京都で私服の高校が制服に変わる動き 確かに制服のメリットある
京都で私服通学の高校が減少し、私服よりも制服を導入しようとする動きが強まっています。昨今は自由な校風が求められている中で、あえて制服を導入しようとする動きの背景には中学生の保護者や卒業生らから「制服がある方が統一感があっていい」といった意見があるからだそうです。
確かに私服よりも制服のほうが統一感がありますし、制服だとTPOを考える必要もなく一式揃えれば在学中を通して着続けられるといったメリットがあります。
また、制服に使われる素材は丈夫なものが多く、家庭の洗濯機で何度も洗えます。また、明日はどれを着ていこうかと前日に悩まなくて済むのはもちろん、丈を調整すれば成長するお子さんの体型に合わせてわざわざ服を買い直す必要もなく、経済的にも私服より制服のほうがメリットが多いと言えるでしょう。
男女で異なる制服はLGBT(性的少数者)への配慮はできるのか
そんなメリットの多い制服ですが、制服を導入することによって昨今問題になっている
LGBT(性的少数者)への配慮はできるのかといった懸念が出てきます。
学生に限らず大きな社会問題になっているLGBTの問題ですが、社会問題としてのLGBTと、制服導入によるLGBTへの配慮についての問題は別問題と考えたほうが良いでしょう。
こうしたLGBTの問題を取り扱うにあたっては、そもそもなぜLGBTへの配慮が必要なのかを考える必要があります。
LGBTに対する理解のない人にとってはLGBTは異端でしかなく、自分とは相容れない存在(受け入れがたい存在)であって、相手を理解しようとするどころか敬遠する対象でしかありません。しかしLGBTへの理解を深めると、自分にとって気持ち悪い(違和感を覚える)存在なのではなく、この問題について相手が“苦しんでいるんだ”という実情が見えてきます。
自分にとっては受け入れがたくても、LGBTの本人は苦しんでいるんだということがわかれば、少しでも相手の苦しみに理解を示そうと思えるのではないでしょうか?LGBTは好きで異性の格好をしているのではありません。自分の性同一性障害のために苦しんでいるのです。まずはここを理解しておく必要があります。
本人の意向を尊重することが望ましい
その上で制服導入によるLGBTへの配慮の問題ですが、この問題を心理カウンセリングで取り扱う場合、やはりまずは第一に、LGBT本人の考えを聴き、その意向を尊重することが望ましいと言えます。
例えば特例で私服通学を認めるなど、本人の苦しみに寄り添った支援と対応、そして理解を求めていくわけです。確かに意見にあるように、全体の統一感といった観点から見れば、制服の高校の中に私服通学の子がいると大きな違和感があるでしょう。
しかし本人の苦しみに理解を示さないような対応と、否定的な意見があっても理解を示し、最善を尽くして努力してくれるのとでは社会的にもどちらが賛同を得られるのか容易にわかるはずです。
この問題は社会問題になっているトイレの使用など公共施設の利用に関する問題ではなく、ただ本人の意向を尊重するだけで済むような服装の問題ですから、この問題に関しては何も難しい問題ではないと思います。
統一感が損なわれるからと、統一感のためだけに犠牲者を生むような社会が日本の社会なのでしょうか?
もし特例で私服通学が認められた場合でも、本人がLGBTであることを口外したくない場合は、そのこと自体がLGBTであることを示唆して苦痛が生まれるといった懸念が出てくると思いますが、そういう場合であってもやはりまずは本人の意思を尊重して、本人がどうしたいのかを自分で決めてもらうようにします。
社会は本人が望む形のサポート体制(受け入れ体制)を整えておけば、あとは本人がどうしたいのかを決めるだけなので、LGBTであることを知られたくないといった本人の心の問題にまで他人が首を突っ込んで決めることではないはずです。
確かに難しい問題ではありますが、LGBTに対する社会問題そのものはこれからも社会全体で取り組んでいく必要がありますし、無理解による差別や偏見でこの問題から目をそらすのではなく本人の苦しみに寄り添って人としての尊厳を尊重できるような社会を目指して取り組んでいきたいものですね。
(宮本 章太郎/心理カウンセラー)