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幼い娘3人を殺害した29歳の母親は“異常者”か?法廷での発言にみる生きづらさとは|ルポライター・杉山春さんに聞く

女子SPA! 2024年7月23日 8時45分

 2024年6月11日名古屋地裁は、女児3人を殺害したとして殺人罪に問われた母親の遠矢姫華被告(29歳)に、懲役23年(求刑懲役25年)の判決を言い渡しました。

 法廷では、被告について裁判長が「責任能力は認められ、身勝手な犯行で強い非難は免れないが、相当に思い詰めて抑うつ状態だったことは疑いがなく、当時の被告にとって適切に対応することは難しかった」と語る場面もありました。

『ルポ 虐待:大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書)、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』 (朝日新書)などの著書を持ち、これまでに数々の虐待事件を取材してきたルポライターの杉山春さんによれば、わが子に手をかけるほどにまで思いつめた遠矢被告の状況は、過去に起きたケースの多くと関連性が見出せるといいます。

 令和4年のこども家庭庁による報告では、全国の児童相談所が虐待相談として対応した件数が過去最多。虐待に関する相談は平成以降増加の一途をたどっています。なぜ、こうした痛ましい事件が後を絶たないのか? 児童虐待を引き起こすメカニズムについて、杉山さんに聞きました。

◆「どれだけの異常者が…」と思う前に、目を向けるべき背景

 児童虐待の報道がされるたびに、ネット上で散見される「親が愛するわが子を痛めつけるなんて、考えられない」「どうして周囲は助けようとしなかったのか」といった意見。遠矢被告のケースについても、同様の声が多数上がっています。

「報道を耳にするだけでは、『どれだけの異常者がここまでの悪事に手を染めたのか』と、どこか自分とは関係のないような、非現実的な印象を受けますよね。しかし家庭という閉じられた場所で起きた虐待事件の場合、加害者個人の問題としてみるのではなく、私たちの生きる社会全体の構造に目を向けないと本質的な部分に触れることはできないと感じます」(以下、杉山氏)

 杉山さんは、ひとことに「加害者」「被害者」という言葉だけでは割り切れない、家庭内暴力の複雑さについて語ります。

「児童虐待の問題を捉える上では、家庭の中の権力関係を考えたり、家庭の外からの見えにくい力がどのようその親に影響したかという点に注目する必要があります。私がこれまで取材してきた虐待死事件では、当事者たちの立場は単純であるように見えますが、実態としては親が配偶者や周囲の者たちから暴力を受けたことが原因となっている場合も非常に多い。この場合の暴力とは物理的・身体的な力だけでなく、心理的な力も指しますが。つまり“加害者であり、被害者でもある”人がいる可能性があるのです」

 このケースに当てはまるのが、2018年に起こった目黒女児虐待事件。当時5歳だった結愛ちゃんをたび重なる虐待で殺害したとしてその両親が逮捕されたこの事件は、母親がその夫に配偶者間暴力を受け、逆らいにくい従属的な立場にあったとされています。

「この事件では家庭内で暴力の連鎖が起きており、妻が夫に自分の意見や考えを伝えて、状況を変えることができない、夫の考えに逆らえないといった、夫婦間にあるパワーバランスの不均衡が、結果として子どもに被害を及ぼしていました」

◆「助けを求めること」が難しい状況がある

 外から状況が把握しづらい家庭内暴力の実態。とはいえ、配偶者などから暴力を受けているとしても、当事者自身が声を上げたり助けを求めたりすれば、解決の糸口に繋がるように思えます。しかし、そうはいかない現実があるということに、杉山さんはさまざまな事件の加害者と対峙する中で気づいていったといいます。

「暴力とは、相手のよって立つ価値規範を変える力です。相手を自分の支配下に置きたい。コントロールをしたい。しかし、どれだけの暴力が家庭内で行われていようとも、その渦中にいるとき、当事者はそれを俯瞰して見ることが非常に難しい。そのため加害側もと被害側もそれを自覚していないパターンがとても多いです。

 先ほどお話したとおり、加害者・被害者の立場も複雑で状況により入れ替わることもある。客観的には加害をしていても『自分は悪くない』と心の底から思っていたり、ともすれば正義感から暴力を行っていたりもする。被害者自身も加害されていることを自覚しにくく、その場合いくら外野が『あなたは暴力を受けているんだよ』と伝えても、理解してもらえないのです」

 長年にわたり、児童虐待事件の取材を続けている杉山さん。しかし、それ以前に書いていた最初の著書『満州女塾』の執筆が児童虐待の構造を理解する上で役だったと言います。

◆旧満州で難民化した日本人妻たちとの“共通点”

 当時日本の植民地政策下にあった旧満州で開かれた花嫁学校「女塾」にいた女性たちについて綴られたこの本にも、現在の取材に結びついた背景──本事件のよう逃げ場を失い、子どもに加害してしまうケースが繰り返し発生してしまうメカニズムが潜んでいました。

