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故・中尾彬の“21歳の頃”があまりにもかわいい。近年の“憎まれ役“も愛された理由

女子SPA! 2024年6月6日 15時46分

 2024年5月16日、中尾彬が81歳で亡くなった。トレードマークの“ねじねじ”。さまざまなテレビ番組に出演して、何とも嫌味っぽく痛快なコメントが最高だった。

 デビュー前には武蔵野美術大学油絵科に入学し、パリに絵画留学をした画家の一面もある。だけれど、やっぱり昭和の映画界を駆け抜けたスター俳優としての活躍を振り返っておく必要がある。

 イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、イケメンの観点から最大の敬意を込めて俳優・中尾彬を解説する。

◆「イケメン」を考える上で恰好の人

 中尾彬が「イケメン」だったかどうかの判断はひとまず保留にするとして、中尾彬とは、イケメンという存在を考える上で恰好の人であると筆者は考えている。中尾の映画界入りは1961年。日活ニューフェイス第5期合格がきっかけだった。

 日活ニューフェイスというと、戦後、日本最古の映画会社でありながら他社に出遅れた日活が、活動を再開する推進力にするべく募集した若手スター俳優たちだ。『太陽の季節』(1956年)でデビューした石原裕次郎(あくまでスカウトなのでニューフェイス出身ではない)に前後して、宍戸錠や小林旭など、新たな時代にきらめくニュースターが日活から続々送り出される。

 石原裕次郎の衝撃とは、日本初の映画スターであり歌舞伎役者の尾上松之助(愛称:目玉の松ちゃん)からイメージされるようになった「イケてる面」重視の傾向から、顔より全身が醸すカッコよさとしての精悍な「イケてるMENS」像へと刷新したエポックメイキングだ。

 現代の感覚からすると、どちらも略してしまえば、イケメンであることに変わりはない。だけれど、一周回って「イケてる面」重視になったとも言える現代では、尾上松之助こそイケメンの元祖とすべきかもしれない。

「暴れん坊将軍」シリーズで演じた歌舞伎俳優さながらの七枚目(ラスボス)役のがっしりした顔かたちがやけに凛々しく、はまり役だった中尾彬は、目玉の松ちゃん直系のイケメン俳優ということになりそうだ。

◆中尾彬は「かわいい」!

 実際、デビュー時の中尾はかなりキュートだった。映画デビュー作は『真昼の誘拐』(1961年)だが(クレジット無しのデビュー作は1961年公開の『青い芽の素顔』)、彼が本格的に輝いたのは、デビュー作と間違えられる『月曜日のユカ』(1964年)だ。

 石原裕次郎の出演第2作にして初主演映画『狂った果実』(1956年)の中平康が監督を担当。共演は加賀まりこ。公開時、中尾は22歳。加賀が21歳のときの作品だ。

 同作冒頭。横浜の港に大型船が入港する。すぐ近くにいる修(中尾彬)が、「商売、商売、稼がにゃ」と言う。これが中尾の第一声。続けてユカ(加賀まりこ)が修の背中に貝殻がついていると指摘し、修が「取ってくれよ」と言うと、ユカが「かわいいの」と言って取ってやる。

 画面上ではまだふたりの背中しか写っていない。中尾扮する修への第一印象は、そう、加賀が代弁(実況)してくれるこの「かわいい」に集約されている。次の場面で、修が外国人相手にジャスチャーして商売すると、やっと中尾の正面が写る。それを見た当時の観客たちは、なるほど確かに「かわいい」と思ったことだろう。

◆若者世代がギャップ萌え

 中尾彬がかわいいだって!? 晩年の中尾の姿を想像すれば、いぶかしく思う人もいるかもしれない。でも中尾彬に対するかわいいは、若い時分に限定されるわけではない。

 令和に改元されて以来、民放各局はさかんに昭和と令和の世代間ギャップを比較する番組を放送しているが、老年期の中尾は、そうしたバラエティ番組出演がおなじみだった。年配者と若者との対立図式が面白おかしく描かれ、ひな壇上の中尾が大抵、頑固な、ザ昭和世代のキャラクター代表を引き受けていた印象がある。

 若者世代のタレントに容赦なく噛みつき、あえて嫌味に振る舞う。ヒートアップしたあとには、ちょっと照れたように微笑んでもみせる。これが中尾の粋なところ。それを見た若者世代は昭和世代の頑固なステレオタイプを演じるかのような中尾をどこかで、愛おしさも込めてかわいいと感じたのではないだろうか。

 愛おしいの語源は「厭う(いとう)」(嫌う)にあり、かわいいは「可哀想」の変化系と言われる。つまり、嫌味っぽく見える晩年の佇まいは、愛おしさの反語的なスタイルであり、それが単なる頑固ジジイの哀感にならずにかわいいへと転じる。

『月曜日のユカ』をリアルタイムで知る世代には当然かわいい中尾の姿が原点にあるが、それを知らない令和のZ世代なら、嫌味といたわりが響き合う中尾の複合的なかわいさに思わずギャップ萌えだったはず。

◆昭和スターの数少ないひとり

 主演映画『内海の輪』(1971年、『月曜日のユカ』の脚本を倉本聰と共同で執筆した斎藤耕一が監督)を見ていると、その初登場場面がやっぱりかわいい。共演する岩下志麻と待ち合わせた喫茶店に煙草を吸いながら入ってきて、隣の席に座る中尾が上を向くと、どことなく田中圭に似ているような。

 岩下志麻との再共演作『極道の妻たち 最後の戦い』(1990年)では、冒頭、跡目を継いで四代目を襲名する田所亮次を演じている。同作は岩下志麻の名を映画史に刻む「極道の妻たち」シリーズ第4作にして岩下のシリーズ復帰作。さすがの東映ヤクザ映画の凄みの渦の中では、かわいいなんて形容はどこにも見当たらない。

 でもそのかわり、同作からシリーズ出演者に仲間入りした中尾が、存命する昭和スター俳優の数少ないひとりだったことに改めて気づく。今でも存命なのは、岩下扮する瀬上芙有の夫で瀬上組組長役で出演する小林稔侍。それから『男の紋章』(1963年)や『刺青一代』(1965年)などの日活任侠映画の花形だった高橋英樹。

 高倉健、菅原文太、渡哲也、渡瀬恒彦、梅宮辰夫、松方弘樹など、任侠映画イコール昭和スターだった時代のレジェンドたちが去った今、中尾、小林、高橋の3人が日本映画界を駆け抜けたスターの生き残りだった。

◆山﨑賢人と坂口健太郎に次ぐ第三の男?

 近年は、実写化映画全盛期を代表するきらきら映画『ヒロイン失格』(2015年)で、主演の桐谷美玲と坂口健太郎がデートする場面に中尾が本人役で出演していたりする。中尾彬がまさかのラブコメ漫画原作の映画に出演する世界線があるだなんて、公開当時まで想像できただろうか?

 桐谷扮する主人公が実写化王子の異名を取った山﨑賢人と坂口健太郎に挟まれる中、まるで真打ち登場のように中尾がヌッと顔を出す。アイスを食べながらの「いいんじゃない」という嫌味っぽく爽やかな台詞がトレードマークのねじねじとともに印象的。

 同作出演は中尾彬がちょっとしたアイコンになった瞬間だったんじゃないだろうか。いや、もっと言うと、山﨑と坂口に次ぐ第三の男役で桐谷を取り合ってもよかった。中尾彬とは、イケメンの観点から連想ゲームのように読み解くことができてしまう人。こんなにキュートないさみはだのスター俳優は他にいない。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu

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