「子宮筋腫」という病気について、子宮を持つ女性なら、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。「子宮筋腫」とは、子宮の筋層に発生する良性の腫瘍のこと。私はこの病気と、15年ほど付き合い続けています。
そんな中、筋腫が増発し日常生活に支障が出てきたため、ついに42歳の今、子宮を全摘する手術を決心しました。まだ子どもを生もうと思えば生める歳。心を決めるまでに、2年かかりました。
今回は、子宮全摘を決めるまでの葛藤と、決意した理由についてつづりたいと思います。今、選択を迷っている方の一助となれば幸いです。
◆夫の病気で通院を後回しに…
子宮筋腫の存在を初めて知ったのは、25歳頃。しかし、30代に差し掛かる頃、健康診断で筋腫を指摘され、要検査の結果が出たことで、近くの婦人科を受診することに。状況によっては手術が必要かもしれない、ということで大きな病院を紹介され、その時初めて「手術」が選択肢として挙げられるようになりました。
たしかに、生理の出血量が徐々に増えていて、多い日は夜用のナプキンでも2時間持たないほど。日常的に貧血を起こしてもいたので、医師には手術を強く推され、手術をすることにしました。
その頃は、機会があれば結婚して子どもを持つことを考えていたので、筋腫のみの摘出術を希望。33歳の秋に一度目の手術をしました。
とはいえ、医師からは「再発する可能性が高い」と告げられており、半年ごとに経過観察をすることに。しかし、36歳の時に当時の夫が脳梗塞とがんに侵され闘病を始めたことで、自身の通院を後回しにしてしまいました。
夫が亡くなった後、40歳になってようやく婦人科に行ったところ、すでに手術が必要なほど、筋腫の数と大きさが増えてしまい、背骨の先に当たるほど、子宮が大きくなってしまっていたのです。
◆医師から言われた衝撃的な一言
まず衝撃だったのは、医師に妊娠の希望について問われた時。夫が亡くなったばかりであることを告げると、「じゃあもう子宮はいらないですかね」と医師にサラッと言われたのです。さすがにショッキングで、かろうじて「少し考えさせてもらっていいですか」と言うにとどまり、病院を後にしました。
たしかに、当時は夫を亡くしたばかりで恋人もいない状況だったので、子どもを作るという選択自体、ありませんでした。とはいえ、その時の段階で、自分から妊娠の機能をゼロにするという選択はできなかったのです。
「子どもを望んでいるのだろうか」という質問は、今まで何度も自身に問いかけてきました。以前書いたコラム『「女として欠陥品なのかな…」つらい不妊離婚で決意した“産まなくてもいい人生”』でも、つらい妊活をするよりも、自身の心や今の自分を大切にしたい、と考えたことをつづっています。
あの時、産まない人生を選んでもいいと思ったはずでしたが、いざ子宮を失うと思うと「本当にそれでいいのか?」と揺らぐ毎日。産めない体になったら、後悔するのでは? 思いつめて「もう女性ではなくなってしまう!」と考えることもありました。
結局、2年もの間、ずっと決断を下すことができませんでした。
◆しっかりと自覚した「子ども」に対する気持ち
しかし、症状はどんどん悪化。41歳になった頃には、おへその高さほどまで子宮が大きくなってしまい、経血の量は増え、腰痛や頻尿、胃の圧迫を起こすように。日常生活にかなり支障が出ているため、大きな病院で診てもらうことにしました。
いよいよ、どうするか決めなければならないのだな、と焦り始めた頃、いつもほぼ確実な周期で訪れるのに、生理がこないという事態が発生。避妊はしていたものの、1週間もズレるとさすがに「妊娠」の文字が頭をかすめます。
その時、はっきり心の中に「困る」という感情があることを自覚しました。今の自分の生き方に、子どもを産んで育てることは「考えられない」と思ったのです。
