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42歳で乳がん宣告された私が「おっぱいの再建」をしなかったワケ。平らな胸で銭湯に行ってみると

女子SPA! 2024年8月26日 8時45分

 2016年、42歳のクリスマスイブに突如乳がん宣告。(ステージⅡB)。晴天の霹靂だった「がん宣告」から約1年間、泣いたり笑ったり怒涛の日々を駆け抜けた、私のがん治療ドキュメンタリーを連載でお届けしています。

※医師や看護師の発言は筆者の病状等を踏まえてのものであり、すべての患者さんに当てはまるものではありません。また、薬の副作用には個人差があります。

◆治療の後遺症は少なからずあった

 乳がん治療を終え、髪も生え、徐々に普段の生活に戻ってきたわたし。

 手術後すぐには痛々しく、生々しかった傷も、少しずつなじんできました。自分自身ではそう思えませんでしたが、先生は定期検査のたびに傷口を見て「ずいぶん傷が柔らかくなったね」と言ってくれました。胸のない自分にも見慣れてきました。

 抗がん剤の副作用で起きていた手足の指のしびれも、ほんの少しずつマシになっていきました。しびれが何年も残る人もいると聞いていたのですが、抗がん剤終了後1年ほどで、もう自覚がないくらいになりました。

 また、予告はされていましたが、後遺症は多少残りました。右胸の全摘に加えてリンパ節もごっそり取ったので、リンパの通り道が少なく細くなっている状態。そのため右腕に負荷がかかるとすぐにむくんでしまいます。

 今まで愛用していたショルダーバッグは左の肩にかけるようにしましたが、利き腕ではないので使いにくくて徐々に使わなくなりました。リュックも圧迫感があるので使えず、もっぱらハンドバッグか、斜めがけのショルダーバッグを左肩からかけています。

 スーパーの買い物帰りでも、重いものを肩にかけると、あっという間に右手がむくんでしまいます。ただ、むくんでしまっても1日寝れば収まるのでこの程度は仕方がないそう。ひどい人は右腕だけパンパンに膨れ上がってしまったりするようです。

 注射や傷など小さなきっかけでもむくんでしまったり、感染症も起こしやすいので注意が必要とのこと。採血は必ず左腕からしてもらっていたりと、今後もずっと気を付けていくことはあります。

◆乳房再建をしなかった理由

 切除した胸にシリコンを入れたり、自分の脂肪を移植するなどしておっぱいを復活させる再建の話はできなくはないですが、今もしていません。シリコン経験者に聞くと、まずは皮膚の下に水の入った袋を入れてじわじわと皮を伸ばすらしいのですが、それがとても痛いとのこと。

 さらに無事シリコンを入れたとしても、10年ごとに交換が必要。リスクもあるそうで、シリコンは異物なので、ちょっとしたことで感染症を起こすこともあり、その場合はシリコンを取り出さなくてはいけないらしいのです。また、自分の脂肪を使った自家再建方法もあるにはありますが、結局お腹の肉を切り取って胸に張り付ける手術なので、なかなかの大掛かりな手術になります。

 私はとにかく痛いのが嫌いなので、そんなにリスクがあるなら、このまままっ平でいいわ! と諦めました。万が一夫以外の人と恋愛して、裸を見せることになったら考えます。そのときには胸だけではなくたるみきった身体全体を何とかする必要がありそうですが。

 ただ、洋服を着るときにはどうしてもブラジャーがないと変な感じになります。全摘した人用のブラもありますが、どうも高い上に好みじゃない。なので私はカップが硬めのブラトップやスポーツブラ、パッドが足せるものを探して使っています。なかなか需要に合うものがなく、一時期は全摘に使えるブラ研究家のようになっていました。

 9人に1人がかかると言われる乳がん。一般のアパレルメーカーでも、乳がんの人でも使える仕様のブラができればいいなといつも思っています。パッドさえしっかりしていれば、ブラの中身はスカスカですが、全然わからないと思います。わたしの胸をマジマジと見る人もそうそういないと思いますしね。

◆スーパー銭湯にも行ってみた!

