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幼い娘3人を殺した29歳母親は“責任感が強く真面目”…「子殺しをする親」の多くが陥る心理状態とは|ルポライター・杉山春さんに聞く

女子SPA! 2024年7月24日 8時45分

 愛知県一宮市の自宅で5歳、3歳、0歳の幼い娘3人の首を絞めて殺害したとして、母親の遠矢姫華被告(29歳)が懲役23年(求刑懲役25年)の判決を言い渡されました。

 2024年6月の判決で裁判長は、このように指摘しています。

「被告は真面目で責任感も強いが細部にこだわる傾向があり、子どもの食事面での配慮について行き詰まっていた。理想とする母親像に及ばない、家族に申し訳ないなどの思いから自殺を考え、最終的に子どもたちを母親のいない世界に置いていくことはできないなどと考え無理心中を決意した。幼い3人にとってみれば最愛の母親の手によって突如、将来を絶たれていて、その苦痛を思うと言葉にできないものがある」(NHKの報道より)

『ルポ 虐待:大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書)、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』 (朝日新書)などの著書を持ち、数々の児童虐待事件を追ってきたルポライターの杉山春さんは、「理想とする母親像に及ばない」ことでわが子の命を奪うといった遠矢被告の経緯は、彼女が抱える“生きづらさ”が結びついたものと語ります。

 ここからは、現代社会で親が抱える問題とその危うさについて、杉山さんと考えます。

◆児童虐待死事件の加害者の多くが陥る“共通した状態”

「強い責任感」「細部にこだわる」とされていた遠矢被告。その様子を表す例として、長女出産後に産後うつと診断され「服用する薬が母乳に影響するのでは」と通院を止める、卵アレルギーがある次女のためすべての食事を手作りにする、新型コロナのワクチン接種をめぐる考え方の違いで義母の手伝いを拒否するようになる、などが裁判から明らかになっています。また、SNSでは「子どもの健康は親の責任だ」という趣旨の投稿を保存するなどしていました。

 被告について「完璧主義的な性格」と伝える報道も見られましたが、杉山さんによるとこの状態を表現する上でさらに的確な言葉があるといいます。

「ある価値観に執着してそれ以外のものが見えなくなる状態を『過剰適応』といい、これはこれまで取材した児童虐待死事件の加害者の多くが共通して陥っていたものです。彼らは責任感が強かったり、生真面目だったりする傾向があり、『こうでなければいけない』と考えがちなんです」

 当時の夫などの調書によれば、長女を出産前後は義母に家事を手伝ってもらっていたという遠矢被告。しかし産後うつを患ったあと通院を止め、育児について思い悩むことも多くなっていきました。義母は法廷で、新型コロナのワクチン接種をめぐる考え方の違いなどから、遠矢被告に手伝いを拒否されるようになったと証言しています。

「こうした遠矢被告に起こった変化は、過去のケースとも関連性があります。たとえば2010年に起きた大阪二児置き去り死事件の母親は、専業主婦時代は行政の子育て支援プログラムをすべて利用するなど、“良き母親”であろうとしていました。しかし、自らの借金と不倫が原因となり、当時の夫と離婚。その離婚を決める家族会議の際に『借金はしっかり返す』『家族には甘えません』『しっかり働きます』という内容の誓約書を書かされました。これによって彼女は、22歳で幼い2児を抱えるシングルマザーとして、家族から養育費をもらえない状況になったにもかかわらず、児童扶養手当や子ども手当を受給しようとはしませんでした。

人間は追い込まれると、外からの情報や他者の意見を排除し、これまでに持っていた価値観にさらに縋るようになります。今回の愛知の事件も大阪の事件も『母親とはこうあるべき』『妻とはこうあるべき』のような価値観に過剰なまでに身を沿わそうとして、力尽きてしまったように見えます」

◆“自分の子育ての基準”を選びにくい現代

 事件前の遠矢被告については近隣住民の「(子ども)1人手を繋いで、いつも抱っこひもで。本当に両サイドに子ども、抱っこひもにも子どもみたいな状態で。子ども3人を『ワンオペ』ってなると、大変だと思うから」という証言も報道されています(FNNプライムオンラインより)。

