九九は反復練習による「長期記憶」として記憶される
みなさんは「隠れ九九エラー」という言葉をご存じですか?実は、私が最近になって作った造語です。
私自身はその存在に30年くらい前から気付いていたので、学校や塾の先生などもご存じだと思っていました。ところが、案外知られていないと感じたため、九九を間違って覚えている事象を言葉にしました。
人間の記憶には主に「短期記憶」と「長期記憶」があります。「短期記憶」は数秒から数分間だけ持続します。「長期記憶」は数週間から数カ月、さらに死ぬまで持続する場合もあります。これは反復練習などにより持続時間が長くなります。
一般的に言う「九九暗記」はこの記憶方法を指すと考えていいと思います。
九九を間違って覚えていた受験生たちの事例
さて、小学2年生の2学期頃になると学校では九九の学習が盛んになります。今頃多くの小学2年生が九九暗記に悩まされていることでしょう。
次のメモを見てください。
事例)A 0の段:0×9=9 1の段:1×4=28 2の段:2×4=14、2×5=10、2×9=36 3の段:3×3=24、3×4=14、3×4=28、3×8=34、3×9=18 4の段:4×3=21、4×6=27、4×6=36、4×7=24★★★★★★★★★★★、4×8=8、4×8=12、4×8=22、4×9=24、4×9=24、4×9=35 5の段:5×2=35、5×6=36、5×7=40、5×8=16、5×8=45、5×9=72 6の段:6×3=48、6×4=27、6×4=36★★、6×5=35、6×5=40、6×5=45、6×8=40 7の段:7×3=24、7×3=27、7×4=12、7×4=24★★★★★★、7×6=63、7×7=7★★、7×9=42 8の段:8×1=7、8×3=21、8×3=27★★、8×6=42★★★★★★、8×7=21、8×7=56 9の段:9×1=36、9×3=24、9×5=10、9×6=30、9×6=42、9×8=48、9×1=18★★
私が運営する塾では、九九学習の後に週1回以上、九九をランダムに並べたテストを繰り返します。その間違いをメモしたものです。4×7=24、7×4=24、8×6=42という間違いが多いのがわかります。(★の数は同じ間違いをした回答数を表します)
この女子生徒は、小学2年生の2学期から入塾したため学校より先に九九学習はできませんでした。大変、きちょうめんなうえに勉強に対しても前向きで、公立中学に入学してすぐに「私は公立高校のトップ校に行く!」と宣言し、中学生活の計画を立て確実に実行するような生徒でした。
その生徒が中3の晩秋の頃こう言ったのです。「先生、あかん。私、九九まちがうねん」。
そこで私はこのメモを見せ、「これやろ」と言ったのです。その生徒はメモを見てしばらく絶句していました。彼女は4×7=24、7×4=24、8×6=42という間違った九九を、長期記憶にしてしまったのです。
次のメモを見てください。
事例)B 0の段:なし 1の段:1×2=0、 2の段:2×2=14、2×5=20、2×7=28 3の段:3×3=27、3×6=24、3×8=2、3×4=28、3×8=34、3×9=18 4の段:4×4=28、4×5=25★★、4×8=28、 5の段:5×3×=0、5×4=2、5×8=40、5×8=0、5×9=40★★ 6の段:6×4=36、6×6=48、6×8=32、6×8=46、6×9=18 7の段:7×4=28、7×6=48★★★、7×7=54 8の段:8×5=45★★★、8×6=54、8×6=56、8×8=72 9の段:9×1=4、9×6=36
この生徒は幼児期に入塾したので、学校より先に私の塾で九九学習をしています。
8×5=45、7×6=48の間違いを数回していますが、九九の間違いが少ないのがわかります。学校より先に私の塾で九九学習をしている生徒は、おおよそこんな感じになります。この生徒の場合は、間違った九九を長期記憶にしていないことがわかります。
事例)C 小学4年生の春に入塾した男子生徒でした。この生徒がある一つの九九をよく間違うことに気付きました(当時は事の重大性に気付いていなかったので、メモも取っていませんし、その九九も覚えていません)。
そのことを面談の際に父親に話すと、「九九はちゃんと覚えているはずです」という返事でした。ところがある日、その生徒とスーパーで買い物をしている時に、ふと私の発言を思い出したそうです。そこで突然「○×△は?」と聞くと、その生徒は私の指摘した間違った答えを言ったそうです。
よく似た例が私にもあります。大学を卒業するころ、私は「携帯」という熟語を「ていたい」と読んでしまう癖がついていました。おそらく「提携」という熟語と混乱したのでしょう。私はそのことに気づいていたので、「携帯」という文字を見るとまず頭の中に「ていたい」という読みが浮かび、「いや違う。けいたい」と修正していました。
何度もこの作業を頭の中で繰り返すのですが、「携帯」という文字を見ると頭の中にはまず「ていたい」音が浮かんでしまうのです。この状態が20年くらいは続いていたと思います。間違った読みが長期記憶として私の脳に定着していたのです。幸いなことにやがて携帯電話が発達して「ケータイ」という発音が巷にあふれるようになって、ようやく「けいたい」という音が私の脳に浮かぶようになりました。