 乳がんで胸を失った人は行きにくいとされている、スーパー銭湯のような公衆浴場にも行ってみました。ネットで事前に調べると、入浴時に術側の胸を隠す下着が売られていました。けれどこの下着が世の中に広まっているわけではないので、この下着をつけて入浴するほうが奇異に見えてしまいそうなのでやめました。

 私は自分が片胸ない姿が恥ずかしいわけではないですが、やはり見た人はビックリしてしまうのではと思い、どうにかストレスなく入浴する方法を考えました。

 その結果、浴場に入るときには胸全体をタオルで隠し、洗い場はできるだけ右端に座る。湯船に浸かるときにはギリギリまでタオルで隠し、さっと浸かる。胸まで浸かってしまえば良く見えないので意外と平気です。

 洗い場では皆さん自分の身体を洗うことに集中しているのであまり気づかれないとわかりました。何度もスーパー銭湯や温泉に行っていますが、今のところジロジロ見られた経験はありません。工夫次第で、今までの生活と同じようにやれるものだなと思っています。

 多少の後遺症や不便があるものの、なんだかんだでぱっと見は普通の人の生活を送れるようになりました。毎年1回、反対側の胸の検査と、周辺に転移がないかの検査だけはしていますが、これも10年経ったら完了します。

◆できるだけ素の自分でいられるように

 このように治療は大変でしたが、わたしはこの経験をして良かったと心から思っています。それはこの乳がん治療をきっかけに、人生観が大きく変わったから。

 大きな病気をするときは、人生を見直す時だと聞いたことがありますが、まさに納得。今まで少しずつずれてきていた人生の軌道修正をあのタイミングでできた感覚があります。病気の原因は何かを特定することはできませんが、わたしの場合は「うまくいかせたいのにうまくいかない」といつもじわじわ苦しい思いで過ごしていた数年間のストレスが原因のひとつだったのではないかと感じています。

 もちろん本当のところは分かりませんが、その時期は意地を張って、見栄も張って、自分らしくない生き方をしていました。ものすごく頑張って生きていたけれど、すごく生きにくかったし、息がしにくかった。だからこそそれまでと同じ生き方はやめようと思いました。

 同じことを繰り返すことは、また同じ病気を呼んでしまうかもしれない。そう思って、乳がん治療後の7年間は、できるだけ素に近い自分でいられる生き方にシフトしようと意識して歩んできました。

 わたし本来の、自由で、欲深くて、家事が苦手で、面倒くさがりで、でも頑張るときに、頑張りたいことには頑張る自分。心配性で、慎重で、あれこれ考えすぎて、でもチャレンジが好きな自分。

 そして自分の悩みやすい性質も、どうしたらカバーできるか考えました。常に頭の中が常に忙しく、考えすぎるとドツボにはまるわたしの性質も、下手をするとまた良くない方向に行ってしまうかもしれません。なので対策を打ちました。考え過ぎそうになったら途中で自分にストップをかけるように注意します。そして悩み始めたら「人生なんとかなる」「まずは今できることから」と仕切りなおすようにしています。

 暇すぎるといらないことを考えて悩みまくるので、適度に忙しくするように意識しています。忙しいとあれこれ悩む暇がなくなるので、本当はダラダラしたいのですが、暇になりすぎないように注意しています。わたしには「あー忙しい」と文句を言っているくらいがちょうどよいのかもしれません。

◆乳がん治療を経て響くようになった“ある言葉”

 これに加えて、残りの人生を思い切り生き切ろうという気持ちも強く持つようになりました。

 以前、グチグチと夫の不満をこぼしていたわたしに、尊敬する先輩がいつも言っていました。「人生の満足度は、その人生の中でどれだけ自分がご機嫌でいられたかの割合で決まる。だから自分のご機嫌を自分で取れるほうが幸せじゃない?」と。確かにそう。そのとおり。だけど当時のわたしにはあまり入ってきませんでした。やろうと思ってもできないんだよと、意固地になっていました。だけど乳がんの治療を経て、この言葉がグッと強く響くようになりました。

 そして、今までのわたしは人生の満足度を下げるようなことばかりしてきたのだと反省しました。もう残りが見えている人生、自分のこだわりに固執するより楽しく過ごせたほうがいいかも。もちろん大事にしている価値観はしっかり持っておきますが、逆に、それ以外はしがみつかなくて良いんだと気づきました。

