炎上した謝罪文は何が問題だったのか?
博多高校で起きた、生徒から教員への暴力事件。学校側が校長名義で発表した謝罪文が「謝罪の論点がずれている」と、世間から批判を受けています。
以下、謝罪文からの引用です。
「本校では、これまでも道徳教育を推進し、暴力はあってはならないことであると教育してまいりました。また、SNSの利用につきましても、その危険性を指導してまいりました。
(中略)
本件を真摯に受け止め、今後は、改めてITモラルを持たせる教育、生徒の心が健全に育つよう教育の充実を図り、また教員の連携やフォローアップ等、教員を育てる体制等、学校組織をしっかり作ってまいります」
この事件は複合的な問題を抱えています。
生徒から教員への暴力 笑って見ている周囲の生徒の道徳心の欠如 暴力の様子を動画撮影、及び、SNS投稿した生徒の行為当然ながら、一番の問題点は「暴力」です。生徒が教員に対し、反抗心を暴力としてぶつけるなどということは、絶対にあってはならないことであり、それを笑って見ている生徒の道徳心の欠如も、恐ろしい問題です。
今回のSNSへの投稿については、映っている人物のプライバシー問題はもちろん、そもそも授業の様子を生徒が動画撮影していることがおかしい、といった問題があります。しかしながら、動画がSNSによって拡散されたことで、事件が明るみに出て、学校や加害者である生徒への責任追及があったことはプラスなのではないかという声もあるなか、まるでITモラルの教育不足が主要な問題であったとも捉えられるこの謝罪文に、批判の声が高まっています。
もし謝罪文を出すのであれば、まずは、教室内での暴力を防げなかった学校教育の在り方、及び、嘲笑する生徒たちへのモラル教育ができていなかったことを謝罪すべきでしょう。
このように、何か問題が起きたときに不適切な謝罪をしてしまうと、余計に相手の反感を買い、更なる問題に発展してしまうことがあります。
誠意ある謝罪のために気をつけるべきこと
では、きちんと反省の意を表し、誠意ある謝罪をするには、どのような点に気をつければよいのでしょうか。
【1】非を認め、言い訳や自己弁護をしない当事者、責任者は、非があったことをきちんと認めることです。謝罪時には、言い訳や自己弁護、責任転嫁をしてはいけません。なぜ、そのようなことが起きてしまったのかを述べるのは、相手からそれを求められたときのみです。自分から率先して、状況説明をするのは不適切です。
【2】相手の心情に対する謝罪を、必ず入れるどのような問題だったとしても、被害を受けた相手、及び、迷惑を被った人物の心情に対する謝罪の言葉を、必ず入れます。「ご不快な思いをさせてしまいまして~」「多大なご迷惑をおかけしてしまいまして~」「ご心労をおかけしてしまいまして~」等、相手の心情を推し量り、反省の意を表しましょう。表面的な言葉ではなく、相手の立場に立ち、心からの謝罪を述べることが大切です。
【3】何に対する謝罪なのかを明確にする最たる問題点は何なのかを明確にして、謝罪します。【2】で述べた心情に対する謝罪のみでは、不完全です。例えば「〇〇をしてしまいましたこと、深く反省しています。」というように、具体的に明記すること。この「〇〇」の部分が、相手が謝罪してほしい点と合致していることが大切です。的外れなことを謝ったのでは、相手の感情を余計に逆撫でします。
【4】再発防止の対策を、具体的に述べる二度と同じ過ちを犯さないための対策を述べます。再発防止の対策は、できるだけ具体的なものにします。例えば「二度と同じことを起こさないよう、十分に注意します。」という表現では、具体性に欠けます。「二度と同じことを起こさないよう、〇〇を致します。」というように、具体的な行動を述べます。
以上、謝罪時に気をつけるべき点をお伝えしました。
全ての根底に置くのは、誠意です。謝罪文書などたくさんの定型文も出回ってはいますが、型に走るのではなく、きちんと過ちを省みると共に、相手を思い、誠心誠意心をこめて謝ることが肝心です。
(樋口 智香子/接客コンサルタント/マナーコンサルタント)