。
誰かに不平不満を話す人間は感情を表現するほうが健全でいられます。我慢したものは無くなりませんから、身近な人や公的機関、カウンセラーなどに自分の気持ちを話しましょう。
先に申し出る音を発する側ですが、施設や工事、楽器の練習など、事前に近所の住人に知らせ「提示」するのと、知らせないのでは受け手のストレスは全く違ってきます。「全く知らない」状態は、自分のコントロールから最も遠のいているということであり、その分ストレスを大きくしてしまうためです。
物理的対策最近は遮音カーテンや、二重サッシなど、防音効果のあるものがあります。ストレスを溜めることを考えれば、健全な投資ではないでしょうか。
ひとりで生きているわけではない
自分の力だけで生きられている錯覚を起こしやすい時代です。すると、周囲は仲間ではなく、競争相手や邪魔者、敵になりやすくなってしまいます。
一人で生きているわけではないことを実感できる、共存意識の高い世の中になるといいですね。
(青柳 雅也/心理カウンセラー)