九九でミスをする子供には間違った記憶と正しい記憶が並立して存在
上記の例を整理すると、間違った九九の長期記憶を作ってしまうと、その長期記憶は消えません。ただ、学校や家庭などで何度も九九暗唱を繰り返すので、正しい九九の長期記憶も作っています。例えば7×6=48という間違った長期記憶を作ってしまったとすると、もう一つ7×6=42という正しい長期記憶も同時に作っているのが普通です。
7×6という九九に対して7×6=48という答えと7×6=42という答えの2種類の長期記憶が並立して存在することになります。しかし、学校などで九九テストをすると、子供たちは7×6=42という正しいほうの答えを書きます。
ところが九九に対して注意(意識)していない時は(Cの例)、間違った方の答えが飛び出すことになります。複雑な計算をする時や入試などで、意識が九九以外に行っている時などにそれが飛び出す可能性が高いのです。「計算ミスが多い」人たちの中に、こういう例が多く隠れていると思います。これが私の言う「隠れ九九エラー」の正体です。
九九の授業が学校で始まる半年以上前から根気よく丁寧に家庭学習を
ベネッセ教育総合研究所が2007年に小学2年生を対象に九九の計算力調査をしていますが、この時の正答率は97.4%になっています。ところがこの時の子供たちが19歳になった頃の2018年、次のような調査があります。次のグラフは「ニュースサイトしらべえ」というサイトにのっていたグラフです。 このデータをどう評価するか難しい点がありますが、明らかに正答率97.4%という状態ではないことがわかります。恐らく「隠れ九九エラー」を抱えた子供たちが大人になった結果だと私は考えています。
ではどうすれば「隠れ九九エラー」を防げるのでしょうか?
小学校2年生未満のお子さんの場合、学校の九九授業が始まる半年以上前に九九暗記を家庭で始めてください。なぜなら、学校だけですべての生徒に九九を確実に暗記させることは無理だからです。学校の先生には専門性の高い「かけ算の意味」の指導に集中していただきましょう。
ただし家庭で九九学習をするからには、適切な教材を使って、根気よく指導しなければなりません。そうでないと親の手で「隠れ九九エラー」を作ってしまうことになります。中途半端になるくらいなら学校で九九授業が始まった時に、その授業にそって丁寧に家庭学習をする方がいいと思います。
先にもお話ししたように、間違った九九の長期記憶を作ってしまうとその長期記憶は消えません。また、学校などで九九暗唱を繰り返すので、正しい九九の長期記憶も作っています。
こういった状態で九九テストをした場合、子供たちは正しい答えを書きますが、入試などで九九に対して注意(意識)していない時は、間違った方の答えが飛び出すことになります。
「7」や「4」や「2」といった聞き違いを起こす数字が「隠れ九九エラー」を引き起こす
長期記憶には2種類あり、頭で覚える「陳述記憶」と、体で覚える「非陳述記憶」に分類されます。そして、人間の脳は入ってきた陳述記憶する情報、例えば九九についての情報を処理するための下準備をします。これを符号化と言います(記憶情報が脳内でどのような符号に置き換えられるのかはよくわかっていないようです)。
この段階で正しくない情報が脳内に入ると、間違った記憶になってしまうので、正確な情報を符号化することが極めて重要になってきます。九九を歌で覚える方法がありますが注意が必要です。なぜなら音を聞き違え、九九を間違って覚える可能性があるからです。
例えば7「しち」と4「し」。 9×3=27であれば「にじゅうしち」が「にじゅうし」になったり、9×6=54「ごじゅうし」が「ごじゅうしち」になったりします。
また「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」と声を出して言ってみてください。「2(に)」の音がやや聞き取りにくいのがわかりますね。例えば7×6=42で「よんじゅうに」の「に」の音がやや聞き取りにくい音であるため「に」の音が消えてしまい「よんじゅう」になってしまうことがありますし、「に」の代わりに他の数字(よくあるのが「はち」)が入ることもあります。
つまり音声だけで九九を暗記しようとすると、符号化に失敗する可能性があるのです。これは、九九を声に出して暗唱するときも同様で、聞き取りにくい音は間違いを引き起こす原因となります。
そのため、子供には7は「しち」ではなく「なな」、4は「し」ではなく「よん」と発音するように教えましょう。例えば4×6=24は「しろくにじゅうし」ではなく「しろくにじゅうよん」、7×1=7は「しちいちがしち」ではなく「しちいちがなな」といった具合です。
九九を声に出して暗唱するとき、語尾の音(1の位の音)が小さくなる傾向がありますので、これも符号化の失敗につながります。大きくはっきり発音するようにすることが大切です。
また、九九を覚えるときは、正しく符号化するために九九の読み方(音声)と数字やタイル図(視覚情報)の両方を使って覚え、手で書いて正確に符号化されているかどうかを確認するようにしましょう。
(杉田 昌穂/教師)