「『満州女塾』を書いたことで、子どもを殺めてしまう親としては、当時の親たちも、現代の親たちも、その時点で精神的な病理性を抱えるまで追い詰められているという点では同じではないかということに気づかされました。精神的な病理性とは、この上もない心の苦しみ、トラウマと呼んでいいものです。取材対象者となった女塾の卒業生は、日本から開拓民の妻になるために送り込まれましたが、満州国崩壊後に夫は兵隊に取られており、子どもを連れて難民化して窮地に立たされた。つまり、国家や社会が、さまざまな意味で母親を追いつめていったわけです。

 そのなかで少なくない方が子どもをその場に放置したり、時には自ら殺めたりしています。『我が子の首に手をかけた』という人にも話を聞きました。中には出産直後、その場に新生児を置いてきたという方もいました。実際にそういうお話を聞く中で、人間が起こす行動というのはそれぞれが置かれる状況しだいであり、極限まで追いつめられた親が子どもに『死んでほしい』と感じてしまうこともあり得るとわかりました」

 女塾のあった当時と違い、現代は公的機関へ救いを求める選択も設けられています。しかしほかの家族から受ける暴力や貧困、過去のトラウマ、またさまざまな要因からくる“生きづらさ”により身の回りにある逃げ道が見えないところまで追いつめられ、孤立してしまう親がいるのです。

「2010年に発生した大阪二児置き去り死事件では、加害者となった母親が子どもたちをマンションの一室に50日間放置して男性と遊んでいたことが大きな注目を集めました。取材をして見えてきたのは、母親は幼い時のネグレクト体験や、14歳のときに性被害に遭ったことなどで病理性を抱えていたこと。その上で人生を通じて『男性に頼る』ということしかサバイブする術を見つけられずにいたことでした。

子どもがいながら窮地に立たされた彼女は、男性に頼って生きていくという逃げ道しか見えず、公的な機関に救いを求めるという方法が見えなかったのではないか。追い詰められるとメンタルヘルスはとても悪化します。事実だけを見ると母親に悪意があったとも捉えられますが、私の目にその苦しさは、満州から逃避行を行っていた女性たちが抱えていたものと重なりました。まるでこの大阪事件の母親だけが、戦地に難民となって子どもと共に取り残されているようにも見えるわけです」

◆遠矢被告が吐露した胸中にみる、社会に根付く価値観

 6月11日名古屋地裁では、遠矢被告が法廷で「献立が立てられず、自分にはあまり教養がないと思うことなどがありこんな母親でいいのかという気持ちでした」と胸中を吐露しました。この言葉は、社会に深く根付く“ある価値観”を表すものだと杉山さんは語ります。

「児童虐待事件の報道では、加害者が『怪物のような恐ろしい親』として伝えられます。このように、あたかも“異常な個人”が諸悪の根源であるように描く理由のひとつは、報道というものの背景に『社会正義』があるからです。それはつまり社会が考える“正しさ”であり、多数派のための価値観のこと。

 しかしこれは必ずしも、女性や貧困家庭などの社会的弱者のための正義とはいえません。今回の事件で遠矢被告が法廷で語った言葉は、まさに『母親だったら子育てができて当たり前』というような、社会が思う母親像に自分がフィットできなかった生きづらさを表しています」

 社会的正義に適応できない生きづらさを抱えるのは、もちろん女性だけではありません。目黒女児虐待事件では、加害を行っていた父親自身が、幼少期に実父から暴力を受け、中学時代にはいじめのような体験をし、社会人になってからは不適応を起こしつつ働いていました。

「彼はわが子に“しつけ”と称してダイエットなどを強制し、約束が守られないと“反省文”を書かせていたなかで『俺のような思いをさせたくないから』と言っていたそうですが、その自己肯定感の低さは、彼のトラウマからくるものでしょう。

 報道では、彼がどれだけ異常で悪人かということが伝えられても、弱さについては触れられません。あくまでこれは私の考えですが、加害者の弱さについて報道が避けられる理由は、『我々も同じ状況に置かれれば、同じことをしうる』という可能性と向き合うことへの恐怖や忌避からではないでしょうか」

◆社会的弱者ほど“求められるかたち”に収まろうとする

 遠矢被告もまた子育てをする中で心神喪失の状態にあり、“弱さ”を抱える親のひとりでした。その背景には、社会に根付く「理想とする母親像」と、そうなれない自分自身とのギャップから生まれる葛藤があったのではないかという見方もできます。

「社会的な弱者ほど、アイデンティティーを周囲から否定され続けながら生きているため、本来の自分を『殺す』あるいは『隠す』ことで生き延びようとするケースは非常に多いです。周囲や社会から求められるかたちに無理にでも収まることで自分を保とうとするわけですが、その抑圧が生む精神的苦痛はとてつもなく大きい。そのひずみによって生まれるしわ寄せが向かうのは、さらに弱い立場にある子どもなのです」

 家族という最小のコミュニティで起こってしまう児童虐待事件を一件でも減らすためには、社会全体で共有される価値観を変える必要があると、杉山さんは呼びかけます。

「多くの報道機関が、今日お話ししたような虐待事件のメカニズムについては触れずに、加害者を“異常な個人”として取り上げるのは、ある意味で『子育てできない親は、こうなるぞ』という見せしめをしているようなものです。現代社会が抱える人権の問題を、今のようにあいまいにするのではなくオープンに話し合えるようになったら、子殺しはもっと減るのではないかと、私は考えています」

<取材・文/菅原史稀>

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