結果として妊娠はしていなかったのですが、ここまで強く、しっかりと「産みたくない」と自覚したのは初めてでした。きっかけは少々重たいものでしたが、自身の気持ちを知り、「全摘する手術を受けよう」と決めました。
◆恋人の発言で気づいた大切なこと
最終的な決め手となったのは「妊娠疑惑」でしたが、現在の恋人からの言葉も、決意を一歩進めるきっかけになりました。
手術を決断する前に、彼にも子どもに対する考え方を聞く必要があると思い「私が子どもを産めなくなってもいい?」と聞いてみました。この時、まだ女性として子宮を失うことにうしろめたさを感じていた私は、正直この質問をすること自体、少し恐さを感じていました。
しかし、彼は「俺は子どもを欲しいと思っていないし、由佳の体の方が大事だよ」と言ってくれたのです。
もちろん、将来彼の気持ちが変わるかもしれません。けれど、私はこの言葉に心が救われ、さらに「女性としてのこだわりよりも、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)の方が生きる上で大事なことだ」と気づくことができました。
40代になり、人生も後半戦。自分が心地よく生きることを最優先にしたいと考えたのです。
◆迷った時は、幸せを感じられる選択を
それからは靄(もや)が晴れ、子宮を失うことに対して「喪失感」というよりも、「不調の元を取り去る」という意識に変わりました。
考えてみたら、全摘すれば子宮体がんや頸がんのリスクはなくなりますし、何よりあのつらい生理をもう経験せずに済むのです。旅行の計画も立てやすくなり、今後生理用品を買う必要もないと思うと、かなりポジティブに捉えられるようになりました。
人生は一度きり。今の自分が「幸せ」と感じられる選択をすることが、迷いの出口につながるのではないでしょうか。
<文/関由佳>
【関由佳】
筆跡アナリストで心理カウンセラー、カラーセラピストの資格も持つ。芸能人の筆跡分析のコラムを執筆し、『村上マヨネーズのツッコませて頂きます!』(関西テレビ)などのテレビ出演も。夫との死別経験から、現在グリーフ専門士の資格を習得中。Twitter/ブログ
そんな中、筋腫が増発し日常生活に支障が出てきたため、ついに42歳の今、子宮を全摘する手術を決心しました。まだ子どもを生もうと思えば生める歳。心を決めるまでに、2年かかりました。
今回は、子宮全摘を決めるまでの葛藤と、決意した理由についてつづりたいと思います。今、選択を迷っている方の一助となれば幸いです。
◆夫の病気で通院を後回しに…
子宮筋腫の存在を初めて知ったのは、25歳頃。しかし、30代に差し掛かる頃、健康診断で筋腫を指摘され、要検査の結果が出たことで、近くの婦人科を受診することに。状況によっては手術が必要かもしれない、ということで大きな病院を紹介され、その時初めて「手術」が選択肢として挙げられるようになりました。
たしかに、生理の出血量が徐々に増えていて、多い日は夜用のナプキンでも2時間持たないほど。日常的に貧血を起こしてもいたので、医師には手術を強く推され、手術をすることにしました。
その頃は、機会があれば結婚して子どもを持つことを考えていたので、筋腫のみの摘出術を希望。33歳の秋に一度目の手術をしました。
とはいえ、医師からは「再発する可能性が高い」と告げられており、半年ごとに経過観察をすることに。しかし、36歳の時に当時の夫が脳梗塞とがんに侵され闘病を始めたことで、自身の通院を後回しにしてしまいました。
夫が亡くなった後、40歳になってようやく婦人科に行ったところ、すでに手術が必要なほど、筋腫の数と大きさが増えてしまい、背骨の先に当たるほど、子宮が大きくなってしまっていたのです。
◆医師から言われた衝撃的な一言
まず衝撃だったのは、医師に妊娠の希望について問われた時。夫が亡くなったばかりであることを告げると、「じゃあもう子宮はいらないですかね」と医師にサラッと言われたのです。さすがにショッキングで、かろうじて「少し考えさせてもらっていいですか」と言うにとどまり、病院を後にしました。
