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生理中でも入浴は週1回のみ。生活保護で「貧困から救われた女子高生」が伝えたいこと|漫画『東京のど真ん中で、生活保護JKだった話』

女子SPA! 2024年7月27日 15時46分

 生活が困窮している人々に生活費などの扶助や保護を行い、彼らの自立を助けるために設けられた「生活保護制度」。長年、国民のセーフティーネットとして機能している一方で、制度の利用者に対して、SNSでは心無い言葉を投げる人や、強い偏見を抱いている人も少なくありません。

 いまだ世間の風当たりが強いなか、昨年発売されたエッセイ漫画『東京のど真ん中で、生活保護JKだった話』(五十嵐タネコ/KADOKAWA)が話題を呼びました。

 タイトルにある通り、同作の作者・五十嵐タネコさん自身が高校時代に過ごした貧困と、生活保護受給家庭の“リアル”を赤裸々に描いた一冊です。そこで五十嵐さんに反響や生活保護を受けていた学生時代の思い出、家族との関係について聞きました。※本作は2001年頃のエピソードを描いています。

◆インフルエンサーの差別発言が執筆のきっかけに

――この作品を執筆した経緯を教えてください。

五十嵐:いつか「自分の体験を漫画に描きたい」と考えていたのですが、あるインフルエンサーの方がYouTubeで発信した、生活保護受給者やホームレスの方に対する差別発言が執筆を早めるきっかけになりました。その動画には、批判が集まり削除されましたが、彼と同じ意見を持つ人も少なくないと思います。

でも、よく問題点を指摘される生活保護の「不正受給」は、全体の1%以下だったり、日本の生活保護利用率は諸外国に比べて低い、保護されるべき人に制度が行き届いていないという実態はあまり知られていません。そのため、世間のマイナスイメージが先行して生活保護を申請しづらい世の中になっています。

生活保護利用者への偏見が巡り巡って、貧しさを理由にした自死や孤立死につながっていると言われているんです。

◆発表前は世間の厳しい視線が怖かった

――そうした偏った意見が根強くあるなかでの作品発表に“恐怖心”はありませんでしたか?

五十嵐:おっしゃる通り、世間の厳しい視線は以前から感じていたので怖さはありました。それでも、今回の騒動を見て「生活保護に救われるケースもある」と早く伝えなければ、と強く思い、筆を執りました。

また、私自身の立ち位置も漫画にしやすいと考えたんです。実際に生活保護を申請したのは、脳の疾患で後遺症を持つ父であり、私はその家庭で育った子ども。やはり、生活保護を申請した本人は、世間に対して申し訳なさや後ろめたさを感じているため、自ら発信しにくいと思うので……。当事者でありながら、当事者ではない私の視点で生活保護制度について描きたい、という気持ちもありましたね。

発売後の反響は「生活保護家庭のイメージが変わった」「逆境でも前向きに頑張る姿に励まされた」など、好意的な感想が大半だったので、本当にありがたかったです。なかには「自分も貧困家庭で育ったので共感しました」という声もあり、“つらかったのは私だけじゃないんだ”と感じられて嬉しかったのを覚えています。

◆生理中のお風呂も週1回しか入れない生活

――たしかに、生活保護を受け始める前の貧乏生活も丁寧に描かれていました。当時、どんなことで苦労しましたか?

五十嵐:漫画にも描きましたが、週に1回しか銭湯に行けないのが、とにかくつらかったです(笑)。小学生の頃、友だちと「お風呂に入る頻度」の話題になり、「うちは週1回」と答えてドン引きされたときに“うちはほかの家と違うのかも”と気が付きました。

中学に入ってからは、台所で髪を洗って体を拭いたり、近所に住む伯母さん家にもらい湯をさせてもらったりと対策したのですが、生理中は特に大変でした。週1回の銭湯も、生理のときはズラさなければならないし、終わりかけでも施設や周囲の人に迷惑をかけないように細心の注意を払いました。台所で身体を拭くときも、血で汚れたタオルを何度も洗うので、情けない気持ちでいっぱいでしたね。

その家庭によって“どこにお金をかけるか”に違いがありますが、うちはお風呂にお金をかけなかったのかもしれません。最近は経済的な理由で生理用ナプキンが買えない「生理の貧困」が話題になっていますよね。我が家はお金がなくとも生理用品は買ってもらえたので、その点は本当によかったです。

◆制度を利用しない両親に対するもどかしさ

――『生活保護JK』を読んで、毎日お風呂が入れる幸せに気付かされました。そのほかの面では、学校で配られた「算数セット」でゲームを考えたり、500円のマックカードがもらえるボランティアに参加したり、と自身のアイディアで生活を豊かに過ごす様子が印象的でした。

五十嵐:単純に遊び道具が少ないのと、根が楽観的なので、なんでも楽めるタイプなんですよね。ほかにも、大きな家に憧れて、ポストに入っている不動産広告を見ながら豪邸での暮らしを妄想するのも趣味でした(笑)。いろいろな遊びをしたなかでも“お絵かき”が大好きで、コスパもいいしずっと絵を描いて過ごしていたので、小学生時代から漫画家を目指していましたね。

◆両親は病気、兄は引きこもり。親戚を頼るのも限界に

――知恵を絞って貧乏生活を送りながらも、高校3年生のときに生活保護の受給が決まって“ホッとした”と描かれていました。90年代当時は、現在よりも生活保護に対する偏見が強くありましたが、制度を利用しない両親にもどかしさを感じていたのでしょうか。

五十嵐:そうですね。両親は昔からホームレスの方に批判的な意見を持っていたり、世間体を気にしていたりしたからか、なかなか踏ん切りがつかなかったのかもしれません。そうは言っても、父も母も病気のせいで生活に困難を抱えており、兄は両親との関係で心を病み引きこもりってしまっていて、私は普通の高校生。親戚にお金を借りるのも限界だったと思います。

子どもの私たちにとっては、身内に迷惑をかけている両親の姿を見るほうが、生活保護を受けるよりもつらかったです。なので「生活保護を申請に行く」と言ってくれたときは、心の底から安堵しましたね。私が無事に高校生活を送り、自分で選んだ道を進めたのも、生活保護のおかげです。

◆貧困でも制度を利用して、夢を諦めないでほしい

――高校卒業後は、区役所職員として4年働いた後、漫画家を目指して退職、とのことですが、家庭の事情を考えると新たな一歩を踏み出すのも勇気が必要だったかと。夢を諦めずに前に進めた理由とは?

五十嵐:漫画に寄せられた感想のなかにも「どうして安定した仕事を辞めてしまったのか」や「また困窮に戻ってしまうのでは」といった心配の声がありました。でも、私は小学生の頃から「漫画家になりたい」と宣言していて、区役所を辞めるときも身近な人から反対されず、むしろ応援してもらえたんです。

在職中に生活防衛資金として300万円を貯めて退職しましたが、そもそも貧困生活に慣れていて、収入が少ないときの税金の免除制度も知っていたので、思い切った行動に出られたのかもしれません。

もしも生活保護制度がなかったら、私は高校を中退せざるを得なかったかもしれないし、今とはまったく別の人生を歩んでいたと思います。私と同じような状況にある子どもたちには「夢を諦めないでいいんだよ」と伝えたいです。日本には、みなさんが思っているよりも人々に優しい仕組みや支援制度がたくさんあります。

せっかくこの国で生活しているのだから、ぜひ活用してほしいし、その選択を受け入れる社会になってほしいと願っています。

<取材・文/とみたまゆり>

【とみたまゆり】
週刊誌や漫画の書評などジャンルにこだわりなく執筆する中堅ライター。三毛猫が好き

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