高齢者の孤独死が社会問題になっていますが、同居家族がいても社会から孤立しゴミ屋敷になったり、長期間気付かれることもなく餓死したというニュースが報道されています。これまでは、高齢の親に依存する引きこもりの子ども世帯が生活に困窮する「8050問題」や高齢者の認知症などが、その主な要因と思われていました。
コロナ禍で人と人との接触が制限され、外出の機会が極端に減ると、中には「身支度してもムダ」「おなかがすいたときに食べればいい」「片付けるのが面倒」と、生活する上で最低限のことしかしなくなったという人も少なくないようです。
「なんとなくやる気が出ない」というだけではなく、失業や休業で経済的に深刻な状態で社会と断絶した暮らしが長引くと、自分の生活を維持する一切の行動をしなくなる「セルフ・ネグレクト」(自己放任)の精神状態に陥るリスクが指摘されています。
高齢者だけでなく、働き盛りや若者など誰にも起こりうるこうした無気力状態の予兆や、リスクを回避する術はあるのでしょうか?心理カウンセラーの宮本章太郎さんに聞きました。
性格や年齢に関わらず、環境の変化がきっかけとなり誰もが陥るリスクがあるが、「若者は社会的弱者ではない」が無言の圧力に。「自分(あなた)のせいではない」と心に刻み、まずは外的要因の解決に目を向けて
Q:セルフ・ネグレクト(自己放任)とはどのような状態ですか? -------- 「ネグレクト」とは、幼児や高齢者の保護や養育する立場にありながら、その義務を放任する行為ですが、「セルフ・ネグレクト」とは本人自身の基本的な生存に関わる行為を放棄するような状態のことを言います。
生きていくこと自体が苦痛で、自分自身を嫌悪して「もうどうにでもなれ」というような自暴自棄の心境に近いものと考えられます。
身のまわりのことや服装を整えることが億劫になり、掃除やメイクなども面倒に感じてしまいます。意識的であるかどうかに関わらず、ことさら健康に気を配らなくなり、食事や睡眠に無頓着になるなど、生活習慣が混乱。ゴミの放置が目立ち、最終的には社会との接触全般を断絶してしまうことにもなります。
こうした心理状態に陥るプロセスや、どのような形で表れるのかは人によってさまざまで、ただ単に片付けができない、身のまわりが不潔であるということとは別の問題になります。何かのきっかけがあって著しく意欲を失い、それまでできていたことができなくなるという特殊な精神状態に陥った状態と考えられています。
こうした状況だけを見ると、認知症など何らかの精神的な問題を抱えていて判断能力そのものが欠けている場合や、一昔前の「酒浸り」の有様などと同じようにも見えるかもしれません。
明確な線引きは難しいですが、セルフ・ネグレクトは判断能力も実行力もあるのに、生存活動そのものを放棄してしまうほど、心が疲弊してしまった状態ということが言えるでしょう。
Q:2020年9月に大阪府高石市で「高齢の親が餓死、同居の息子が衰弱して発見される」という報道がありました。その後も似たケースがたびたび起きていますが、家族と暮らしていてもセルフ・ネグレクトの状態と言えるのでしょうか? -------- 現代社会では、同じ家に暮らして生計を共にしているからといって、お互いのライフスタイルまで把握しているということはありません。
日頃から夫婦間や親子の間で、比較的よくコミュニケーションがとれているつもりでも、その心の中で何が起きているのかは、家族だからこそ見えにくいということもあります。また、社会問題ともなっている「ひきこもり状態」がそのまま自己放置と同じ状況にあるか、ひきこもりからセルフ・ネグレクトへ進むことも考えられます。
また家族だけではなく、本人自身も自分がセルフ・ネグレクトの状態であるということに気付いていないことが多いのです。親が高齢であったり、また病気や貧困などから社会的に孤立してしまい、極端な結果に至って初めて発覚するという事態になってしまうのです。
こうした悲惨なケースばかりではありませんが、いずれにしても家族で暮らしていようが一人暮らしであろうが、高齢者でも若年層でも、どのような生活環境であっても、誰がいつ自己放任状態に陥っても不思議ではありません。
セルフ・ネグレクトの実態は多様で発覚されにくく、「ひとつのカテゴリーにあてはまるものではない」ということが言えると思います。
Q:セルフ・ネグレクトに陥りつつあることは自分でも気づきにくいということですが、あえてその要因や予兆のようなものがあるとすれば、どのようなものでしょうか? -------- こうした心理状態には、明確な兆しのようなものがほとんど見られないと言ってもいいでしょう。
認知症やうつ状態の場合でもそうですが、ある程度まで症状が進んだ段階で「もしかして」と思ったときに、「そういえばあの時から言動がおかしかった」とか、「久しぶりに話したらいつもと違っていた」と、まわりの人が後から気付くことが多いのです。
他の病気と同じで、個人的・内面的な事情がきっかけとなる場合もありますが、リスクが高まるタイミングという点で考えると、それまでのライフスタイルが一変したときが最も注意すべきポイントと言えるでしょう。
進学・就職などそれまでと違う環境を強いられるライフイベントや、肉親や大切な人との離別・死別といった個人的なもの。社会全体の状況では突然の自然災害、そしてコロナ禍にある現在の状況もまさにこれに当たります。
それまでの生活が突然異なるものになったとき、あるいは張り詰めていたものが一気に緩んでしまった「燃え尽き症候群」のような心境のとき、経験したことのない喪失感や不安が押し寄せて気持ちのコントロールができず、「何も手につかない」という状態に引き込まれやすくなるのです。