 忙しい毎日の中で育児の仕方に思い悩み、家事・育児について連日にわたってインターネット上で調べ続けるなか、被告は「私が母親でいいんだろうか」と自責していたことも明らかになっています。

「これは1970年代の記事ですが、ある子どもの虐待死事件を取り上げた月刊誌に『その家には、野菜を洗うタワシと鍋を洗うタワシと食器を洗うタワシがそれぞれ色違いにぶら下がっていた』ということが書かれていました。それくらいルールに縛られないと怖くて仕方なかった親の状況が、この文章からも伝えられます。

 今は当時と比べると『親だってラクしてもいい』という考え方も広まっていますが、一方でSNS等を通じて『子育てとはこうすべき』というさまざまな内容を親たちが目にするようにもなり、その根拠も示されなくなっています。自分の基準というものを自分の頭で考えて選びにくい時代になってきているような気がします」

◆「自分が何かを感じることは許されない」という意識

 さらに、時代とともに変化する生活様式と、前時代的な価値観のギャップに苦しむ親も多いといいます。

「現代は性別を問わず全市民が労働をしているにもかかわらず、『子育ては母親がするもの』という考え方に閉じ込められる女性もいまだ少なくありません。日々の労働に加えて育児にも全力で向き合っていたら、自分の時間はどんどんと失われていきますし、自分自身について考える時間や気力を確保することだって難しい。自分の意見を持つ余力がないと、自分の価値基準がない状態で子育てをすることになるので、さらに何かへ依存せざるをえなくなります」

 杉山さんは、遠矢被告をはじめ児童虐待加害者となった親の多くが、社会的な規範に主体性を奪われてきたと語ります。親がアイデンティティーを失っていくことで子どもへ及ぶ危険性とは、どのようなものなのでしょうか。

「児童虐待は、子どもをコントロールしたいという親の欲求が原因となる傾向にあります。それらは加害者が抱える『そうしないと自分の世界が壊れてしまう』という恐怖心の裏返しであり、その背景には『そこまでしないと自分の世界が保てない』と思いこむ自尊心の低さがあるといえます。

 少しでも自己肯定できる気持ちがある人なら、不利な立場に置かれたときに「イヤだ」とか「こんなのはおかしい」と思えるはずだし、“生きづらい”現状を打破しようと対策したり、声を上げることだってできるはず。逆にいえば、それを感じられないほど自分の言葉を奪われてしまった人たちが彼らだというわけです。

弱い立場にいると、自分が何を感じているのかさえわからなくなってしまう。『自分が何かを感じることは許されない』という意識が強まっていく。アイデンティティーを失った親のしわ寄せで、被害に遭うのはもっとも弱い立場である子どもなのです」

◆この世には、さまざまなルートで幸せになる方法がある

「育児には正解はない」という言葉がある一方、多くの「親ならばこうあるべき」が存在する日本社会。遠矢被告の「理想とする母親像に及ばない」という自責の念は、こうした抑圧的な環境の中でさらに大きくなっていったという見方もできるかもしれません。

「子どものために自分をすり減らし犠牲になってこその親だと考えている人も少なくないでしょう。親は『つらい』ということを表に出してはいけないという考え方もありますね。でも親こそ、自分が何かを感じとることを、自分自身に許すという意識を育てることが大切なのではないかと思います」

 杉山さんは「親子や家族の関係は、必ずしも絶対視するべきではない」という発想が、むしろ健全な親子関係を構築すると語ります。

「最近は『毒親』という言葉で親の責任を強化するような風潮もありますけど、『わが子の人生の責任は自分にある』という考えにとらわれるのではなく、親自身も追いつめられる時だってあるし、いろいろなものに出会いながら幸せに生きるべき。たとえ理想とする親像に自分がなれなくても、それによって子どもの人生が失敗するかというとそうではない。

人間は親だけでなくいろいろな存在によって形成されていくものなので、子どもとの関係が思い通りにいかなくても、よそで他の人といい関係性を築ければそれはそれでいい。親子や家族関係によってだけでなく、この世にはさまざまなルートで幸せになる方法があるのだ、という考え方が社会にもっと広まってほしいと思います」

<取材・文/菅原史稀>

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