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「娘がダウン症だと告知を受け、目の前が真っ暗に」3人の子どもを持つ母の本音とは

女子SPA! 2024年7月4日 8時44分

大阪のベッドタウンに暮らす、ガードナー瑞穂さん一家。アメリカ人の夫は小学校で美術と英語を教え、小学6年生の長男エイデンくん、小学3年生の長女璃莉(りりい)ちゃん、そして、小学校1年生の次女茉莉衣(まりい)ちゃんは、それぞれが個性豊かに育っています。

そんな瑞穂さんのエッセイ集『ダウン症それがどうした!? と思えるママになるための100のステップ』は、イラストレーターで英語講師のエージェントをしていたガードナー瑞穂さんが、子育てに奮闘する日々から生まれた本。

今回は3人目の末っ子、まりいちゃんがダウン症だと知り、そこから今に至るまでの心境、そんな想いを込めたエッセイについてお伺いしました。

エッセイの中で特に大切だという10ステップとともに紹介します。

そんな瑞穂さんが出版した絵本『もし ぼくのかみが あおいろ だったら』は、実の息子からの質問がきっかけで生まれた本です。

ただ、エッセイと絵本、一気に2冊の作家となるまでには、いくつもの葛藤がありました。

◆出産3日後「娘がダウン症だと告知を受けた」

2017年秋、大阪で次女のまりいちゃんを出産した瑞穂さん。ダウン症であることを告げられたのは、産後わずか3日目のこと。大きなショックを受けたと言います。

「これからの子育てへの不安と恐怖でパニック状態になっていましたし、涙が止まりませんでしたね」(カッコ内ガードナー瑞穂さん、以下同じ)

エッセイ集の中では、『自分で作り出したネガティブな妄想の連打の攻撃を受けて(略)落ちに落ちて地面を掘り、たぶん日本からオーストラリアまでたどりついていた』とコミカルに振り返る瑞穂さん。

しかし、当時の本音は、未来が考えられなかったといいます。

「告知を受けたときに、臨床心理士の先生から『人生のなかで10年ぐらいかけて起こるような精神の変化が、入院中から数ヶ月くらいの間に起こる』と説明されたのを覚えています。それと、気持ちが揺らいでいるから交通事故と宗教勧誘には気をつけてください、とも(笑)」

◆「でも、ダウン症なんです」

暗いトンネルから抜け出せないような日々が続き、周りの人から「(まりいちゃん)かわいいですね」と話しかけられても「でも、ダウン症なんです」と答えずにはいられなかったと言います。

そんな気持ちを克服できるようになったのはなぜなのか。瑞穂さんは次のように語ってくれました。

「周囲のダウン症児の子育てをしている方や、ダウン症について発信している海外のInstagramの投稿を見て、少しずつ心境が変化していきました。ダウン症だろうが関係ない、子育てを思い切り楽しんでいる方を見かけて、“現実を受け入れよう、子育てを楽しむ時間を失いたくないな”と思ったんです。

その結果、まりいちゃんが2歳になった頃には、言わなくなりましたね。周りのダウン症児を育てるママたちには、受け入れるのが早いと言われました。それくらい、長い間悩んでいる人が多いのかなと思いました」

◆テレビの密着取材で自分と向き合う日々

まりいちゃんが5歳になった頃、ダウン症にまつわる密着取材を行っていたテレビ局から、取材の依頼がありました。

取材は数ヶ月間、10回以上にも及んだといいます。

この時の経験を瑞穂さんは「家族の等身大の日常が記録されていく毎日や、番組ディレクターとの対話は学びの多い時間でした」と話してくれました。

「ディレクターさんからはたびたび、『ガードナーさんは何かしたいことはありますか?』って聞かれて。その時は『みんなの意識を変えたい』って答えたんです。障害のある子への偏見をなくしたいって。

でもそれがすぐには伝わらなくて……。

取材を重ねるうちに、ディレクターさん自身も変わっていきました。最後には『ダウン症って何なんだろう、自分でもわからなくなってきました』なんて(笑)。1人のまりいちゃんとして見てくれているように感じて、私も彼も、お互いに学び合えた旅のような、貴重な時間でした」

