電車内の化粧の是非は?無関心で気にしない人もいるが…
電車での化粧は「あり」か「なし」か。結論から言うと「なし」でしょう。ただし、少数であっても「あり」と主張する人がいることも事実です。電車でメイクする人を見かけたら、おそらくほとんどの人がギョッとするにもかかわらずです。
加えて、電車でのメイクに理解を示す、あるいは無関心な人の存在も無視できません。このような空気も踏まえつつ、それでもなお、電車でのメイクが「なし」という理由を考えてみましょう。
電車での化粧がみっともないと思う人の割合は8割という事実
さて電車でのメイクをめぐる問題で記憶に新しいものとして、昨年の東急電鉄によるCMおよび啓発ポスター「都会の女はみんなキレイだ。でもときどき、みっともない」が浮かびます。
電車でメイクする女性をみっともないとした広告への反論は、「電車でメイクすることはみっともないことなの?」に始まり、「そもそもノーメイクで仕事に行くのは、なぜマナー違反なの?」「女性への抑圧では?」と、マナーの範囲を超えた分野にまで発展するものとなりました。
当時この記事を掲載したJ-CASTニュースが実施した1クリック投票による数字があります。それによると「電車でのメイクがみっともないと思う」人は全体の78.1%でした。では残りの21.9%がメイクは「あり」と思っているのかというと、決してそうではありません。「なし」つまり「そう思わない(みっともないと思わない)」人は5.9%で、残り16%は「状況による・どちらでもない」人でした。
他の機関による同様の調査でも、だいたいが8対2の割合で「なし」と報告されています。
マナーは、「周囲や相手への思いやり」
では、この事実を踏まえて改めてマナーという観点から見てみましょう。マナーは、周囲や相手に対する思いやりです。ビジネスでもプライベートでも、人と人が関わる環境でスムーズに物事を運ぶために生まれた行動基準です。これに照らし合わせると、8割近い人が不快に感じるという厳然たる事実がある以上、答えは明らかです。
電車でのメイクはマナー違反、やらないほうがいいのです。ほとんどの人が電車でのメイクに違和感を覚えるのは、電車内という空間の公共性にあるはずです。簡単に言ってしまえば、電車は家ではないという当たり前のこと。着替えや食事同様、メイクは家で済ませてくるべき類のことです。公共の場には、公共の場のルールがあります。なぜならそこは、他人と共有する空間であってプライベート空間ではないからです。
例えば新幹線の座席などは、比較的プライベートに近い空間が確保できると言えなくもありません。実際、先のアンケートで「状況による」という答えの中には、新幹線ならばまだ「あり」かもしれないというものもありました。
「恥」を考える日本人のアイデンティティを大切に繋げたい
古くから受け継がれてきた日本の文化には、「恥」という観念があります。これは、人からの評価が自身の行動基準になるもの。何らかの行動を選択するとき、人がどう思うかを考えるのがそれです。
集団の中で和を重んじ、周囲に思いやりを持って接する日本人の美徳は、このような文化に根差しているのです。もしかすると「電車でメイクすることが恥ずかしい」という感覚が希薄になってきているのかもしれません。
しかしそれでは、日本人を日本人たらしめてきたアイデンティティを手放すことになりかねません。どれだけ時代が移り変わろうとも、やはり公の場でプライベートをさらすのは恥ずかしいことなのです。周囲を困惑させることなのです。
電車でのメイクはマナー違反であると伝え、私達が誇る日本人としてのアイデンティティをしっかりと繋げていきたいものです。
(城戸 景子/イメージコンサルタント・マナー講師)