エリート高校生による刺傷事件が与えた衝撃
2022年1月15日東大前の歩道上で、受験生の男女高校生と都内在住男性の計3人が刃物で背中を切り付けられて負傷した事件の報道に接して、私は加害者の高校生の気持ちを思うと心が痛みます。もちろん被害者の方々には心身に負われた深い傷の速やかな回復をお祈りしています。
事件の報道に接して最初に脳裏に浮かんだのは、「こんな高校生、まだいたんか。」「だれや、この子を狭い世界に追い詰めたのは。」という思いです。「東大医学部」と書き込まれた遺伝子など存在するわけがありませんので、当然、成長段階で刷り込まれているわけです。一体誰が刷り込んだのか、ここで犯人捜しはしません。これから専門家が集まって発達障害の有無やさまざまな分析をされることになると思います。
学校の体質は生徒の発育に大きな影響を及ぼす
ここで一つ気になったことがあります。次に引用する在籍高校の謝罪文です。 本校在籍生徒が事件に関わり、受験生の皆さん、保護者・学校関係者の皆さんにご心配をおかけしたことについて、学校としてお詫びします。 本校は、もとより勉学だけが学校生活のすべてではないというメッセージを、授業の場のみならず、さまざまな自主活動を通じて、発信してきました。また本校の長い歴史のなかで、そのような校風を培ってきました。ところが、昨今のコロナ禍のなかで、学校行事の大部分が中止となったこともあり、学校からメッセージが届かず、正反対の受け止めをしている生徒がいることがわかりました。これは私たち教職員にとっても反省すべき点です。「密」をつくるなという社会風潮のなかで、個々の生徒が分断され、そのなかで孤立感を深めている生徒が存在しているのかもしれません。今回の事件も、事件に関わった本校生徒の身勝手な言動は、孤立感にさいなまれて自分しか見えていない状況のなかで引き起こされたものと思われます。今後の私たちの課題は、そのような生徒にどのように手を差し伸べていくかということであり、それが根本的な再発防止策であると考えます。
この事件に関しては「夜回り先生」こと教育家の水谷修氏の記事(まいどなニュース)が一番読み応えありました。ここで氏が書かれているように、「(謝罪文は)単なる高校による自己弁護」であり、無責任な言い逃れでしかありません。学校で起こるいじめが原因の自殺に関してよく報道されるように、無責任な体質の学校がよくあります。公立学校に多いのですが、私立高校でもこんな体質の学校があるのかと驚きました。
実は私自身も私立男子高校出身で、この加害者高校生が在籍すると推測されている高校と似た感じの高校です。私が在籍した当時はまだレベルが低く、こんなレベルの低い高校は嫌だといって中途退学した同級生がいたくらいです。ただ、今は当時からレベルが高くなったとはいえ学校内の雰囲気は当時と変わらないのではないかと思います。そう言いう視点から見ると、実は思い当たる節があるのです。
学校という所は一種の閉鎖空間です。ですから様々な雰囲気の学校があります。私は進学塾を経営していますから、当然、学校訪問をします。生徒の雰囲気が学校によって違います。廊下ですれ違ったときにほとんどの生徒が挨拶する学校、ほとんどの生徒が挨拶しない学校。学校の最寄り駅やバス停で下校中の生徒を見れば、その違いは歴然です。授業見学をさせていただける学校があれば喜んで見学に行きます。授業計画をきちんと立てている先生が多いと推測できる学校、そうではないと推測できる学校などいろいろあります。もっとはっきり違いが分かるのは一般父母対象の説明会です。ある学校へ行けば、聞こえてくる会話は芸能界の話や、テレビドラマの話などです。別の学校へ行けば、どこの学校を併願にするとか、他の学校の評価を話し合う声です。別の学校へ行けば、緊張感があふれ殺気だった顔が並んでいます。あまり雑談は聞こえてきません。
加害者の生徒が通うのは最後のタイプに近い学校だと思います。私が通ったのはこれより少しソフトな学校です。当時はもっとソフトだったと思います。ただやはり男子ばっかり、しかもカトリック系ですから教職員もほとんどが男で、入学してしばらくは薄暗い世界に入ってしまったような気分でした。こういう学校は大学受験のための学校ですから、勉強内容はハードです。しかも加害者の生徒と同じく中高一貫校に高校から入学していますから、入学式前に補講がたくさんあって、たいへんだった記憶があります。従って高1の頃の成績はそれほどよくはありませんでした。加害者の生徒もこれに近い環境だったようです。
自分の知らない世界を出来るだけたくさん経験しよう
さて私は高校生活をそれなりに楽しく過ごしたと思っています。ただ、大学に入ってショックを受けたことがあります。自分があまりに世間知らずなことに気づいたからです。地方の公立高校などからやってきた人たちは、けっこう優秀で、学問的な素養や知識を多く持っていました。政治についての教養や意見も持っており、幅広い視野を持っていることがすぐにわかりました。女性との接し方にも慣れていましたので、うらやましい限りでした。要するに自分は受験勉強をしてきただけの視野の狭い人間だと思いました。
