殺人になりかねない危険運転
神奈川県大井町の東名高速で6月、ワゴン車が大型トラックに追突され、夫婦が死亡しました。この事故は、手前のパーキングエリアで、枠外に駐車した建設作業員の石橋和歩容疑者に夫が注意しトラブルとなり、逆上した和歩容疑者が高速道路上で危険運転をして、ワゴン車の進路をふさいで停車させ、追突を起こす要因となりました。
誰が考えても、夜間の高速道路で無理やり後続車を停車させるのは、悪質で危険極まりない行為だとわかります。
ところが、逮捕された男の容疑が、自動車運転処罰法違反の「危険運転致死傷」ではなく「過失運転致死傷」だったことから、Twitter上などで疑問の声があがっています。「過失運転」は注意不足、「危険運転」は危険な行為による事故に対して、それぞれ適用されることです。
殺人ともいえるこのような行為、車による危険運転が注目されています。そして、多くの人が危険運転を受けたことがあるといいます。なぜ、このようなことが多く起きるのでしょうか?
車に乗ると何故豹変してしまうのか?
車に乗ると、普段はそんな乱暴ではない人でも、豹変してしまう人がいます。危険な運転まではしなくとも、車の中で暴言を吐いてしまった経験は多くの人があるのではないでしょうか?
車は、閉鎖的な空間です。歩きながら大声で歌を歌う人はそうそういませんが、車の中なら大声で歌う人はいますよね。車という空間によって、本来の自分を隠せているような気がしてしまいます。
また、「車=自分」という感覚にもなってしまうことがあります。たとえば黒塗りで窓がスモークの大型高級セダンが煽られたりすることは少ないでしょう。自分がそこそこ大きな車、速い車に乗っていると、自分が車の”格”になった気がして、自分より”格下”と感じる車に対して、上から目線になってしまうのです。
ストレス社会の表れ
いろいろなものが、便利になり、豊かになっていく反面、時間というものを有効活用しなければ損という感覚が現代は強いですね。だから、時間の効率、時間の短縮をうたうストレスの少ない商品は価値を持ちます。
結果として、電車に乗りながらイライラする人、車に乗りながらイライラする人、ネットの回線速度にイライラする人、ということが珍しくありません。
余裕がないと、人はちょっと意地悪になります。意地悪になると、車一台分自分が後ろになるだけのことが許せなくなります。
また、「今、ココ」にいないことに慣れ過ぎている社会です。ネットの向こうに意識がうつろってしまうのと同様に、車に乗る前にイライラする要因があると「今、ココ」に心はありません。イライラを持ち込んでしまうのです。
運転する時には、「今、ココ」で大切なことは何なのか?と自問自答してみましょう。前後の出来事よりも、一番は安全に自分の身を運ぶことが大切ですよね。
(青柳 雅也/心理カウンセラー)