相次ぐ「誠意のない謝罪会見」から考える、心に響く謝罪とは?
恐らく日本独特の現象でしょうが、2000年頃から全国津々浦々において頻繁に行われるようになった謝罪会見。最近では企業、病院、施設、学校、各種団体を始め政界や芸能界の様々な分野で繰り返し行われているのが現状です。
しかし、いずれもテレビ、新聞、週刊誌等でも大々的に取り上げられ国民の関心度は高いものの、誠意がなく、精神的満足感を得るものは非常に少なく、悲劇が繰り返し発生することも珍しくありません。
名誉や信頼回復のための謝罪は大切ですが、やり方次第で結果が大きく違ってきます。逆効果になる謝罪、相手の心に響く謝罪とは何か?についてマナーの視点で考えてみます。
逆効果を招く謝罪のパターンとは?言い訳・責任転嫁など
誠意がなくうわべだけの謝罪はかえって逆効果にもなりかねないでしょう。例えば「謝罪をするための会見なのに謝罪の言葉が一切ない」もの。「開き直りや反論したりするもの」。「逆切れする」内容も論外でしょう。
そして最も不快になる謝罪は「言い訳に徹した内容」と「責任転換」の会見ではないでしょうか・・・。
さらに一見立派と思えそうですが「お詫びのしるしとして給料の一部を返上します」「役職の一部を返上します」といった一時しのぎの謝罪も不快になります。
これらは謝罪のつもりが、相手の心を疲れさせ拒否反応を与えかねないでしょう。「謝罪会見に騙されないぞ!」という気持ちになり溝はさらに深まる気がします。
相手の心に響く謝罪は「速さ」「潔さ」「具体策」が重要
一方、心のこもった誠意ある謝罪は時として「ピンチをチャンスに変える」こともあるでしょう。
では本当に相手の心をつかむ《誠意ある謝罪》とは何でしょうか?
先ずは発生した問題に素早く対応し、ミスを潔く認め、心を込めて謝罪することでしょう。謝罪に対する捉え方はその国々で異なると思いますが、迅速に対応することは必要不可欠だと思います。
加えて潔くミスを認めることも日本人なら好感が持たれるでしょう。身だしなみや表情も大切ですが、これもうわべだけではだめです。例えば清潔感溢れる身だしなみで、姿勢を正し、丁寧な言葉遣いの大前提は清らかな心です。
しかし、これだけでは根本的な解決にはなりません。生じた問題とどう向き合い、再発防止のためにどのような努力をするかを相手にきちんと理解してもらうことが大切だと考えます。
自分の非ばかりに心が動けば、相手の気持ちや現実を見失います。相手の状況を正しく把握するとともに相手に対する思いやりを発揮したうえで、具体策を練ることが大切になってきます。つまりピンチをチャンスに変える謝罪とは、言葉だけの謝罪ではなく、その後の振る舞いまでが必要ということです。
感動を与える謝罪には人格が求められる
謝罪文化はその国々により多種多様ですが、日本には昔から「死んでお詫びする」という慣用句があります。加えて「潔さ」や「品格」を大事にする国です。
潔さとは思い切りがよく未練がましくない意味ですが、ここでは都合の悪い現実にも冷静でかつ強い気持ちで向き合うことができる人です。また品格とはその人から感じ取れる上品さや気高さを意味します。早い話いずれも中身がどの程度かに尽きるでしょう。
加えてフランスには「nobless oblige(ノブレス・オブリージュ)」という言葉があります。権力や財力や社会的地位がある人はそれなりの責任が伴うということです。
謝辞や祝辞と異なり、自ら非を認めて許しをこうむることで、名誉や信頼を回復する謝罪にはその人の人格がにじみ出ます。
相手の心に響く謝罪にするには、一夜漬けではなく、日頃から自分磨きに励み、人格を高めることが何より大切ではないでしょうか。
(平松 幹夫/マナー講師)