たしかに、当時は夫を亡くしたばかりで恋人もいない状況だったので、子どもを作るという選択自体、ありませんでした。とはいえ、その時の段階で、自分から妊娠の機能をゼロにするという選択はできなかったのです。
「子どもを望んでいるのだろうか」という質問は、今まで何度も自身に問いかけてきました。以前書いたコラム『「女として欠陥品なのかな…」つらい不妊離婚で決意した“産まなくてもいい人生”』でも、つらい妊活をするよりも、自身の心や今の自分を大切にしたい、と考えたことをつづっています。
あの時、産まない人生を選んでもいいと思ったはずでしたが、いざ子宮を失うと思うと「本当にそれでいいのか?」と揺らぐ毎日。産めない体になったら、後悔するのでは? 思いつめて「もう女性ではなくなってしまう!」と考えることもありました。
結局、2年もの間、ずっと決断を下すことができませんでした。
◆しっかりと自覚した「子ども」に対する気持ち
しかし、症状はどんどん悪化。41歳になった頃には、おへその高さほどまで子宮が大きくなってしまい、経血の量は増え、腰痛や頻尿、胃の圧迫を起こすように。日常生活にかなり支障が出ているため、大きな病院で診てもらうことにしました。
いよいよ、どうするか決めなければならないのだな、と焦り始めた頃、いつもほぼ確実な周期で訪れるのに、生理がこないという事態が発生。避妊はしていたものの、1週間もズレるとさすがに「妊娠」の文字が頭をかすめます。
その時、はっきり心の中に「困る」という感情があることを自覚しました。今の自分の生き方に、子どもを産んで育てることは「考えられない」と思ったのです。
結果として妊娠はしていなかったのですが、ここまで強く、しっかりと「産みたくない」と自覚したのは初めてでした。きっかけは少々重たいものでしたが、自身の気持ちを知り、「全摘する手術を受けよう」と決めました。
◆恋人の発言で気づいた大切なこと
最終的な決め手となったのは「妊娠疑惑」でしたが、現在の恋人からの言葉も、決意を一歩進めるきっかけになりました。
手術を決断する前に、彼にも子どもに対する考え方を聞く必要があると思い「私が子どもを産めなくなってもいい?」と聞いてみました。この時、まだ女性として子宮を失うことにうしろめたさを感じていた私は、正直この質問をすること自体、少し恐さを感じていました。
しかし、彼は「俺は子どもを欲しいと思っていないし、由佳の体の方が大事だよ」と言ってくれたのです。
もちろん、将来彼の気持ちが変わるかもしれません。けれど、私はこの言葉に心が救われ、さらに「女性としてのこだわりよりも、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)の方が生きる上で大事なことだ」と気づくことができました。
40代になり、人生も後半戦。自分が心地よく生きることを最優先にしたいと考えたのです。
◆迷った時は、幸せを感じられる選択を
それからは靄(もや)が晴れ、子宮を失うことに対して「喪失感」というよりも、「不調の元を取り去る」という意識に変わりました。
考えてみたら、全摘すれば子宮体がんや頸がんのリスクはなくなりますし、何よりあのつらい生理をもう経験せずに済むのです。旅行の計画も立てやすくなり、今後生理用品を買う必要もないと思うと、かなりポジティブに捉えられるようになりました。
人生は一度きり。今の自分が「幸せ」と感じられる選択をすることが、迷いの出口につながるのではないでしょうか。
<文/関由佳>
【関由佳】
筆跡アナリストで心理カウンセラー、カラーセラピストの資格も持つ。芸能人の筆跡分析のコラムを執筆し、『村上マヨネーズのツッコませて頂きます!』(関西テレビ)などのテレビ出演も。夫との死別経験から、現在グリーフ専門士の資格を習得中。Twitter/ブログ