あるとき、取材中にエイデンくんの不登校経験についての話になり、手作りした絵本を見せると、「これいいですね」と、読売テレビの報道番組「ウェークアップ」で紹介してもらえることに。さらに、動画絵本にして、放送局公式YouTubeチャンネルで流してくれたのです。今では3万回もの視聴回数に。この番組と動画を見た出版社の編集者から、出版のオファーが舞い込みました。

「番組を通して依頼が来たので、ディレクターさんが『怪しくないか、僕がお話聞きますから待っててください!』って(笑)。ここまで親身になってくれるのもすごいですよね」

瑞穂さんの人柄が、周囲を動かしていったのかもしれません。出版を依頼した編集者も、ダウン症のお子さんがいる方だとわかり、「さすがにできすぎのストーリー!と、びっくりしました」と瑞穂さんは笑います。

◆「エッセイ本って何のことですか?」

編集者と初めての打ち合わせの日。「絵本とエッセイの両方を出版できないか」と相談され、「エッセイってタレントさんが私生活を書いたりするものちゃうの!?」と驚いた瑞穂さん。

実は、まりいちゃんが4歳になった頃から、Instagram上で「ダウン症それがどうした!? と思えるママになるための100のステップ」と題したメッセージをコツコツと書き綴っていました。これを「エッセイ集として出版したい」とのことだったのです。

◆Instagramを消せなかったわけ

そもそもInstagramを始めたのは、まりいちゃんが生まれた頃、海外のダウン症の子どもたちの姿を見たかったため。4歳になり、あまり悩んでいなかった瑞穂さんは、「そろそろInstagramは辞めようかな」と思っていたといいます。

「でも、たまに生まれたばかりのダウン症のお母さんからDMが届くことがあったんです。励ましのメッセージを今送ってもなかなか伝わらないだろう…と思い、自分が乗り越えていった経緯を細かくまとめて参考書のようにステップアップする形で書いてみようと思いつきました」

内容は完全に決まっていたわけではありません。でも、「100のステップを書く!」と先に決めてしまいました。夫に伝えると、「そんなにある!?」と言われ「確かにそうだな……」と思うも、ちょうど英語講師エージェントの仕事が落ち着いていたこともあり、夢中で文章を綴ったと言います。

「等身大の思いを正直に書くことを心がけました。時には泣きながら書くこともあり、だんだん過去の自分のために書いているようにも感じられました。でも、反応はそんなにわからなかったから、こうして見てくれる人がいて、まさか出版の依頼までいただいたことに本当に驚きました」

◆100ステップを通して気づいたこと

告知を受けた頃は「暗闇」だったというダウン症児の子育ても、今ではまりいちゃんと出会った日を「天使を見た日」と表現する瑞穂さん。

彼女がどのようにして“ダウン症それがどうした!?”と思えるようになったか、その内容を見せてもらうと、子育てをしている、していないに関係なく「前向きに毎日を送りたい」と願う人に気づきを与える内容になっています。

最後に、瑞穂さんがエッセイで伝えたかったことを尋ねると、次のような答えが返ってきました。

「子育ては大仕事です。今すごく苦しくてしんどい思いをしている人がいたら、今の状況を少し離れたところから見てみてほしい。視野を広げることで、思考が変わることもあると思うんです。子どもたちはあっという間に大きくなっちゃう。大変ではありますが、かけがえのない子どもとの時間を私はめいっぱい楽しみたいと思っています。読んでいる方に、少しでも同じように感じてもらえたら嬉しいですね」

<取材・文/かたおかゆい>

【かたおか由衣】
東京都出身。 リゾート運営会社勤務と専業主婦を経てフリーライターに。2019年から4年間竹富島で暮らす。教育、子育て、エンタメを中心にインタビュー記事やコラムなどを執筆。20代で出産し、転勤や子どもの不登校などままならないことにぶつかりながらも乗りこなす日々。漫画やエンタメに癒されている。
Twitter:@Momyuuuuui

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