 そう思うようになってから、時間はかかりましたが、徐々に夫との関係も改善していきました。そして息子の進路も収まるところに収まりました。

「人生、なるようになるのだ」と思いながら、今できることを思い切り頑張るしかないのかなと。気づけば人生折り返しを過ぎちゃったので、あとはできるだけ楽しく、充実した人生を送りたいと強く思っています。

 乳がんを治療して命拾いはしたけれど、近い将来必ず人生の終わりが来る。以前よりも死をグッと身近に感じたからこそ、生きていることの貴重さを肌で感じ、以前よりずっとさまざまなことにチャレンジするようになりました。

 慎重な性格なので、迷っている時間が長かったわたしですが、今ではある程度慎重に検討した後はひとまずGO! 決断までの時間もかなり短縮された気がします。

◆自分の足で人生を歩もうと決めた

 自分の人生を夫だけに頼らず、自分の足で歩めるようになろうという意識も芽生えました。夫は20歳年上なのでいつまでも頼れないという実情もありますが、夫に依存していたら、いつまでも夫を意識した自分から抜け出せないと気づいたのです。

 具体的には10年くらいの長期プランで、焦らずに末永く続けられる仕事を見つけようと決意。とにかく何か動き出そうとパートを始め、社会復帰の一歩を踏み出しました。そこでパート仲間と意気投合。仕事の合間には、その日の晩ごはんの献立や、スーパーの特売の話など、他愛もない話題で盛り上がったりと「いわゆる普通の主婦生活」ができるようになるまで復活しました。

 普通の生活ができるということが、こんなに楽しくありがたいことだと実感できたのも、乳がんの治療を経験したからではないかと思います。

 暗闇から息を吹き返した私は、それだけでは飽き足らず、もっと先まで続けられそうな仕事を見つけたいと思うようになりました。試行錯誤の末に書く仕事をいただけるようになり、こうして皆様にわたしの体験を届けることができるようになりました。

◆一生を終えるときに、こう思えれば……

 わたしの計画はまだまだ先が長く、10年後にどうなっているかはわかりません。けれどコツコツと試行錯誤を続けて進んでいけば、10年後には今の自分よりもずっといい感じになってるはず。

 こういう思いで人生を歩めるようになったのも、乳がんを経験したおかげ。人生観も大きく変わりました。まだまだやりたいことがたくさんあるので、元気に長生きしたいものですが、とりあえず今のわたしは人生の満足度が以前よりもずっと上がったと感じています。

 わたしが一生を終えるとき「ああ、まぁこんなもんで上等でしょう」くらいは言えるように、これからもいろいろあるとは思いますが、あらゆることを経験として楽しみながら生きていきたい。そんな思いで、この20話にわたる連載の筆を置こうと思います。

 長らくの連載に伴走してくださった女子SPA!編集部の担当者様、監修をしてくださった先生方、そしてお読みくださった読者の皆様ありがとうございました! わたしの体験が少しでも誰かの役に立てば、とても嬉しく思います。

<文/塩辛いか乃 監修/沢岻美奈子(沢岻美奈子女性医療クリニック院長)>

【監修者:沢岻美奈子】

日本産科婦人科学会認定産婦人科専門医。神戸にある沢岻美奈子女性医療クリニックの院長。子宮がん検診や乳がん検診、骨粗鬆症検診まで女性特有の病気の早期発見のための検診を数多く行なっている。更年期を中心にホルモンや漢方治療も行い女性のヘルスリテラシー向上のために実際の診察室の中での患者さんとのやりとりや女性医療の正しい内容をインスタグラムで毎週配信している

【塩辛いか乃】
世の中の当たり前を疑うアラフィフ主婦ライター。同志社大学文学部英文学科卒。中3繊細マイペース息子と20歳年上の旦那と3人暮らし。乳がんサバイバー(乳房全摘手術・抗がん剤)。趣味はフラメンコ。ラクするための情熱は誰にも負けない効率モンスター。晩酌のお供はイオンのバーリアル。不眠症。note/Twitter:@yukaikayukako

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