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Mrs. GREEN APPLE「炎上曲」のライブ動画公開に違和感。“類人猿MV”だけが問題だと思っていたのか?

女子SPA! 2024年7月27日 8時47分

 7月25日、Mrs. GREEN APPLEが日本コカ・コーラ社のキャンペーン「Coke STUDIO」への参加を見送ることを自身のオフィシャルサイトで発表しました。イギリスBBCなども報じた新曲「コロンブス」の類人猿MV騒動を受けての対応と思われます。

 その一方で、同日にバンドは問題となった「コロンブス」のライブ動画を公開しました。

 4日間でおよそ15万人を動員したスタジアムツアー「Mrs. GREEN APPLE ゼンジン未到とヴェルトラウム~銘銘編~」でのパフォーマンスで、ファンにとっては嬉しいサプライズとなったようです。

 けれども、この決断には少なからず違和感が残ります。なぜなら、間違っていたのは白人が類人猿を教化するという設定のMVであり、曲自体に問題はないと認識しているように感じるからです。

◆コロンブスというワードで表現するには、否定的な教訓を含まざるを得ない

 もしそういう気持ちで今回の動画公開に至ったのであれば、かなりナイーブであると言わざるを得ません。

 そもそも「コロンブス」というタイトルをつけて、ポジティブなメッセージを発したり、明るいポップなサウンドを展開する行為自体、今の時代においては相当に無知であるか、そうでなければ挑発的になってしまうと理解していなければならないのです。

 2020年、黒人男性のジョージ・フロイド氏の死をきっかけに、全米でコロンブス像の破壊が相次ぎました。先住民に対する非道な扱いや、植民地化の過程で起きた残虐な悲劇が改めて白日のもとにさらされたのです。

 もちろん、そうした悲惨な歴史とアメリカ合衆国の繁栄は表裏一体の関係であり、すべてをなかったことにして歴史を修正するわけにはいきません。

 ひとつ確かなことは、これからコロンブスというワードで何らかを表現する際には、否定的な教訓を含まざるを得ないのです。

 つまり、本曲MVの類人猿がまずかったかどうかを議論する以前の問題なのですね。

◆ジェイZら黒人ミュージシャンらは以前から楽曲でコロンブスにNO

 実際、2020年以前から、ジェイZやワイクリフ・ジョンといった黒人ミュージシャンたちが楽曲の中でコロンブスによる白人の歴史に対してNOを表明しています。

 ジェイZの「Oceans」には、コロンブスが航海で使った船の名前をあげて<俺はサンタ・マリア号のアンチ 認めるクリストファーはウォレスだけ>と歌っている。ちなみにクリストファー・ウォレスとは、凶弾に倒れたラッパー、ノトーリアス・BIGの本名。白人の“クリストファー”のコロンブスと対比させているのですね。

 ワイクリフ・ジョンは「If I was President」の別バージョンでストレートにこう訴えています。<子どもたちに真実を教えるんだ クリストファー・コロンブスがアメリカを発見したわけじゃない>

◆『トイ・ストーリー』楽曲の作者は、もっと強烈な皮肉も

 もっと強烈な皮肉を込めたのが、映画『トイ・ストーリー』シリーズの音楽で知られるソングライター、ランディ・ニューマンです。16世紀に隆盛を極めたヨーロッパをおちょくった「The Great Nations of Europe」で、コロンブスをこう描いています。

<インドに向けて航海したコロンブスは 代わりにサンサルバドルを発見した

 握手したと思った矢先 現地のインディアンはみんな死んだ

 ヨーロッパにはチフス 水虫 ジフテリア インフルエンザ なんでもござれ

 失礼! ヨーロッパ様のお通りだ>

 この歌詞を、いかにもヨーロッパ風の荘厳なオーケストレーションとともに歌うユーモアがシビアな批評になっている。まさにアメリカの繁栄と表裏一体のむごたらしい裏話が表現されているのです。

◆「コロンブス」は日本でしか通用しない度を越した無邪気さ

 では、これらを踏まえて、Mrs. GREEN APPLEの言う「コロンブス」とはどんなものだと考えたらいいのでしょうか?

 こうした経緯やコロンブスに否定的な他者の作品を知っていて、それでも明るく前向きなメッセージのシンボルとして使いたいという確固たる考えが、果たしてあったのでしょうか?

<地底の果てで聞こえる コロンブスの高揚>

<ほら また舟は進むんだ>

 6月13日、MVの公開を停止した際、バンドのフロントマン、大森元貴はこうコメントしていました。

<決して差別的な内容にしたい、悲惨な歴史を肯定するものにしたいという意図はありませんでしたが、上記のキーワード(筆者註・「年代別の歴史上の人物」、「類人猿」、「ホームパーティー」、「楽しげなMV」という初期の構想だったと大森は言っている)が意図と異なる形で線で繋がった時に何を連想させるのか、あらゆる可能性を想定して別軸の案まで至らなかった我々の配慮不足が何よりの原因です。>(Mrs. GREEN APPLE公式サイトより引用)

 多くの人はこれを真摯な謝罪と受け止め、大森の誠実さが現れていると好意的に受け止めました。しかし、厳しいことを言えば、「配慮不足」との事務的な言葉を使っている時点で、彼らは問題の本質をつかみそこねていると言わざるを得ません。

 MVだけではない。曲としての「コロンブス」も、日本でしか通用しない度を越した無邪気さを表しているのです。

<文/石黒隆之>

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4

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