もっと広い世界を知りたい。まずは国内旅行です。おもに国鉄(現在のJR)の普通列車と、ヒッチハイクで、ユースホステルを渡り歩きました。いろいろな人に出会いました。現地のいろいろな人たち、同世代のいろいろな旅行者(いろいろな大学の学生、働いている人たち)。次は親からお金を借りて外国旅行です。横浜港からソ連(ロシア)の旅客船バイカル号に乗ってウラジオストク近くのナホトカへ。そこからシベリア鉄道でソ連を抜けて、北欧経由でパリへ。そして飛行機で帰国しました。ヒッチハイクで出会った親切な人たち。アル中のおじさんや怪しい人たち。同世代の若者達に助けてもらったことも幾度かありました。世界は広いが、みんな考えていることは基本的に同じだということを知りました。
次に私はさまざまなアルバイトをして世間を知ろうと思いました。将来自分が社会に出たときに多分就くはずのない職業、それを学生の間に体験しようと思いました。デパートの店員、百科事典のセールス、郵便トラックの助手、高級ホテルの客室係(いろいろな大学のさまざまな境遇の学生たちと働きました。結婚して子持ちの学生もいて、この人には人生についてのいろいろな質問をぶつけました。客も、芸能人、会社経営者、暴力団組長・・・いろいろの人たちと接したのも勉強になりました。)ここには1年ほど居ました。ここでの体験は後の私の人生に大きな影響を与えました。次に酒も飲めないのにパブで働き、ウエイターだけでなくバーテンダーもやりました。さまざまな人と話し、さまざまな世界を知りました。このあたりでアルバイトは家庭教師にし、学業に戻ることにしました。自分の疑問にある程度納得し、自分がどんな仕事で生きていくのか考え始めたのです。
偏差値は進学時の物差しに過ぎない
さて本題に話を戻しましょう。多くの人が感じておられると思いますが、要するに加害者の青年は広い世界を知らないのです。何らかの事情で視野の狭い世界に陥っています。今の日本にはこのような高校生は相当数いるのではないでしょうか。私は東大医学部卒の医者など直接会ったことなどないのですが、東大医学部卒の医者でなければ困ると思ったことはありませんし、東大医学部卒の医者がいなくても世の中は充分回っていくと皆さんもお考えでしょう。当然これは成績がいい者が行くべき世界と言う考え方でしょう。「偏差値73の高校から来た」と言っていたそうですから間違いありません。進学塾をしているわけですから、偏差値というモノにはいつも触れています。偏差値というモノはそれほど信頼性のあるモノではなく、ある偏差値60くらいの学校の場合、偏差値50以下であっても合格する生徒がいますし、偏差値70近くあっても不合格になる生徒がいます。私の運営する青穂塾の生徒を見ても、それほど実力はなくてもテストに強く偏差値が高い生徒がいるのに対して、実力があってもテストに弱く偏差値の低い生徒がいます。
私の高校時代の同級生で、皆さんもご存じの超有名企業の社長を歴任し社会で大活躍して年収1億円超えの人物がいますが、たぶん偏差値は私より低かったと思います。青穂塾の生徒でも、偏差値は50~60くらいだったと思いますが、日本の入試制度がいやでアメリカに渡り、大学の先生に勧められて研究者になり、大学院では授業料を払うどころか給料をもらいながら卒業して、現在研究者として活躍している人物もいます。大学を出れば偏差値なんかだれも聞きもしないのは皆さんもご存じでしょう。偏差値をなくせとは言いませんが、青少年をこんな世界に追い込むようなことはやめた方がいいのではないかと思います。偏差値を上げようとすると、問題集をすると効果の上がることが多いのですが、それでは本当の実力はつきません。大学など学校側がもっと工夫すべきだと思います。問題集に頼っても解けないような工夫を凝らした入試問題を出す学校もありますが、昔ながらの入試問題を出す学校もあります。
進学塾も大いに反省すべきだと思います。度を過ぎた煽り方はしない方がいいと思います。青穂塾では、「どうしても偏差値○○まで上げたい。」「どうしても○○校に入れたい。」という方はお断りしています。人には適性があり、それに合わないことをしても伸びないどころか、本人に苦痛を与えるだけだからです。また子供たちに社会に出て働く機会を与えた方がいいと思います。特に進学校であればあるほどそういう機会を増やすべきだと思います。現在の学校ではその逆になってしまっている。そこに問題があると思います。
私はこの加害者の少年に伝えたい。 君が罪を償ったら、サポートしてくださる人の意見も参考にしながら、いったん社会に出なさい。その頃にはみんなこの事件のことは忘れています。それでも気になるのなら海外に出なさい。誰もこの事件のことなど知りません。そして君が生きていく場所を探しなさい。必ずその場所があります。それから学校に戻ってもかまわない。あるいは君が立つべき世界で修行をしたってかまわない。 君の幸運を祈ります。
(杉田 昌穂/教師)