コロナ禍を考えてみても、特に厳しい状況に陥った人に限らず、「生活のあらゆる面で不便を強いられることになった」「毎日身支度をして出勤することが当たり前だったが、そうではなくなった」という程度でも、気持ちが落ち込んだり空虚に感じるという人が少なからずいるでしょう。こうした時に、職場などで突然出社しなくなる、音信不通になるなどの顕著な変化が見られる場合は、その人が心のコントロールを失いかけているサインかもしれません。
Q:同じような状況下でも、生活意欲が著しく低下する人とそうでない人がいます。何が違うのでしょうか? -------- セルフ・ネグレクトに至る要因の一つに、今回のコロナ禍のような突然の社会不安が関係することが多いのですが、これほど生活がガラリと変わるような経験をしているにも関わらず、すべての人がセルフ・ネグレクトに陥るわけではありません。
大多数の人は不満を口にしたり、ほかのことでストレスを発散したりしながら、日常生活を破綻なく続けています。多少、食生活や睡眠サイクルが乱れたとしても、生きる意欲をなくすまでに至ることはありません。
ただ傾向としては、ほかの精神的な問題を抱える人にも多い「自己肯定感の低さ」が関係するとも考えられます。努力しているのにまわりから正当に評価されていないと感じている人は、環境の変化に対応しきれず、心のバランスを崩しやすい傾向にあります。
一方、日頃から物事をポジティブに切り替えて考えられる人は、「自己放任などに至らないのではないか」と思うかもしれませんが、むしろそのような人ほど「いつもと違って意欲がわかないが、なんとか改善できるはずだ」などと考えてしまいがちです。
自己放任状態の入り口に立っていても、本人もまわりの人も気付かないこともあるのです。
こうした性格的なものとは関わりなく、誰もが陥るリスクがあるというのが、セルフ・ネグレクトの厄介なところです。
Q:一人暮らしの高齢者と、若い世代のセルフ・ネグレクトでは、要因や問題点などが異なるのでしょうか? -------- 高齢者の場合、認知症や他の疾患で判断能力が衰えた結果、セルフ・ネグレクトに陥っているケースが多く、福祉や社会制度の在り方などが問題視されていますが、若年層の場合はまた別の視点が求められるかと思います。
高齢者は社会的弱者であると認識されていますから、一人暮らしであれば地域のコミュニティーからのアプローチや行政の見守り体制などでカバーできることもあります。
ところが働き盛りの世代に対しては、そうした目が行き届かないケースが多いと思われます。社会的弱者という見方がしにくく、地域のコミュニティーにも含まれていないことも多いので、なんらかの支援体制があったとしても、そこから漏れてしまうことがほとんどでしょう。
また世の中では「若者は経済的に独立しているはずだ」または「独立しているべきだ」という認識が一般的です。このことが意欲をなくしかけている若年層に対して無言の圧力となってしまい、SOSを出す機会を奪うことにもなりかねません。身近な人が異変に気付いたとしても、「本人の意志でこのような生活をしているのだろう」としか思われないというケースもあるようです。
若年層に対する社会的無意識の思い込みが、セルフ・ネグレクトの問題を解決しにくくしていると考えられます。まずは、「こうした精神状態は誰にでも起こること」であり、「特に社会全体が危機的状況にある現在はそのリスクが高まっている」ということを肝に銘じる必要があると思います。
Q:コロナ禍の状態が長びけば、無気力になる人が増えることが懸念されます。自分自身がいつもと違う落ち込みを感じたとき、または気力が低下している人に気付いたときにできることはないのでしょうか? -------- セルフ・ネグレクトで忘れてならないことは、「誰もがなりうるもの」そして「本人の責任ではない」ということです。
前述のように、その要因の主なものが社会不安、災害といった社会的要因であるなら、どれも本人には直接責任のないものですし、万全な予防策というものもありません。
コロナ禍でも、突然の失職や減収、そのほか数々の不都合のほとんどが、その人自身の性格や能力に関係がないことを認識すべきです。
「私が悪いのではない」「あなたのせいではない」と心に刻むことです。
そのうえで、外的要因による不安が解消できるようなサービスなりセーフティーネットなりの存在を確かめて、一刻も早く「安心」を取り戻すことへ目を向けましょう。
もしそのほかの要因が考えられるなら、その場合はまた別のアプローチができるはずです。
例えば、大切な人との離別や死別がきっかけと考えられる場合は、心理カウンセリングなどを通して、自分自身の傷ついた心と向き合い、その事実を受け入れられるようにしていくことが大切です。
いじめやDV被害などがきっかけになるケースもあるでしょう。この場合も、そもそもの原因となった状況の改善や解決が先決となります。
身近な人にいつもと違う様子を感じたら、気付いた人が本人の代わりにカウンセリングを受けてみる、相談機関や救済制度の情報を集めておくといったアクションを起こすことも、一つの方法です。
心が弱りかけている人を奮い立たせることは簡単なことではありません。
セルフ・ネグレクトの状態そのものを解決しようとすることより、まずはそうなるに至った根源の問題に目を向けてみることが大切ではないでしょうか。
(宮本 章太郎/心理カウンセラー)